以前とある男性に、「女性は土俵に上がらないことが身についてしまっている」と言われたことを思い出す。 彼は教養豊かなインテリで、文学や哲学や批評に詳しく、批評史に女性がほとんど登場していないことをもちろん知っていた。 男性である彼はあえて言うならば「立場をわきまえて」おり、フェミニズムに言及するような無粋な真似はせず、けれども当然エクリチュール・フェミニンについて求められれば一定の説明をすることができて、ジュディス・バトラーも読んでいて、クィア理論について最もらしく解説することもできた。決して乱暴な口はきかず、物腰柔らかな姿勢を崩さず、一定以上の勉強をしながらいかにも「当事者」を優先しますといったポーズを取る、そういうタイプであった。一見すると単純に勉強熱心な良い人のようだけど、時折微妙に違和感を覚えることがあった。そして冒頭の発言である。 冒頭の発言はわたしが「批評史に登場する女性の数が少
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