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ブックマーク / hakabahitoyo.wordpress.com (6)

  • 非対称な倫理だけがアクチュアルで、可能な行動はおそらくデカダンスしかない – 墓場人夜

    歴史的に言えば、私たちは常に、どうにもならない権力の非対称を発見してきた。マルクス主義者が資家と労働者を、ポストコロニアリストが征服者と被征服者を、日の格差社会論者が正規雇用者と非正規雇用者を発見したように。 もっと時間と場所を限定して、たとえば2019年の日の首都圏に生きる私たちは、金持ちと貧乏人、与党支持者と野党支持者、健常者と障害者、雇用者と被雇用者、不動産所有者と居住者、親と子、というように、いくらでも深刻な非対称を挙げることができる。 このような非対称を不正であるとして、これを暴力によって転覆したり、漸進的に格差を是正したりする行動は、もちろん可能である。しかし、そのような革命はいつ実現するかわからないし、永遠に実現しないかもしれない。革命を夢想するだけでなく、革命のために行動することですら、それだけでは革命の成就のために十分ではない。実際には、革命家でさえも旧体制のもとで

    非対称な倫理だけがアクチュアルで、可能な行動はおそらくデカダンスしかない – 墓場人夜
  • ドヤ街と観覧車 – 墓場人夜

    京浜東北線の関内駅で待ち合わせて、私と電飾さん、それにあと2人のインターネットの友人たちと会うことになった。私と電飾さんは初対面だった。電飾さんは寿町のあたりに住んでいて、炊き出しに参加することもあるらしい。私たちは横浜公園を抜けて、海沿いを進んだ。 海沿いの小さな広場では、東日大震災に関連して、何らかの団体が、小規模な演説会を行っていた。演説の内容は、断片的にしか聞いていないが、それほど党派的な主張ではなかったように思う。ここで、電飾さんの様子がおかしくなりはじめた。体を縮めて、怯えているような表情を見せた。 私は逐語的に発言を記憶することはできなかったが、電飾さんは、「自分たちが正しいという話し方をする人たちが怖い」というようなことを言ったように思う。続いて「私の母もこのような話し方をする」「私たちの家族は安倍政権に壊された」「父は私を殴る」と言った、かもしれない。 それからしばらく

    ドヤ街と観覧車 – 墓場人夜
  • 性嫌悪者が性的身体を見せられない権利は、オタクの言論の自由よりも重い – 墓場人夜

    インターネットでは、性嫌悪者による苦痛の訴えを、さまざまな形式で見ることができる。そのなかには、公共の場所から性的身体の図像を撤去することを求めるものもあれば、単に苦痛を表明するだけのものもある。 この種の苦痛は明らかに実在する苦痛である。言葉のうえだけで創作されたものではない。 ところで、LGBTPZNの中核となる問題意識は、法と倫理によって徹底的に自分自身を破壊された者が、なおも何らかの倫理や価値観に対して誠実であることは可能だろうか?、と表現されてきた。性嫌悪者の置かれている状況は、これにきわめて近い。差し迫った苦痛をもたらすものを見せられ続けてきた者が、それを見せようとしてきた者と、何らかの倫理や価値観を共有することは可能だろうか? あるいは、私たちがそれを要求することは妥当だろうか? 性嫌悪者が自らの主張を立証するには、苦痛を表明すればそれで十分である。インターネットで論をやって

    性嫌悪者が性的身体を見せられない権利は、オタクの言論の自由よりも重い – 墓場人夜
  • ツイッターからPleromaに移住する方法 – 墓場人夜

  • それはそれとして俺はお前を殺す – 墓場人夜

    事実は啓蒙よりも暴力として作用する、それはそうなのだが、暴力が悪いとは一言も言っていない。むしろ積極的にやっていくべき。 インターネットの人類は、ともすれば、攻撃的になることを忌避する意見を吐露しがちである。けれども、それは数が多い陣営に圧倒的に有利なルールである。なぜならば、そちらに属していれば、怒ったり嘆いたりする機会がそもそも少なくて済むからだ。 インターネットでは気に入らないことがあればがんがん叩いたり愚痴ったりすべき。なにしろ、分散SNSでは「死ね」とか「殺す」とか書いても (文脈が物の脅迫でない限りは) 凍結されないという利点がある。わざわざ「○す」とか「ケア」とか書かなくていい。 私が何が嫌いかというとマジョリベーションの一言に要約できるので、もしお前らがそれに一歩でも足を踏み入れたら、俺はお前を殺す。

    それはそれとして俺はお前を殺す – 墓場人夜
  • LGBTPZNの支持者の多様性 – 墓場人夜

    ちゃんとした文章を書くのは疲れるので箇条書き。画像はサーバルちゃんフォント。 ポーランドのLGBTPZNはLGBTを中傷するための造語であったらしい。ポーランド語は読めないので詳しい経緯は不明。 日LGBTPZNは、Go_8yo氏が2016年4月ごろに突如として思いついた。このとき、ポーランドにおけるLGBTPANの用法は日では知られていなかった。 2016年9月26日にLGBTPZNが大流行した。このとき、ポーランドにおけるLGBTPZNの用法について指摘があった。また、PZNは「解放運動」を表す頭文字であり、LGBTPZNは単にLGBT解放運動を意味するという指摘もあった。 この時期のLGBTPZN支持者は迂遠な言語表現を用いる傾向にあり、LGBTPZNが実際にどのように受容されていたか知ることは難しい。いま思えば、LGBTPZNのうちPに限って言えば、子供の性の自己決定権を侵害

    LGBTPZNの支持者の多様性 – 墓場人夜
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