歴史的に言えば、私たちは常に、どうにもならない権力の非対称を発見してきた。マルクス主義者が資本家と労働者を、ポストコロニアリストが征服者と被征服者を、日本の格差社会論者が正規雇用者と非正規雇用者を発見したように。 もっと時間と場所を限定して、たとえば2019年の日本の首都圏に生きる私たちは、金持ちと貧乏人、与党支持者と野党支持者、健常者と障害者、雇用者と被雇用者、不動産所有者と居住者、親と子、というように、いくらでも深刻な非対称を挙げることができる。 このような非対称を不正であるとして、これを暴力によって転覆したり、漸進的に格差を是正したりする行動は、もちろん可能である。しかし、そのような革命はいつ実現するかわからないし、永遠に実現しないかもしれない。革命を夢想するだけでなく、革命のために行動することですら、それだけでは革命の成就のために十分ではない。実際には、革命家でさえも旧体制のもとで
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