内田樹の『街場の教育論』の中に、音楽について記した箇所がある。 大学の教養課程を論じるにあたって言及している孔子の「君子の六芸」(礼・楽・射・御・書・数)の中の「楽」が、音楽。これに似た内容は内田ブログでも見た気がするので、例によって繰返しあちこちで書いていることなのだと思うが、面白いので引用しよう。 孔子は音楽を愛した。政敵に追われて放浪しているときも、琴を弾じるのを止めなかった。「楽」は時間意識を涵養するものです。豊かな時間意識を持っていない人間には音楽は鑑賞できません。楽器の演奏も曲の鑑賞もできない。というのは、音楽とは「もう消えてしまった音」がまだ聞こえて、「まだ聞こえない音」がもう聞こえているという、過去と未来への拡がりの中に身を置かないと経験できないものだからです。 単音の音楽というものはありえません。リズムもメロディも、その楽音に「先行する楽音」と「後続する楽音」の織りなす関