タグ

中国と歴史に関するsinoda2のブックマーク (15)

  • 三国志 曹操(そうそう)の遺骨と断定 | 香港BSニュース

    三国志の登場人物で、魏(ぎ)の基礎を作り上げた曹操(そうそう)の墓と遺骨が2009年に見つかった件について、河南省文物考古研究院は墓の建築構造などから遺骨はほぼ間違えなく曹操であると発表しました。(紅星新聞より引用) 曹操の墓とされる遺跡は中国河南省安陽にあり、これまでにも大量の石碑が出土、その中には「魏武王常所用挌虎大戟」、「魏武王常所用挌虎大刀」など曹操を示す「魏武王」という言葉が刻まれた石などが発見されていたことから詳しい調査が進められていました。 さらに、墓室からは約60歳の男性、約50歳の女性、約20歳の女性の遺体が計3体発見されており、「60歳の男性は曹操」、「50歳女性は後に魏の初代皇帝となる曹丕(曹操の次男)の母親」、「20歳女性は曹昂(曹操の長男)を出産し若くして亡くなった母親」だと考えられています。 「三国志・魏書・武帝紀」の記載によると、建安23年(西暦218年)に曹

    三国志 曹操(そうそう)の遺骨と断定 | 香港BSニュース
  • 中国人が描く、日本人引き揚げの「記憶」 『一九四六』が東京で公開中、5日まで

    【9月30日 東方新報】終戦後に中国大陸から引き揚げる日人を描いた中国人画家、王希奇(Wang Xiqi)さん(57)の展覧会が東京で始まったことを記念して、「芸術で如何に歴史的記憶を表現するか」と題したシンポジウムが28日、東京・千代田区の城西大学(Josai University)で開かれた。 王氏が、7年近い歳月をかけて完成させた『一九四六』。灰色の海が広がる港で、引揚者の日人たちが風呂敷包みを背負い、帰国する船に向かって歩いている。小さな子どもの姿も多く、母親に抱えられている乳飲み子もいる。疲れた表情や、無表情の人たちが、高さ3メートル、長さ20メートルの作品の中を黙々と歩いている。 テーマは、中国・遼寧省(Liaoning)葫藘島港(Huludao)からの、105万人を超える日人の大送還。2011年から7年近い歳月かけて完成させた。 王氏は、遼寧省錦州市(Jinzhou)生

    中国人が描く、日本人引き揚げの「記憶」 『一九四六』が東京で公開中、5日まで
  • 074.html

    通州事件は、日中戦争勃発直後の1937年7月29日、中国・北京近郊の小都市、通州(現北京市通州区)で起きた冀東(きとう)防共自治政府保安隊による反乱事件である。冀東政府とは、中国を侵略した日軍が樹立した傀儡政権で、保安隊は冀東政府を防衛する中国人部隊であった。通州事件では、通州に住んでいた日居留民225人(諸説あり。死亡者の約半数は朝鮮人)が保安隊により殺害された。 戦後の日では、通州事件戦争責任をめぐる右派と左派の論争のなかで取り上げられた。このとき、両派はともに都合よく通州事件の事実を切り取って独自の解釈を展開した。その一方で、通州事件歴史的意義を探る実証研究はなおざりにされた。 冀東政府について研究していた筆者は、以上のような通州事件の研究状況を問題視し、事件発生から80年目を前にした2016年12月、日中両国に残された史料や証言をもとに、星海社から新書『通州事件―日中戦争

    074.html
  • 劉備は諸葛亮に「劉禅に才能がなければ君が国を奪え」と言ったのか?

    偏見で語る三国志bot @biased3594 劉備:死に際に諸葛亮に「息子の才能がなかったら国を乗っ取ってくれよな」と遺言した。陳寿はこれを永遠の手にしろと褒めるが明代の王夫之という学者は「こんな守れない命令は絶対出しちゃいけねえ『乱命』なんだよ」と謗っている。劉備が諸葛亮を当には信頼していないことがここからわかると言う 2017-01-22 12:10:40 劉備が死に際に諸葛亮に釘を刺した、とする説は、三国志関連の書籍を多く出版している「名士論」でおなじみの渡邉義浩教授が強く推す説。渡辺教授の「名士論」では、三国どこであろうが君主と名士は対立するものとして定義されており、劉備は法正や李厳を重用して諸葛亮に対抗させたとしている。 ※ただし「名士論」を蜀漢に当てはめることへの反論は少なくない。また、ネットで法正や李厳の話題において言われることのある「益州閥」「(諸葛亮の)荊州閥」とい

    劉備は諸葛亮に「劉禅に才能がなければ君が国を奪え」と言ったのか?
  • 中国・伝説の大洪水、初の証拠を発見 文明史書き換えか

    中国・重慶の湖広会館に展示される禹王の像を清掃する作業員(2015年11月1日撮影)。(c)AFP/STEPHANE DE SAKUTIN 【8月5日 AFP】中国の黄河(Yellow River)で4000年前に大洪水が起きたことを示す初めての証拠を発見したとの研究結果が4日、発表された。この大洪水は、夏(Xia)王朝とその後の中国文明の誕生につながったとされる。 米科学誌サイエンス(Science)に発表された研究結果によると、大洪水が発生したのはこれまで考えられてきたよりも数百年遅い紀元前1920年。これは、禹(Yu)王による夏王朝樹立の時期が通説よりも遅かったことを意味し、この発見により歴史が書き換えられる可能性がある。 禹王はこの大洪水で、水の流れを元の水路に導くために必要なしゅんせつ工事を指揮し、治水の才能を発揮した人物として名声を得た。研究を主導した南京師範大学(Nanjin

    中国・伝説の大洪水、初の証拠を発見 文明史書き換えか
  • 歴史は私たちの鏡である――「文化大革命」と格差社会を考える/久保亨×荻上チキ - SYNODOS

    1966年、中国共産党が「反革命分子との生きるか死ぬかの闘い」を呼びかけた「5・16通知」が出されて、今年で50年になる。およそ1億人が迫害を受け、100万人以上が死傷したとされる文化大革命。私たちは今、どうとらえるべきなのか。信州大学人文学部教授の久保亨氏が解説する。2016年05月16日放送TBSラジオ荻上チキ・Session-22「五・一六通知から50年〜『文化大革命』とは一体何だったのか?」より抄録。(構成/大谷佳名) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加して

    歴史は私たちの鏡である――「文化大革命」と格差社会を考える/久保亨×荻上チキ - SYNODOS
  • リベラル21  文化大革命の実態を語るひと

    今年は中国文化大革命が始まって50年にあたる。 現在中国では文革研究は低調だ。新事実の発見があっても公表は控える。文革だけではなく「大躍進」の研究についても有形無形の圧力がかかる。さいきん習近平中国共産党総書記が毛沢東の「大躍進」は正しかったといったそうだから、同じ毛沢東主導の文革では研究はますますやりにくくなっている。 ところが、昨年12月の中山大学(広州市)の「文化大革命の反省」講座で、具体例をあげて文革の実態をリアルに語った教授がいて、関係者や学生の注目を浴びた。この教授は于幼軍という。 Wikipedia・「百度」などによると、于幼軍は1953年広東省生れ。1985年に河南師範大学政治教育学部卒業。中学教師などを経て、86年広州市委宣伝部長に抜擢され、以後官僚として出世し、05年山西省の党委副書記、省長などを務めた。2007年10月の第17回党大会を目前に、文化部副部長(文部科学

    リベラル21  文化大革命の実態を語るひと
  • 「三国志」日本での曹操人気、中国の人に経緯を説明するのは難しい…

    普通は反響を見てtogetterを作るのですが、今回はむしろまとめた後の反響に期待。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151205-00000011-rcdc-cn と、中国文化圏の人々が曹操人気に驚くのは判るのですが、その理由の解釈がたぶん違う方向に行ってる!と思う(笑)。だが、説明するのは難しい…皆さんは、ここにそういう疑問を持つ中国人がいたと仮定して、どう説明する? 連動するまとめも作りました⇒ http://togetter.com/li/910616

    「三国志」日本での曹操人気、中国の人に経緯を説明するのは難しい…
  • 「姑娘」水木しげる著

    水木しげるが後年、中国出兵していた人物から聞いた体験談を元に描いた短編作品。姑娘(クーニャン)とは、中国語で若い未婚女性、お嬢さんといった意味である。 第二次世界大戦中、中国侵略を進めていた日軍のある分隊は、小さな村へと侵攻、ある家に女性物の下着が干されているのを発見したことから、狂気にかられ始めていく・・・ 「姑娘を捕虜として部隊長の前へ出せば「殊勲甲」まちがいなしというところでしょう!」そう部下が進言し、分隊長も「どうやら敵もいないようだし・・・・・・こうなったら姑娘ひとりでもつれてかえらなきゃあ手ぶらでかえるわけにもいかんな!」その部隊の暗黙の了解として、中国人女性の略取が日常化していたかのように描かれている。 かくして分隊長以下若い女性「姑娘」探しに奔走。ついに、彼らは村長宅で息を潜めて隠れている村長の娘を見つけ出し、懇願する村長夫婦を一喝して、強引に彼女を連れ去っていくのだった

    「姑娘」水木しげる著
  • 十九世紀オーストラリアの中国人排斥運動と白豪主義国家の誕生

    オーストラリアで1850年代から始まった中国人移民排斥運動は、白豪主義として知られる白人至上主義的潮流を生み出し、1901年のオーストラリア連邦成立以降1970年代まで国家として非白人を排除する人種主義政策を続けることになった。 十九世紀半ばのオーストラリアで起きた中国人移民排斥の原因を、白人社会と中国人との文化的差異に求める見方は適切ではない。まずは当時のオーストラリアの社会構造がはらんでいた矛盾と急激に表面化した経済的要因があり、彼らが直面した問題を説明しうる理由として「中国人の脅威」を見出すようになったのである。 オーストラリアの植民地化オーストラリアの歴史は古くて新しい。先住民アボリジナル(アボリジニ)の祖先はおそらく四万年前にはオーストラリア南部に到達していたと考えられ、以後、西暦1700年代まで外部の侵入もなく独自のアボリジナル社会を形成していた。 1770年ジェイムズ・クック

    十九世紀オーストラリアの中国人排斥運動と白豪主義国家の誕生
  • #歴クラ初心者向けのオススメ種本紹介しようぜ 中国・モンゴル編

    松平俊介(東龍) @matu2syun 高島俊男『三国志きらめく群像』ちくま文庫 先ほどからツイートしている劉備ぐう畜伝説のタネであり、現代の日の正史研究の基礎の一つ。三国志集解入門としてもよし #歴クラ初心者向けのオススメ種紹介しようぜ

    #歴クラ初心者向けのオススメ種本紹介しようぜ 中国・モンゴル編
  • 文化大革命の「悪」、元紅衛兵らが告白 国際ニュース : AFPBB News

    四川(Sichuan)省成都(Chengdu)にある文化大革命をテーマにした博物館で撮影された「毛沢東語録」(2012年9月25日撮影、資料写真)。(c)AFP/Mark RALSTON 【8月12日 AFP】文化大革命によって過激化した10代の少年だったころ、指導部に批判的だった自分の母親について当局に密告したことで、2か月後に母親が銃殺刑に処された──張紅兵(Zhang Hongbing)さん(59)の「告白」が、中国国内で注目を集めている。 40年以上にわたって罪の意識にさいなまれてきた張さんは自らの過去を世間に公表することで、中国の混乱の時代を覆い隠してきた沈黙に波を立てた。このような形での「謝罪」はこれまであまり見られなかったが、癒やしをもたらしうる集団的な自己省察に通じるとして歓迎されている。 張氏は前週、「あのころは皆がのみ込まれていて、たとえ逃げたくても不可能だった。私の中

    文化大革命の「悪」、元紅衛兵らが告白 国際ニュース : AFPBB News
  • 時事ドットコム:「徳田球一いる日本へ返還を」=沖縄帰属で共産書記長に配慮−中国

    「徳田球一いる日へ返還を」=沖縄帰属で共産書記長に配慮−中国 「徳田球一いる日へ返還を」=沖縄帰属で共産書記長に配慮−中国共産党の徳田球一書記長(当時)が琉球人だから、沖縄の日返還は可能だ、との対日講和討論会での発言記録が掲載された1950年5月の中国外交文書 【北京時事】中華人民共和国(中国)が1949年に成立後、第2次世界大戦に敗れた日との講和会議に備えて50年5月、中国外務省主催で開いた内部討論会などの場で、日共産党の徳田球一書記長(当時)が沖縄出身という理由から「中国は琉球(沖縄)の日への返還を主張すべきだ」との意見が出ていたことが4日分かった。北京の外務省档案館(外交史料館)収蔵の外交文書や、当時を知る複数の中国共産党元幹部の証言から判明した。  沖縄は45年の終戦後、米国の占領統治下に置かれていたが、中国政府内には「琉球を取り戻せ」と唱える声もあった。「沖縄は

  • 47NEWS(よんななニュース)

    炎天下、さあ準備! よさこい祭りの桟敷席準備進む 高知市の追手筋部競演場〈高知 よさこい 2024〉

    47NEWS(よんななニュース)
  • チベットの未来

    (" Future Tibet" Frontline, 2007 年 7 月 27日号、pp.4-19) N.ラム著 山形浩生訳 要約: 「チベットは大幅な経済成長を遂げていて、その繁栄ぶりは疑いようがないし、多くの人の生活水準は大幅に向上した。中国政府はチベットの発展に明らかに尽力している。一方ダライ・ラマのチベット亡命政府のプロパガンダはウソも多いし、さらにダライ・ラマが民主チベットを口にするとは片腹痛い。中国以前のチベットは、すさまじい奴隷制の民主のかけらもない代物だったのだ。かれらの政治的要求もほとんど現実味はない。チベットは中国の一部として今後も大きく発展するだろう。チベット独立など絶対ありえん」。インド誌の記事でありチベットの状況に関して異様なほど露骨な中国側見解の受け売り部分が多いものの、ダライ・ラマをうっとうしく思い、中国との関係維持改善を重視したいというインド国内の(それ

  • 1