安っぽい南京錠の開け方を説明したいと思います。
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1 植村直己は、「書くことは死ぬほどきらいだ」といいつづけた。会った当初はともかくとして、1972年から73年のグリーンランド滞在あたりから、この植村の口癖のようなセリフは額面通りには受けとれないと、私は考えるようになった。彼が帰国してから、ほぼ11カ月分の精密な滞在日記を見せられて、書くことがほんとうにきらいならばこうはいかないだろうと思ったのである。 それから冒険行が重なるにつれて、彼の書くことへの執念をまざまざと見ることになった。どんなときでも、彼は日記をつけつづけた。と同時に、1972~3年のグリーンランド滞在、74年末からの『北極圏一万二千キロ』(文春文庫)の旅などでは、きびしい冒険行のなかで寸暇を見つけて手紙をくれた。
1 1968(昭和43)年10月1日、植村直己は足かけ5年に及ぶ世界放浪の旅から帰ってきた。64年5月初め、アルバイトでためた4万円(約110ドル)を手に海外に飛び出したのは、「ヨーロッパ・アルプスの氷河が一目見たかったからだった」と、植村はのちに語っている。 そしてその望みは十分に達成された。同じ年の暮れ、アルプスの麓にあるモルジンヌ村(フランス)のスキー場で仕事につくことができたからである。 植村はこのモルジンヌ村を根拠地として、モンブランやマッターホルンに単独登頂し、アフリカにひとりで遠征してケニヤ山やキリマンジャロにも登った。また、67年にはグリーンランド西海岸にまで旅をしている。68年にフランスを発って南米に渡った。南米最高峰アコンカグアの単独登頂に成功し、アマゾン川6000キロを筏で下るという大冒険をやってのけた。帰国の途次、アラスカに立ち寄って北米最高峰のマッキンリー単独登頂
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