「水戸黄門」に見る首尾一貫感覚の要素 首尾一貫感覚を考えるうえで、面白いヒントの1つになるのが『水戸黄門』などの時代劇ドラマです。 主人公の「ご隠居」黄門様は、全国津々浦々を旅しながら庶民の暮らしを見てまわっています。ところが、そんな旅先の村で、人々の平和な暮らしを壊そうとする悪代官などの悪政や悪行を目にすると、その実態を探るべく、ウラ事情をくまなく調査します(把握可能感)。 そのうえで、「助さん」「格さん」「風車の弥七」「うっかり八兵衛」といった「仲間と武器」をフル活用し、悪者たちを力でねじふせます(処理可能感)。その結果、正義が勝って悪は滅び、村に平和をとりもどせる(有意味感)という流れでストーリーがつくられています。 いわゆる勧善懲悪(善事をすすめ、悪事をこらしめる)ものと呼ばれるドラマや芝居のパターンですが、多くの作品が「首尾一貫感覚」の要素を満たすような構成になっていることは、と