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内田樹に関するslmのブックマーク (2)

  • エージェル - 内田樹の研究室

    ふと沢崎浩平先生のことを思い出した。 沢崎先生は私が助手をしていたときの東京都立大学の先生で19世紀文学が専門の方である。 授業と授業のあいまの休み時間に研究室の椅子に腰を下ろして、お茶を飲みながら長い時間、私を相手におしゃべりに興じたものである。 そのときにこんな話を聴いた。 沢崎先生が在外研究で一年間フランスに行っていたときの話。 先生が汽車で旅行していたとき、コンパートメントで相席になったフランス人に話しかけられた。 「汝は何国人であるか?」 「日人である」 「しからば、汝は仏国にいかなる目的で渡航されたのであるか?」 「フランス文学を研究するためである」 というような定型的なやりとりがあり、かのフランス人はさらに質問をスペシフィックなものにして、「汝はどのような仏国人の書物を愛読せるや?」と訊いてきた。 沢崎先生はそのころ集中的にロラン・バルトの著作を訳されていたところだったので

  • ようやく秋らしくなった - 内田樹の研究室

    言うまいと思えど今日も忙しい。 土曜は入試。 日曜は母と叔母を新神戸にお出迎えして、「明石海峡大橋が見たい」とおっしゃるので淡路島までドライブしてから舞子の宿に送り届け、そのあと山浩二画伯「死の淵より生還」奉祝麻雀大会(報告を怠っていたが、画伯は八月に心臓の手術をして、いまではペースメーカー装着の人なのである。画伯のそばで携帯電話を使ってはならぬよ)。 月曜日は会議のあとクリエイティヴ・ライティングの授業をして、それから三年生のゼミ宴会(なぜか一月ちょい遅れのバースデーパーティだったらしく、ゼミ生たちから「アンカ入れぬいぐるみ」と寄せ書きを頂く。よい子たちである)。 火曜日は朝、三宅先生のところに行って治療をしていただいてから、ゼミが二つ。その間に『婦人画報』の取材。独立してミシマ社代表取締役となったM島くんが遊びに来たので、いっしょにご飯をべる。 家に戻ると、前日が締め切りだった「女

    slm
    slm 2006/11/12
    >、「おのれの女性性をうまく処理できないでいる女性」をいきいきと造型することはかなりむずかしそうである。/おや誰もブクマしてないや。
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