三交(サンジャオ)のことは以前にも書きました。臨県の日本軍駐屯本部があったところです。行政区画でいうと、臨県三交鎮の中の三交と呼ばれている地域ですが、現在は5つの村の集合体で、臨県では2番目に大きな町です。人口は1万人ちょっと(?今度調べておきます)。 この町に最初に行ったのは、賀家湾に足を踏み入れるずっと前、磧口で暮らしていた頃です。なぜ三交へ行ったかというと、そこに、いわゆる日本人“残留婦人”をお母さんに持つ、崔さんという人がいたからです。3兄弟が今も三交で暮らしています。 彼らのお父さんの崔さんは、三交の人ですが、強制連行されて遼寧省の撫順炭鉱で働かされていた間に終戦になりました。一方、石川県から家族上げて“満州”にやってきていたお母さんの家族は、帰り損ねて、やはり炭鉱で働くようになり、やがて、そのお母さんになる人だけが残って、他の人たちは全員引き揚げたのです。もっとも、後に知ったと