科学的な立証とは 定説が定説である所以は、先に書いたとおり、無数の批判・検証にさらされて、無数の論拠を持つことによる。 それらを、たった一個でチャラにするような銀の弾丸がある、とは、通常、考えにくい。 もしも、「この事実αさえ立証すれば、定説Aは崩れ去る」みたいなものがあれば、その事実αは既に何重にも検証、検討されているはずである。 トンデモと科学を分けるもの - 東浩紀の文章を批評する日記 先日のエントリーで、このように書いた。 科学というのは、自己批判によって成り立っている。科学において、説を立証したり強化したりする、ということは、それを様々な角度から批判することと同じである。 なので、科学者は新しい説を立証しようと思ったら、自分で自説を思い切り批判するところから始める。 想定されるあらゆる角度から「この説が正しかったら、ここはこうなるはずだけど、実際どうよ?」というのを自分で積み上げ