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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (5)

  • イースⅠ・Ⅱ通史(12):Ⅱの開発は続く | Colorful Pieces of Game

    今回は、1987年7-8月あたりの話になる。 前回、イースⅡの開発が始まったとき、天空に行く以外のネタは何も残っていなかったコト、テストマップとしてムーンドリアの廃墟を作り、そこで魔法が登場し、聖域という案を思いつくのと同時ぐらいでランスの村を作っていた、なんとリリアはドットが先でキャラクタが後だったなんて話を書いた。 少し追記しておくと、PC88SRのALUによる合成を画面外でやるイース方式ではソフトウェアスプライトの数に重大な制限があり、アドル+3体のキャラクタだけだった。山根はイース1で3体を少しでも多く見せたくて、ミネアの街では双子を作った。そして大浦君は3体しかいない動けるキャラの1つをリリアにしたわけである。だからミネアの街のレアは街の固定キャラだし、イースⅡの医者も移動できないわけだ。 コンテを描き、リリアのキャラクタを描いたはずの山根は木屋さんに取っ捕まって『ソーサリアン』

    snaflot
    snaflot 2019/05/25
  • ダームとピーターパン::Colorful Pieces of Game

    と、たったこんだけで、実に簡単な方針だ。 この方針はCDROMのいい所だけを見せて、悪い所は見せないためのものだけど、実際に作るうえで、特に重視していたのがオープニングだった。 バカ高いCDROM(全部合わせて当時の物価で85000円だ)を買ってよかったと思ってもらうためには、オープニングで何がなんでも心をつかむ必要がある。 ハリウッドの格言にあるという「火事で始めて、地震へもってけ」というヤツだ。 (この格言をどこで覚えたのか、未だ思い出せないのだけど…そもそもハリウッドなのかも不明である) 実際にどうするかも決めていて、オープニングでド派手なCD音源の曲が鳴って、スペクタクルな感じのイースのデモが始まって、ナレーションがかぶされば、当時のゲームマシンと比較して、CDROMの持っている絶対的な武器、具体的にはCDオーディオ・使い捨てできる容量・音声が全部出ることになる。 これが、ユーザー

    snaflot
    snaflot 2015/10/08
  • 桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(1)::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(1)::Colorful Pieces of Game
  • 桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(5)::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(5)::Colorful Pieces of Game
    snaflot
    snaflot 2015/07/13
  • 俺様の最強ゲームを求め…ちゃいけない::Colorful Pieces of Game

    というネタになり「あー俺はそれで社内のレビューで死んだ」だの「俺はさんざんだった」だので、みんなで笑い転げていた。 もちろん、僕もやった。 自分のプロのデビュー作の『凄ノ王伝説』は、まさしく「僕のさいきょーRPG」だった。 ただあるあると、少し違うのが売上と評価で、ラッキーなことに、当時(1988-89)はRPGブームのどまんなかで、しかもまだまだRPGは黎明期で、(ありがたいことに!)質も高くなく、そしてとりわけPCエンジンではRPGが少なかったのもあり、それなりの評価はもらえたし、売上もそれなりは出た(らしい)…とはいっても、出来たゲームそれ自体は、俺のさいきょーゲームでしかなかったのは間違いなく、ほんの少しあとに出たとか、ハドソン以外から出たとか、ちょっと条件が悪くなっただけで、売れなくなった作品だと思っている。 どうしてそんなことをやってしまうのか? 答えはとても簡単だと思っている

    snaflot
    snaflot 2015/07/05
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