本は紙でできている。当たり前のことだが、本に触れるということは、紙に触れるということだ。 草森紳一先生の蔵書整理をやって、一番よかったと思うのは、何千冊にも及ぶ本を、実際に手にとることができた、ということだ。特に、リスト入力の作業では、奥付を見るために、必ずページを繰らなくてはならない。指先に、紙の感触を感じるのである。 そうやって、指先に残る記憶をたどってみるとき、印象深いのは、戦後まもなくに出た本の感触だ。 この時期の書籍用紙の多くは、現在、ぼくたちが日常的に接している書籍用紙とは、ぜんぜん違う。洋紙というよりは、和紙に近い。表面はザラザラだし、それほど薄いわけでもないのに、向こうが透けて見えそうな気がする。 いかにも、物資が乏しかった時代らしい雰囲気だ。 でも、耐久性という意味では、戦前の書籍用紙よりはすぐれているのではないだろうか。戦前の本の紙は、少なくとも、裏ページが透けて見えた
→紀伊國屋書店で購入 「この本は、歩きしゃべり耳を傾ける「書物」である」 「書物」のことをあまりになにも知らないし、買って読んだ本のこともほとんど頭に残っていないし、それでいったい私は「本」の、何がどう好きだというのだろうと思うのだ。それでもやっぱり「書物」についての本は手元にしたくて、そしてたいてい読み終えたある時に、静かに後ろ手で書斎の扉を閉じられるような、そんな気分が残るのだ。 今福龍太さんの『身体としての書物』も、もくじに並ぶアルドゥス、ボルヘス、ジャベス、ベンヤミン、グリッサンなどの文字や、表紙カバーの袖に刷られた《世界のなかに私が住むこと。そして世界のなかに書物が存在すること。この二つの事実の偶然の関わりをめぐる、限りある消息をさまざまに探求することが、本書のテクストとして再現された講義の目的であった。》にたちまちひかれてページをめくる。 だが読み終えて聞こえてきたのは扉を閉じ
→紀伊國屋書店で購入 「消えたのに忘れることができない道具を巡って」 明治生まれのおじいちゃんの遺品を整理していた友人が言った。「おじいちゃんと一緒に暮らしていたころは食卓に家族それぞれの箸箱を置いていた。大切にしていたんだけれど、いつのまになくなったんだろう」。私にとっては箸箱なんて子どものころにお弁当に持っていったくらいで、しかもたしかパティ&ジミー柄のプラスチックのものだった。という話をしたら、その家ではおじいちゃんが木でそれぞれの箸入れを手作りしてくれたのだと言う。大きさや柄もばらばらで名前も彫ってあったそうだからさぞや大切なものだったろうし、だからこそその家の特別に素敵な思い出だと思っていた。 山口昌伴さんが『季刊道具学』(道具学会)で連載していた「くらしの道具小事典・消えた道具たち——そして失ったもの」をまとめた『ちょっと昔の道具から見なおす住まい方』に、その箸箱が出てくる。山
書籍編集者はいつも、担当した本が店頭で平積みになっている風景を夢見ながら、仕事をするものだ。その絵の中では、帯はとても重要な宣伝媒体である。パッと見た瞬間に、「おもしろそうだ!」と脳を刺激して、思わず手にとってあわよくばレジまで持って行きたくなるような、そんな帯が理想的だ。 では、1000万人の脳髄を支配するような帯を目指しているのかというと、必ずしもそうではない。本には、本の性格というものがある。万人に愛されることだけが、幸せではない。恋愛と同じだ。その本を必要としてくれている人たちは必ずいる。たとえ1000部しか売れなくても、そういう人たちにきちんと届けば、それで使命を果たせる本なんて、世の中にいくらでもあるのだ。 そういう点で、この本の帯は、どうなのだろう? 小林豊『橋の旅』。1976年、白川書院刊。A5判上製箱入り。表紙は紙クロスだが角背、箱は分厚いボール紙でできた、堅牢な造本であ
スゴい本棚を見るとウラヤマシイが、素直に言えない俺ガイル。 「ふんだ、どうせ死ぬまでに読みきれないでしょうしー」とかツンデレぽく腐してみるものの、やっかみにしか聞こえないね。図書館パワーユーザーの看板はおいそれと下ろせないので、こうして人さまの本棚でガマンすることになる。 まずヒヨコ舎の「本棚2」がいい。 本を糧にして生計を立てている人たちの本棚は、やっぱりスゴい。物量だけでなく、その人の「色」がよく見える。図書館や書店は、よくも悪くも最大公約数的な選書をしているのと好対照を成している。 たとえば、どう見ても古本屋の倉庫にしか見えない岡崎武志の本棚群は必見。氏に言わせると、「捨て犬を連れて帰るって感じ」なんだそうな。「それでこんなふうになっちゃったんですね」と次ページの本の洪水を見ると、嫁子がかわいそうに思えてくる("逆"なのかもしれないが)。 それから、COCOさんとこのは危険だ。SFS
ドイツ語版(既刊),英語版(未刊).に続いて,来年2月に実現しそうです. 急に決まってきました.ぼくが監修っということになります. 本来はLinoの小林さんがやられるのですが,お忙しいのでぼくとなりました. この本は『HELVETICA HOMAGE TO A TYPEFACE』(小さい赤い本)と違って,本文の内容をきちんと理解していただきたい本ですので,和訳の質の向上は重大な任務です.全力を尽くして,がんばります...また,Alfred Hoffmann(haas)氏にまたお会いしてきたいと思っています. 見れば見るほど,今までにない本です. 世界の人気者Helveticaの魂がここにあります. == Lars Mullerの2冊のHelveticaに関わるとは,なんとふしぎ. あの小さい本に載っていた日本の状況写真はぼく.Larsに頼まれて...とっさに撮ってメール添付で送りました.あ
今年で60周年を迎える国立国会図書館。昨年度から第14代館長を務める長尾真館長は、年初に「長尾ビジョン」なる指針を発表した。「知識はわれらを豊かにする」という標語のもと、具体的に図書館が取り組む事柄7項目を高らかに宣誓し、国立国会図書館の決意を内外に知らしめたこの「長尾ビジョン」。その真意はどこにあったのか、そして長尾館長の目指すものとは──「LEGGO」案内人である空間デザイナー・李明喜さんがインタビューを行った。 李:今日は対談とは言いましても、ほとんど僕のほうから聞かせていただくことになると思います(笑)。 長尾:何でも聞いて下さい(笑)。 李:僕は空間を作っていますが、空間を「コミュニケーションが起こりうる環境」と捉えています。それゆえ、サーフェイスデザインとしての建築やインテリアにはあまり興味がなく、空間のデザインを通しての認知や知覚、言語等に興味を持って考察しています。それらを
本を読まない人間 ↑のエントリを読んでの感想。 僕は物心ついたときからたくさん本を読んできましたが、高校生くらいまでは、ものすごく疑問だったんですよ。 いわゆる「お年寄り」がなぜ本を読むのだろう?って。 だって、死が迫ってきても新しい知識を得ようとするのって、無駄じゃないとしても効率が悪いじゃないですか。恋愛小説を読んでも、それが「活かせる」とは限らないし…… まあ、年を重ねるにつれ、「再確認するための読書」というものの存在もわかるようになってきましたし、本を読んで泣いてしまう機会も増えてきました。 いわく、「実体験から積み上げたものじゃないと信用できないよ」 これはどうかと思う。ただ、生活に生かせない読書をしてもしょうがない、というのであれば、まあ一理あるかもしれない。 寺山修司的に言えば、「書を捨てよ、町に出よう」というのが「正しい」のだと僕も考えていた時代があったのですけど、「読書」
観覧用の展示図録を 博物館や美術館で作品や文化遺産を見る時、重要なガイドとなるのが、展示図録です。以前の記事「展覧会のための必備アイテム」で、展示図録を観覧前に購入して、その写真と実物を比較しながら、気づいたことを、書き込むとよい、と書きました。 ところが、2004年頃から、展示図録が、国立の博物館を中心に、質量ともに充実したものとなり、手に持って観覧することが、難しくなってきています。 カラーの図版も豊富になり、しかも拡大写真なども多く含まれています。観覧後、自宅に帰って、今日見た作品を、もう一度じっくりと味わい、また文化遺産を、自分なりに研究するためには、大変有益な書物と言えます。 また最新の研究成果を記した、研究者の論文も収録されています。展示図録は、専門書や学術雑誌と並んで、最先端の研究成果が示された、必読の文献ともなっています。 しかし、その分、大きさは、A4判変形(縦30cm、
祖父江慎さん率いるコズフィッシュは、年間数十本の仕事を同時進行させる超多忙なデザイン事務所です。 まるで乱丁本のような『伝染るんです。』など、常識破りで印刷会社泣かせともいわれる装丁が有名です。事務所は入口から作業場に至るまでほとんどが本棚。夏目漱石の『坊ちゃん』をはじめとする古書コレクションや資料が整然と並んでいます。奇抜かつ卓越したデザインの発想と実現力は、本作りの歴史や印刷工程に対する深い知識と愛情に裏打ちされています。祖父江さんはブックデザインについて、「本の内容にふさわしいカタチを見つけて、巫女さんのように降ろしてあげること」と例えたりします。 今回「降ろして」いただくご相談をしたのは、展覧会の図録。18世紀後半、思想家でデザイナーのウィリアム・モリスがリードし、日々の暮らしに美意識を持ち込んだデザイン運動を大々的に紹介する「アーツ&クラフツ展」です。家具、食器、デザインなど、今
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
このサイトは、平成15年に公開した「蔵書印の世界」をリニューアルしたものです。内容は当時の記述に基づいています。従来のサイトは、国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(WARP)でご覧いただけます。 蔵書印は、書物の所蔵を明らかにするために蔵書に捺した印影です。中国で早くに発生し、それが日本に伝わってきたとされています。しかし、日本最古の蔵書印は奈良時代にまで遡ることができますが、いつ、どのように伝わったかは明らかでありません。ともあれ、以来、江戸時代中期までは社寺や特権階層の者など、極めて限られた人々しか使用することはありませんでした。ところが書物が一般に流通するようになると、学者や文人の蔵書家が出現し、趣向を凝らした多種多様な蔵書印が考案され、用いられるようになりました。 蔵書印にはさまざまな形態があり、それらを使用した時代や機関の種類、個人であれば職業、身分などによってそれぞれ
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