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仕事と社会に関するsoleil266564のブックマーク (22)

  • 相手の「ニード」を「ニーズ」に変える、という考え方に鮮烈な印象を覚えた話。

    少し前に読み終えた「Todoリストは捨てていい」というが、私に様々な良いインスピレーションを与えてくれています。 仕事をすることに色々なストレスを感じ、それに悩んでいるという方には是非手にとってみて欲しい一冊です。 あまりに素晴らしいなのでお伝えしたいことは山ほどあるのですが、ここでは特に個人的に大きな発見となった「相手のニードとニーズを変える」という話について触れてみたいと思います。 皆さんは「ニードとニーズの違いを教えてください。」と聞かれたらなんと答えるでしょうか? 「ニーズはニードの複数形。」 ChatGPTやパープレ君に頼らないという条件下では、この程度の回答しかできない人も多いのではないでしょうか? 恥ずかしながら私はそうでした。 そして「その意味」にしても「複数形」という違いがあるだけでどちらも変わらないものと捉えていたのです。 相手の「必要」に応えるのはウルトラ大事であ

    相手の「ニード」を「ニーズ」に変える、という考え方に鮮烈な印象を覚えた話。
    soleil266564
    soleil266564 2024/09/04
    この考え方を知ると「相手のニーズに応える」が如何におかしなことが分かるかと思います。本当に、もっと早くにしれたらよかったです。
  • 大事なことは美しく見える角度(黄金視)を追求していくこと。

    先日、NHKオンデマンドでヒューマニエンス 40億年のたくらみ「“左と右” 生命を左右するミステリー」という回を観た。 この回、興味深い話のオンパレードだったのだが、中でも特に個人的に印象に残ったのが「左側を見せたがる人類」という話題だった。 以下、その内容をダイジェストでご紹介したい。 ・脳の右側が、顔の左の表情の筋肉を動かすことで、表情が生まれてくる ・人は左右の腕と同じように、表情までも右脳と左脳で使い分けている ・モナリザをはじめとしたフェルメールの代表作、16世紀頃からの著名な絵画作品1,474作枚を調査した研究では、肖像画の68%が左側の顔を見せるポーズをとっていた ・「言葉を脳の左側で扱う」のなら、「コミュニケーションは分業して脳の右側で扱う」のは決して不合理な選択ではない ・逆に「権威や知性」を見せたい場合は、表情が現れない顔の右側を向ける傾向がある さて、いかがだろうか?

    大事なことは美しく見える角度(黄金視)を追求していくこと。
  • あらためて、自分が間違っていると思った場合には、きちんと「ごめんなさい」が言える人でありたいと強く思った話。

    あらためて、自分が間違っていると思った場合には、きちんと「ごめんなさい」が言える人でありたいと強く思った話。 この季節になるとSNS(私の観測範囲では特にX)上に「新入社員の方々に向けた投稿」が雨後の筍のように登場する。 このミームのようなものが私は結構好きだ。 2年前のこの時期に書いた以下の記事はそんな流れに乗って書いた。 社会人になったばかりの頃、悪くもないのに「すみません」と言わないこと、と教わった。 知りもしない方々から様々なことを言われて、新入社員の方からすれば「寄ってたかって、うっせーよ」「余計なお世話だよ」なのかもしれないが・・・・ 今年私が見かけた投稿の中で強く印象に残ったものがあった。 それがこちらである。 私の好きな『諸君!この人生大変なんだ』の一節。4月になるといつも思い出す。 「ごめんなさい」がきちんと言える人、もっと言うと立場にかかわらず訂正できる人が一番強い。

    あらためて、自分が間違っていると思った場合には、きちんと「ごめんなさい」が言える人でありたいと強く思った話。
  • 「ついでに〜する」という行為は、できるだけ取りたくないという話。

    時折「このためだけに来たんですか?」と聞かれることがある。 今年に入ってからもすでに3度あった。 どういうシチュエーションかもう少し詳しく書きたい。 私が住んでいるところは狭山茶発祥の地で知られる地域で、まあまあ交通の便が悪い。 最寄りの駅までは一番近いところで車で10分〜15分(数が少ない)、よく使う駅までは車で25分〜30分。 そんな場所から新宿や渋谷などの都心部に出ようと思うと、賞味、往復3時間〜3.5時間くらいかかる。 ゆえにお会いした人が「このためだけに来たんですか?」と聞くのだろう。 これに対して「そうです」と私が答えるとたいていの場合で驚かれる。 その方の頭の中に「きっと他の予定や用事と組み合わせて来ているのだろう」という想定があるからなのかもしれない。 しかし、このためだけに来ている私からすれば「そうです」と答える他に選択肢はないのだ。 そして、この一般的には非効率的と思

    「ついでに〜する」という行為は、できるだけ取りたくないという話。
  • 新しい視点を獲得し、それを養うことの重要性を今あらためて実感している。|RANGER

    唐突ですが、ここ1ヶ月の間で新しく私に養われた「視点(物事の見方)」を抜粋してご紹介するところから話をさせていただきます。 神は完成を急がない 諸君 明日はもっといい仕事をしよう これは生前のアントニ・ガウディが「1日の終わりに共に働く仲間たちに毎日のように語りかけていた言葉」だそうです。 相手に触発されて、おもいもかけないことをしゃべってしまう その新鮮な感動が、対談や座談会に出席することの魅力なのである 私が大好きな山好きの文化人類学者梅棹忠夫さんは対談や座談会に出席することの魅力をこのように語っています。 収穫することに意識を支配されていると「現在」を失います 「現在」に意識がないと、時間がないと感じます こちらはタスクシュート協会理事のJさんが明らかにした「現在」と「時間がない」の関係性について。 最近、東さんの「訂正する力」を読んでいるのですが、書の中に出てくる以下も最近得た新

    新しい視点を獲得し、それを養うことの重要性を今あらためて実感している。|RANGER
  • 「人は名前を付けることで、新しい概念について向き合い、ちゃんと考察できるようになる」という確信がさらに強まった。

    「人は名前を付けることで、新しい概念について向き合い、ちゃんと考察できるようになる」という確信がさらに強まった。 人は名前を付けることで、新しい概念について向き合い、ちゃんと考察できるようになる。 これは私が今日までの仕事人生を通して得てきた確信の一つである。 それゆえ、クライアントワークでは当然のことながら、個人的に行うプロジェクトでも名前を生み出すことにこだわってきた。 参照:やりたいと思ったことをやる時に採用している「プロジェクトデザイン思考」についての話。 そして最近になってこの確信がさらに強まるウルトラ刺激的な経験をした。 ということで今回はこの経験について書いてみたい。 北海道浦河町べてるの家の見学に行ってきた つい先日のことだ。 私は運営に携わっているコミュニティの企画で、北海道浦河町にある「べてるの家」というところに行ってきた。 福祉・医療の分野にいる人であれば知っている人

    「人は名前を付けることで、新しい概念について向き合い、ちゃんと考察できるようになる」という確信がさらに強まった。
  • 私の琴線に触れた「俺はお前の居場所になんてものになれやしないけど、お前の居場所には俺がいつだって行ってやれるよ」という考え方。

    私の琴線に触れた「俺はお前の居場所になんてものになれやしないけど、お前の居場所には俺がいつだって行ってやれるよ」という考え方。 先日コミュニティを運営していく上で極めて重要だと思える「考え方」に出会いました。 記事はその考え方について思うところを書いたものです。 書きたいことを最初にまとめてしまうと以下のようなものになります。 ・今絶賛放送中の土曜ドラマ「最高の教師」は強くオススメしたいドラマ ・「最高の教師」第4話の視聴中に琴線に触れる考え方に出会った ・その考え方は、俳優の窪塚洋介さんの息子・窪塚愛流さん演じる楢原という高校生のもので「俺はお前の居場所になんてものになれやしないけど、お前の居場所には俺がいつだって行ってやれるよ」というもの ・ある人が自分の居場所を実感するために最も重要な要素は「相手の居るところまで行って、相手の存在を認めてあげられる人の存在」 ・「相手の居場所に行く

    私の琴線に触れた「俺はお前の居場所になんてものになれやしないけど、お前の居場所には俺がいつだって行ってやれるよ」という考え方。
  • 「人は今の自分を助けてくれるものに、お金と時間を払う」という原理についての話。

    新卒入社した会社がマーケティング会社だったことが影響してだとは思うが、私には「どういうものに人はお金と時間を払うのだろうか?」について考える癖がある。 なぜならば、それを知ることが必要とされる商品やサービスの開発、ひいては事業を生み出すことにつながるからだ。 ビジネスパーソンからすれば当然のことすぎる話をしているのは重々承知の上で書いている。 マーケティング会社にいた頃は、それを知るためにインタビュー調査を行ったり、インターネットによる定量調査を行いよく分析をしたりした。 並行して、自分が買った商品や時間を使ったサービスについて「なぜお金を払ったのか?」「なぜ時間を使ったのか?」ということもよく考えた。 このような行動や思考の中から見えてくるものは多々あり、それが実際に企業の商品やサービス開発の役に立ったり、人生のQOLを高めることに繋がった経験は多い。 しかし、マーケティング会社にいた頃

    「人は今の自分を助けてくれるものに、お金と時間を払う」という原理についての話。
  • ChatGPTが普及した社会において「賢いと見なされる人」について考えた。

    今年に入ってから生成系AIChatGPT」に関連した話題が爆増している中、個人的に特に目に留まったtogetterがあった。 ChatGPTのせいで子供たちがバカになるのでは?という疑問→未来では必要とされる〝賢さ〟の性質がたぶん変わる もしかすると目にした人もいるかもしれないが、以下にダイジェストして記載したい。 「ChatGPTのせいで子供たちがバカになるのでは?」という疑問に対しては、未来では必要とされる「賢さ」の性質がたぶん変わるという予想。 ↓ というのも、ベストセラー「銃・病原菌・鉄」で、ジャレド・ダイヤモンドは「パプアニューギニアの先住民は別にバカじゃない」という話をしている。 ↓ 先住民たちはハーバード大学には入れないかも知れないが、自分が暮らす森の詳細な地図を脳内で作っているし動物の痕跡から狩りの計画を立てて実行することができる。 ↓ 先住民たちは「森の中での生活」を

    ChatGPTが普及した社会において「賢いと見なされる人」について考えた。
  • 「ChatGPTは仕事のどの部分のスピードを上げてくれているのか?」について今思うこと。

    あらためて言うまでもなく今「生成系人工知能(Generative AI)」が大変かまびすしい。 具体的には、ChatGPT, BingAI, Midjourney, Stable Diffusionなどのインターネット上に存在する既存の文章やイメージを大量に機械学習し、これに強化学習を組み合わせるなどして、一定レベルのクオリティの文章や画像を生成するシステムのことだ。 いずれも触ってみればその威力は瞬時に分かる。 インターネット、スマホが現代社会において当たり前となっているように、半年後、1年後には生成系人工知能が当たり前となっている社会の解像度は高い。 「大変革の時を迎えている」というのはこういう時こそ使うべき表現なのだろう。 かくいう私も生成系人工知能に日々触れており、Midjourney、StableDiffusionからはじまり、現在特に触っているのは絶賛話題のLLM「ChatGP

    「ChatGPTは仕事のどの部分のスピードを上げてくれているのか?」について今思うこと。
  • 日本の減点主義とそこからくる自己肯定感の低さを前にしてやろうと思うこと。RANGER

    子供の頃から親の高い期待を背負って生きてきた、という人に時々出会うことがある。 その人たちは、今や客観視してそのことを自分で積極的に話せるようになっているから、私がそのことを知るに至るわけなのだが、中にはその名残とも言える見えない期待に未だに縛られていて、それにあがいているように見える人もいる。 子供の頃の影響は大きいものだとあらためて思う。 子供にとって、親の思いは概ね素晴らしく有難いものではあるのだが、この親の思いによって縛られて知らず知らずの内に自分らしさを抑えられることもしばしばあるものだ。 かくいう私も、私も親の期待を背負わされそうになったひとりである。 親にどこからか来た理想があって、その理想に対して常に足りてないことを指摘されて、それを埋め合わせる日々になっていた時期もあった。 いいところは当たり前だから褒めないし、褒められる側もできていることを褒められるとどうもこそばゆい。

    日本の減点主義とそこからくる自己肯定感の低さを前にしてやろうと思うこと。RANGER
  • 大きいものに屈しはしない。~あまのじゃくのすすめ~幅を愉しむWebメディア RANGER

    人は常に大きいものに憧れて、その大きさに安心や権威を感じるものだ。 体が大きい人に対しては、危険を避けるため従順であらねばならないと感じるし、大きい車を所有している人を見るとお金持ちだと思い、勝手に引け目を感じたりする。 私の父親は、買い物に迷った時に「大は小を兼ねる」という言葉に頼って決断していた。 この口癖に子供の頃の私は違和感を覚えた。 「大」がいいとは一概に言えないだろう。 反意のことわざに「畳針で着物は縫えぬ」というのもある。 ことわざを学ぶことが無意味だと思い始めたのは、このようなところからだったかもしれない。 学生の頃は、大企業こそが安定していて良い選択である、という多勢の声を疑うことはなかった。 今では、一概によい選択だとは言えないと実感するようになった。 親はまた、あまのじゃく(天邪鬼)という言葉をしばしば私に使うことがあった。 あまのじゃくとは、ひねくれた性格という意味

    大きいものに屈しはしない。~あまのじゃくのすすめ~幅を愉しむWebメディア RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/25
    従順で素直であることは、支配されているということだから、実は不健全で不健康なのである。独立したあまのじゃくであることが、健全で健康なのだ。
  • 「面倒くさい」を乗り越えるために、本当に重要なことは「幸せでいる」ことだった。

    最近読んでいたの中で、私にとって遥かに大きな発見となったことの一つが「幸せは、めんどくさいを乗り越えるための精神的な原資」というものである。 生きていると「面倒くさいなあ」と思うことに多々遭遇する。 経験上、仕事において言えば、面倒くさいことを実行することが求められる場面は非常に多い。 そして、成果とはこういうものを積み重ねていった先にようやく現れるものだ。 したがって「面倒くさいはどうすれば乗り越えやすくなるのか?」は、私の人生において長らくの間、大きな関心毎の一つとなってきた。 以前、こうした背景から下のような記事を書いたこともあった。 参照:「面倒くさい」という「老化」の原因に立ち向かう手段は、色々とありそうなことが分かってきた話。 私の知る限り、多くの場合「面倒くさい」が行動しない理由の「音」だ。 掃除をしないのは、面倒くさいから。 発信をしないのは、面倒くさいから。 運動しな

    「面倒くさい」を乗り越えるために、本当に重要なことは「幸せでいる」ことだった。
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/12
    新しく書いた記事です。以前から「幸せ」はよりよく生きる上で重要な概念だと認識していましたが、まさか、予測不可能な時代を生き抜くための精神的な原資になってくるとは。
  • 「全く最近の若いもんは・・・」はヤバイ

    いつかオッサンになったら、私も「全く最近の若いもんは・・・」と言うのだと思っていた。 何しろこの言葉、かの有名な兼好法師の徒然草にも、こんなことが書かれているくらいである。 「近頃の親は、子どもに変な名前をつけて喜んでいるようだが、全く無益である」*1 今でいう、キラキラネームへの苦言と言ったところだろうか。 徒然草が編まれたのは14世紀はじめのことなので、実に700年も前の知識人ですら「全く最近の若いもんは・・・」と愚痴をこぼしていたのである。 エジプトのピラミッドにもそのようなことが書かれていたという俗説を聞いたこともあるが、それが当であれば、実に4000~5000年前まで遡れてしまうではないか。 その真偽はともかく、要するにはるか昔からオッサンたちは、「全く最近の若いもんは・・・」と言い続けてきたことだけは間違いなさそうだ。 しかし私はというと、情けないことに何歳になっても「最近の

    「全く最近の若いもんは・・・」はヤバイ
    soleil266564
    soleil266564 2021/12/28
    「全く最近の若いもんは・・・」は、自分が統制できない誰かの行動や価値観に対するストレスの現れ。もしくは、自分には使いこなせない新しい価値観に対する、無意味な遠吠え。
  • 「当事者経験」は、見える世界の見方をガラリと変えることがある。

    最近、大好きな「ジャンプ+」に期待の漫画が立ち現れた。 知っている人も多いだろう。 「サラダ・ヴァイキング」である。 第一話を乱暴に要約すれば、 「地球の命をすべてい尽くしてやる!」という目的で、地球の外からやってきた狩猟生命体である主人公レオが、ひょんなことから「野菜」をべることになり、その美味さにぶったまげて畑をはじめる、という具合になるだろう。 直感的に現代にふさわしい企画、テーマ設定だと感じた。 個人的に刺さったのは、野菜を「地を這う草」程度のものとして舐めきっていた主人公レオが野菜をべた時の感想である。 キュウリをべた時のレオの感想 なんだこの瑞々しさは・・・どこにこんな水分が隠れているんだ? この清涼感・・・ 日差して火照った体を内側から癒やしてくれる・・・ そしてなによりこの心地いい歯応え・・・ 味覚だけではない・・・咀嚼音・・・ 聴覚も至福を感じている・・・ (出典

    「当事者経験」は、見える世界の見方をガラリと変えることがある。
  • 一人の女性と出会って「人生に遅すぎることはない」と思った話。

    10月に私が運営しているとある講座(フィールドワーク)で、一人の傑出した50代の女性に出会った。 その人は、私が知っている誰とも繋がりのない全く初めての方だった。 彼女と他数人に、現地まで私の車に同乗してもらうのが合理的という考えに至り、お互いに初対面だったが行きの車から行動を共にさせてもらった。 先に結論を言ってしまうと、私はその女性に同乗していただいて心の底から良かったと思っている。 行きの2時間弱の車の中で、彼女の口から出て来た話で最も驚いたのが「50歳になってから鍼灸師になった」というものだ。 聞くと、それ以前は「異文化コミュニケーション」に関連する仕事をされていたという。 50歳になった時、思い立った彼女は「東洋医療/鍼灸」の専門知識と技術が学べる学校へ入学。 そして「はり師・きゅう師・あん摩指圧マッサージ師」の国家資格を取得するに至った。 その後、在学中に知り合った男性と二人で

    一人の女性と出会って「人生に遅すぎることはない」と思った話。
    soleil266564
    soleil266564 2021/11/17
    人生に遅すぎることはない。50歳でも、60歳からでも新しい出発はある。
  • 人生には、自分の身の回りに「意味のイノベーション」を起こす、という面白みもある。RANGER

    人間は「意味」を求める存在 昔、私が勤務していたマーケティングファームには凄腕の顧問がいた。 その方は、レクサスの日市場導入など、今ではよく知られる商品やサービスのプロジェクトを担当してきた経験を持つ戦略コンサルタントだった。 「わかりやすい語り口」と「圧倒的な話の面白さ」は、クライアントからも大変好評で、隣にいると私も学ぶことが当に多かった。 そんな顧問からよく指摘されたことの一つに、 「言っている意味がよく分からない」 というのがあった。 このフレーズ、社会人であれば上司や先輩から一度や二度言われたこともある人もいるだろう。 私においては一度や二度では済まなかった。 しかし「言っている意味が分からない」というのはその通りなのだが、自分が否定されているような感覚でいい気分ではなかった。 でもだからと言って、説明を放棄するようなことはせず意味を分かってもらえるように努力は重ねた。 「仕

    人生には、自分の身の回りに「意味のイノベーション」を起こす、という面白みもある。RANGER
  • 良い人間関係を作るコツ。それは「想像力と愛」だった、という話。RANGER

    何事も「コツ」を掴むと上手になる。 ・逆上がりは「脇をしめ、腕を曲げて、おなかを鉄棒に近づける感覚」を意識して掴むことができれば急にできるようになる ・「家の中のすべてのモノが戻る場所」を明確に決めておけば、知らない内に部屋が散らかることはなくなる ・会話は「「相手」が聞きたいことを話し「相手」が話したいことを聞く」こと意識すればスムーズに進めることができる 「逆上がり」「掃除」「会話」を例に出したが、思うに「コツ」とは 「今まであまり上手くできなかったものが、その感覚を掴むと上手くできるようになるポイント」のことである。 そして、こういう「コツ」は何事にも存在している。 世の中には、そのコツを掴んでいる人とそうでない人が存在しているだけなのだろう。 だが、コツは漢字で「骨」と書くように、何事の質、深層部にあるというか、すぐに分かるようにはできていない。 目に入るものの多くはやはり骨を覆

    良い人間関係を作るコツ。それは「想像力と愛」だった、という話。RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2021/09/30
    「想像力と愛」はあらゆることに応用ができ、総じて人間関係を良くしてくれる素晴らしいコツだと思う。
  • 「沈黙の期間」が「自分だけの愉しさ」を確固たるものにする、という話。RANGER

    先日、以下の記事を読んだ。 人生で真に有用な能力は、カネを作る能力ではなく、「手元にあるもので楽しむ能力」 例えば、「フロー理論」で知られる、ミハイ・チクセントミハイは、その著書「フロー体験 喜びの現象学」の中で、面白さを見つける能力に長けた人物を紹介しています。 その人物は、鉄道車両を組み立てる南シカゴの工場で働く、「ジョー」と呼ばれる六十代の溶接工。 彼の職場はひどい状態でした。 夏は猛暑、冬は過酷な寒さ。騒音もひどい。 そして、彼は昇進の誘いをすべて断り、工場の階層の最低のところにとどまっていました。 しかしジョーはその仕事すべてをとても楽しんでいました。 正規の訓練は受けておらず、学歴も小学校までしかない彼でしたが、彼は発見の魅力にとりつかれ、工場の機械を探求していました。 結果として、誰もがジョーを知っていて重要な人物だと感じていました。 彼は工場のすべての操業過程を理解し故障し

    「沈黙の期間」が「自分だけの愉しさ」を確固たるものにする、という話。RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2021/08/13
    自分だけの愉しさが確立する前に、他者の意見をもらってしまうと無駄に脳のリソースを喰ったり、無駄に感情に惑わされたりもしてしまう。
  • 「人生一生自己紹介」を「アウトプット中心の生き方」だと捉えたら、腹に落ちた話。RANGER

    人生一生自己紹介」 これは私が昔お世話になった経営者の方の「座右の銘」だ。 その方から、この言葉を教えていただいたのは今から10年以上も前になる。 若干うろ覚えだが、確かこんな具合の説明を受けた。 「今日きちんと自分を紹介できて、明日、今日よりもうまく自己紹介ができるようになる事が大切」 「自己紹介なんて面接の時くらいしかないと思うかもしれないが、仕事では毎日だ」 「社長なんて一日中自己紹介している」 「ある時は自分を、ある時は会社を、ある時は商品を売っていかなきゃいけないから」 ということだったが、当時まだ社会人経験が少なかった私には、なんとなーく分かる程度でその説明を聞いてもいまいちピンと来ていなかった。 むしろ「人生一生自己紹介」という言葉に対して、 「言ってもそんな自己紹介する機会あります?」 「それはちょっと大袈裟では?」 といった考えが先行していたことは、隠すつもりも毛頭ない

    「人生一生自己紹介」を「アウトプット中心の生き方」だと捉えたら、腹に落ちた話。RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2021/07/21
    「最初の自己紹介」は「自己紹介のはじまり」と捉えるのが本質的。