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自分に関するsoleil266564のブックマーク (27)

  • 自分を敢えて矛盾状態に置くことで、抑制と作為からの解放を試みる。RANGER

    振り返れば、このブログでは自由とか独立とかといった言葉をよく使っている。 そんな言葉が繰り返されるのは、自分という者がこれまでよっぽど不自由してきたことの現れとしか考えられない。 自分は長い間、どこかの収容所にでも入っていたのではないだろうか・・・。 そうそう、思い当たるのは・・・いやいや、それはともかくとして・・・汗笑。 今回出てきた言葉は、また「抑圧と作為からの解放」というもの。 そのキッカケになったのは、ある若者が中学生の時に書いたという文集の話だった。 文集のタイトルは『矛盾』。 タイトルだけ聞いてまず浮かんだのは、自分が中学生の頃にそんなタイトルのものを書けただろうか?いや、書けなかったのだろう、という思いだった。 そして、矛盾という言葉は、いい年になった今でも私の中で決着がついていないものだ、という思いが続く。 更にツラツラと思いをめぐらせていると、これまで埋もれていた子供の頃

    自分を敢えて矛盾状態に置くことで、抑制と作為からの解放を試みる。RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2024/05/29
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  • アウトプットネタは、脳内でもう十分すぎるぐらい「放牧」されている。

    思うに、人と会って30分〜1時間くらい話せばアウトプットネタは結構出てくる。アウトプットネタがなかなか出てこないという悩みがある場合には、人に時間をもらって会話をすることをオススメしたい。きっとスノードームがシェイクされた時のように相手に触発されてネタが見えてくるから。 — 田中新吾|ハグルマニ⚙️ (@tanashin115) March 3, 2024 この投稿をする少し前まで複数の方々と交流する時間があり、その交流の中からアウトプットしたいネタがフツフツと湧いてきたことを受けてのものだ。 これまで私は、人と交流をすると「相手の考えに触発されて、スノードームがシェイクされた時のように、沈殿していたものが浮いてかき混ざり、新しいアイデアや気づきが生まれる」という考えを時折表明してきた。 これが自分にとっては大変しっくりきているからである。 梅棹先生の以下の発言にも通づるところがあるのでは

    アウトプットネタは、脳内でもう十分すぎるぐらい「放牧」されている。
  • 「叱る」という行為から考える平時の「苦痛」と「快感」の選び方。

    『不適切にもほどがある』というTVドラマがある。 主人公が昭和から現在の令和へタイムスリップして時代を行き来するというストーリーで、昭和の古き善き?おおらかさと、同時によろしくないパワハラ・セクハラなどを令和に対比して見せてくれている。 このドラマは私を含む昭和の人には、懐かしさがあって面白いと好評のようだが、若者には不評なんだとか。 それは、今ではありえない過去のパワハラ・セクハラが当たり前の昭和が若者にとって不快だから、という単純な理由からだという。 (一部、昔は良かった、という若者もいるようだけど。) 時代はホワイト化(キレイ・清潔が正しくて、汚いものは正しくない、という価値観によって様々なものが浄化されていくこと)に向かっているというが、これもまたその価値観の変化のひとつなのだろう。 このことをキッカケにして、私の中でもある変化が起こり始めた。 それは、昭和の私の中に出来上がってい

    「叱る」という行為から考える平時の「苦痛」と「快感」の選び方。
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    soleil266564 2024/03/14
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  • 自分と繋がる方法3選

    何となく地に足が 着いていないような感じがする。 何をしても上の空で 集中できなくて。 過去のネガティブなことや 起こってもいない 未来の不安なことばかりが 頭に浮かぶ。 他人を見ても 何だか 自分を疎外したり バカにしたり しているようで 必要以上に比較をしては 落ち込む。 とにかく 何を見ても 何を聞いても イライラ ソワソワしてしまう。 わかっているけど 止められない。 そんな自分に 嫌気がさす。 そんな時ありますか? 私はあります。 そんな時の対処法です。 これまでの私は そんな時は お酒を飲んで気分を上げて 気にしていないフリをしたり 思考で納得して 問題ではなかったフリをしたり カラオケや友達に愚痴って 気を紛らわしたり していましたが そんなものでは 根は変わらない。 何故か? それは 自分と繋がっていないから。 自分と繋がっていないということは 地球とも 宇宙とも 繋がっ

    自分と繋がる方法3選
  • いい加減に独立して、自分のしたいことに集中しなさい!

    人は「固定観念」の奴隷になっている。 我ながら上手く書けた。 (ホントか?そこら辺にありそうな言葉だけど。) そう思っている矢先に、そんな自己満がはじけることが起こった。 ある日の居酒屋で、酒のあてとして「長芋ワサビ漬け」を注文した。 するとその「長芋ワサビ漬け」が、たまたまその日一緒だったある先輩の好物で、私は「相変わらずの引きの強さだ!」と自分にラッキー男を刷り込んだ。 そしてまた、その先輩と一緒になった別の日のこと。 私は気を効かしてこの好物をもう一度頼もうとしたのだったが、好物が何だったのか、すっかり忘れてしまっていて、結局は「あれなんでしたっけ?」と先輩に直接聞いて注文することになった。 ここまではなんてことのないやりとりだったのだが・・・ 「覚えておいてスッと注文できれば良かったんですけど・・・」 私は、素直のままにもうひとつの心の声を漏らしてしまった。 すると、先輩から全く想

    いい加減に独立して、自分のしたいことに集中しなさい!
    soleil266564
    soleil266564 2024/02/07
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  • ブログは「自分の学びを深めるツール」として、未だに優れていると思う。

    ブログを書くことを習慣にしているからか、時折「なんでブログ続けているんですか?」と聞かれることがある。 「今はまだ自分のことを知らない誰かに、自分のことを少しでも知ってもらえたら嬉しいから」 「歯磨きをするのと同じくらい書かないと気持ち悪いから」 「自分自身の心を直接観察することができるから」 参照:「私は長らく瞑想的なことをしてきているのかもしれない」と思った話。 例えば、理由としてはこんな具合だ。 習慣化には必ず多くの「止めるための理由」との戦いが生じるわけだが、ことブログに関しては今はもうほぼほぼ制圧した感がある。 何でも10年以上も続けるとさすがにこの領域に辿り着くことができるのかもしれない。 そしてつい最近、最初のような質問に続けて以下の質問をもらう経験をした。 「やるための理由が幾つかある中で、最もやるための理由になっているものはなんですか?」 これに対して私は、 「自分の学び

    ブログは「自分の学びを深めるツール」として、未だに優れていると思う。
  • お金のかからない欲望で自分を満たす省エネ術を探る。RANGER

    あるドラマで、リポーターがフォアグラステーキをべてコメントする、というシーンがあった。 リポーターという仕事は、どんな感想を持つにしても「美味しい」と言わないとならないわけなのだが・・・。 「こんなのは生きていくのに必要ない!」 そのリポーターは思わず、音を吐いてしまってそのシーンは当然NGになってしまった。 ドラマを観ていると、時々妙に引っ掛かる言葉がある。 この言葉もそのひとつだった。 なぜ引っ掛かったのだろうか? このフォアグラをキッパリ切り捨てる言葉が、逆に私がフォアグラというものを曖昧にしてきたことを浮き上がらせてくれたのだった。 これキッカケで思い出したのは、昔、私が将棋、あるいはテニスなどを趣味にしている人を羨ましいと思っていたことだった。 当時私はゴルフにのめり込んでいた。 ゴルフというものはご存じのとおり、プレイフィー、道具代、練習代、交通費、自動車購入などお金がかか

    お金のかからない欲望で自分を満たす省エネ術を探る。RANGER
  • 習慣を続けてくためには「ほんの少しの理由」を大事に磨き続けるための習慣や仕組みが必要。

    を代表するベストセラー作家村上春樹さんは「走る人」としても知られる。 この記事を書いている時点でその年齢は74歳。 33歳で走り始め、40年以上毎年フルのレースに出場するれっきとしたランナーだ。 そんな村上さんの著書「走ることについて語るときに僕の語ること」は、走ることや書くことを続けている今の私にとって心の拠り所の一つになっている。 このがすごいのは至言だと思える言葉があり過ぎるところだ。 例えば、以下の言葉。 同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。 与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。 ここ

    習慣を続けてくためには「ほんの少しの理由」を大事に磨き続けるための習慣や仕組みが必要。
  • 豊かさゆえに増えるストレス。ストレス軽減にもっと本気になる!RANGER

    少し前に人の身体は、ストレスを感じることによって欲を増すホルモンを出す、と聞いた。 だから糖尿病の原因にストレスがあるのだと・・・。 私は、一般に言われている病気の原因は表面的なもので、病気の根原因としてストレスが大きいのではないか?と感じていたところだったので、このホルモンの話になるほど・・・と感心した。 「社会にはストレスがたくさん。」というような言葉はいつ頃から聞かれ始めたのだろうか? リゲインのCM「24時間戦えますか?」が1989年、今から33年前だから、このあたりから始まったのだろうか? 私の勝手な印象だが。汗。 そこから今まで社会のストレスはずーっと高まってきてるものなのだろうか? 今後、どこまでストレスは高まっていくのだろうか? ストレスにはいろんなものがあるのだが、今回は特に今の社会に特有なストレスにフォーカスして考えてみたい。 そのストレスとはたくさんのモノがあるこ

    豊かさゆえに増えるストレス。ストレス軽減にもっと本気になる!RANGER
  • 変化が激しい現代では「完璧主義」から距離を置くのがいい。RANGER

    最近、若者の間で完璧主義者が増加しているという話を聞いた。 「完璧主義」というものを3つに分類している動画がある。 ①自己位の完璧主義 →自分の内面から完璧でありたいという欲求がにじみ出る人 ②社会既定の完璧主義 →社会の規定(常識)に対して完璧でないとならないと思う人 ③他者指向の完璧主義 →相手に完璧を求める人 それぞれが増加している中で②社会既定の完璧主義が他の2つより倍増していて、生きづらさが増しているという。 これを聞いて思い出したのは、私の子供の頃に無意識に観察していた大人たちのこと。 みんな一生懸命に社会の常識に照らし合わせて恐る恐る生きているように見えた。 不思議な感覚が蘇ってきた。 なぜそんなにもビクビクしながら生きているのだろうか? 素朴にそう思った。 「決まりが○○だから、○○しなくてはならない。」 「○○しないと笑われる」 などと話していた。 これが、当時の常識に

    変化が激しい現代では「完璧主義」から距離を置くのがいい。RANGER
  • 「感謝で思考は現実になる」は本当なのか?とりあえず、健康のために思考が大切なのだ。RANGER

    数年前の話だ。 隣から男女の話し声が聞こえた。 女性:「感謝すれば願いが叶うのよ。努力しなければならないってのは嘘なのよ。」 男性:「そんな都合のいい話なんてないでしょ。 努力するから何事も上手くなるじゃないか。 努力が報われてここまできたし・・・。」 女性:「その正しいことを知っている、っていう確信が可能性を閉ざすのよ。」 男性:「えっ!?何かの宗教なの?」 私はこの男性にもっともだと思いつつも、女性のその自信にどこか引っかかるものがあった。 この件をなぜ今になって思い出したのだろうか? 「努力しなければならないというのは嘘」 特に聞き捨てならない言葉だ。 私の両親の教えは、努力しなさい、そうしないと足元を救われる、というものだった。 両親もまた努力して私を育ててくれた。 私もそれに習ってきたから何とか生きて来れてると思う。 努力しなかったらこうはなっていなかっただろう。 物事の結果には

    「感謝で思考は現実になる」は本当なのか?とりあえず、健康のために思考が大切なのだ。RANGER
  • 人間の意識進化を辿ってみて、私の新常識が鮮明になっていく!(前編)RANGER

    前回記事の新常識のお勧め、そこで紹介した私の新常識は「未来に禁酒法が設定される」というかなりつたないものだった。 他の新常識の候補があまりにも希望的なユートピアで、私の中のふてくされた子供がそれを拒否してしまった。 確信できないものを中途半端に書くことを許さなかったようで。 あっさりと引いてしまって禁酒法の話に逃げてしまったのだった。 ちょうどこの記事を書き始めた頃だった。 ある人が一冊のを紹介してくれた。 聖なる予言(日の単行の発行1994年) このには、人間の意識進化が9ステップの気づき(Insight)として示されている。 私はこれを読み始めて、この人間の意識進化は、まさに私の言うところの新常識のことを言っている!と直感した。 そしてその最終形が、私が書けなかったユートピア的な新常識とよく似ているではないか! んっ?いや違う、このはもっともっと鮮明に、そして説得力をもって新

    人間の意識進化を辿ってみて、私の新常識が鮮明になっていく!(前編)RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2023/02/13
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  • 「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。

    一般的にはとても分かりにくいとされる東洋哲学に、とてもお詳しい飲茶さんという方が大変分かりやすい説明を展開してくれている良書だ。 読み終えて実感したことだが、これはたしかに「史上最強の哲学入門」と言っていい。 釈迦の「無我」とか、老子の「無為自然」とか、道元の「只管打坐」とか。 「大事なのは何となく分かるけど、なんだかよく分からない」といった部類の話が当に分かりやすく解説されている。 そして私にとって大きな発見となったのは、比叡山出身の高僧「法然」が普及させた仏教哲学「念仏」についての箇所だった。 以下に引用してみたい。 そもそも念仏とは、ようするに「南無阿弥陀仏」などの同じ言葉を延々と繰り返すだけの簡易的な修行法のことであるが、実はその繰り返し行為は現代でも優れた精神安定剤として知られている。 たとえば、眠れないとき、「羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……」と唱えるとよいという話を聞いたこ

    「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。「繰り返しの行為=精神安定剤」として、これまでの人生経験を捉え直してみた話。
  • 「相手が大切にしていることを大切にする」が「倫理観」だったことに気づき、そこから得た大きな発見。|RANGER

    これらをふまえながらいささか乱暴かもしれないが、今の自分なりにフィットする言葉にしてみると以下のようになった。 倫理とは、他者と共によく生きるためのことを考えること。 そして、このような思考過程を経た時、「相手が大切にしていることを大切にする」という、私が人間関係において以前から大事している考え方は「倫理観」の一つと言ってもいいのだろう、と考えるようになった。 高校生の頃「倫理の授業はクソつまらない」と思っていた私が、今このタイミングで強い興味関心を持ち始めているこの状況がなんとも不思議で面白い。 諸行無常とはまさにこのことだ。 相手が大切にしていることを大切にするとは一体どういうことか? 随分前に「相手の立場に立って考える」は、「相手の関心に関心を持つ」ことで実践できる、という記事を書いたことがあった。 関連記事:「相手の立場に立って考える」は、「相手の関心に関心を持つ」ことで実践できる

    「相手が大切にしていることを大切にする」が「倫理観」だったことに気づき、そこから得た大きな発見。|RANGER
  • 「感性を高める」ための探索が続く。~思考と感覚のせめぎ合い~|RANGER

    「感性を高める」という言葉は私にとって魅力的な言葉だ。 この言葉には二つの意味があると思う。 一つには、持って生まれた感覚を呼び覚ますこと。(以下先天的感覚と呼ぶ) 一つには、経験を積み重ねることで引き出しを増やして、そことの紐づきによる感覚(感情・判断)を豊かにすること。(以下後天的感覚と呼ぶ) 私は、「感性を高める」ことに今ハマっている、と言ってもいい。 ブログにもいくつか書いてみて、最近では修験道につながったりもしたりもした。 「感覚」を大切にするためには、 まずはその言葉のどおり「感じること」を意味のあることである、と認識することから始まる。 そうした上で、感じる時間をたくさんもつこと。 自分に素直であること。 などと一旦は結論づけたのだが・・・。 すると今度は、別の不安がもたげてきた。 この結論はどうも漠然としてはいまいか? さてはて、号令だけで私は当に感覚を大切にできているの

    「感性を高める」ための探索が続く。~思考と感覚のせめぎ合い~|RANGER
  • 修験道から学ぶDon’t think! Feel.~自分を輝かせる方法~RANGER

    最近、また友人から教えてもらったがある。 『野性の力を取り戻せ 〜羽黒山伏に学ぶ 答えがない「問い」に向き合う智慧〜 そのタイトルに惹かれ、夢中になって読み進めてしまった。 夢中になったのは、内容がここまでのRANGER内の複数の記事と結びつくものであったからで、更には自分の中の曖昧なことが鮮明になったからだった。 こちらは、山伏(「松聖」まつひじり)の星野 文紘さん(以下先達と呼ぶ)が書いたなのだが、私は今まで山伏の方の話を聞いたことがなかったので新鮮でもあった。 山伏:修験道の行者をいい、100日修行をしている山伏を「松聖」まつひじり、という。 修験道:自然に身を置いて祈り、感じたことを考える哲学である。 ※今回は山伏、修験道についてこれ以上の詳細の説明はしておりません。 私にとって特に興味深かったのは、専門分野が異なる方々が、違う言葉で共通のことを伝えているように感じられたことだ

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    soleil266564
    soleil266564 2022/12/13
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  • 異物が交わり新たなものが生まれる。これこそが喜びである。~福岡旅より~RANGER

    久々に福岡に旅行することになった。 キッカケは糸島に引っ越した友人にお誘いいただいたことだった。 短い間だったがとにかく楽しい旅だった。 そしてまた、振り返ってみると濃厚で不思議な旅でもあった。 なぜ楽しかったのだろうか? 旅の全日程が晴天だったのだが、そのこと同様に偶然の巡り合わせ、ただのラッキーだったのかもしれない。 でも、それだけだったのだろうか? 自分が引き寄せた面が全くないとは言えないかも、とも思う。 そんな不思議な旅で起きたこと、旅から感じたことをとどめておきたいと思い、PCに向かい始めた。 次回もこのような楽しい旅になる方法が見つけられればいい、などと都合の良いことを考えながら・・・。 次々にお誘いいただく街 博多 博多の人気もつ鍋屋は、平日の夕方18時で既に満席でお一人様でも入店できなかった。 以前とは違い、今は予定など立てやしない。 行き当たりばったりだから、満席もしよう

    異物が交わり新たなものが生まれる。これこそが喜びである。~福岡旅より~RANGER
  • 損得勘定を見直したら、いろいろめぐって負担を請け負いたくなった。RANGER

    特別なことがない日常にあっても見逃さず観察するとほんの小さな出来事はチョイチョイ起こっていることに気づく。 その出来事の中には良かれと思ってやったことが裏目に出るものがある。 私の良い(得)と思う損得判断は、後から自分が気づかなかったことを知ることで、了見違いであることが露呈することがある。 この了見違い、いわゆる失敗を事前に避けられないものだろうか? この了見違いというものにどのように向き合って行ったらよいものだろうか? 失敗は糧にするもんだとよく聞くわけだが、今回の了見違いもなんとか糧にできないかと、頭を巡らしてみることにした。 まずは、最近起こったとるに足らないような了見違いのことからお伝えしていきたい。 駐輪での失敗 街中使いをしているロードバイクの調子が突然悪くなった。 徐々に、ギアチェンジするもしばらくして戻ってしまうようになった。 1段から2段にギアを上げるが、1段に戻ってし

    損得勘定を見直したら、いろいろめぐって負担を請け負いたくなった。RANGER
  • 「他者のために」働きかけることができるのは、「自分のために」が満たされている人だけ。RANGER

    先日、知り合いからこんなエピソードを聞かせてもらった。 一週間くらい降り続いた雨の合間をぬって、家族で「無農薬のブルーベリー狩り」に行ったそうだ。 旦那さんと一緒に1キロパックに収穫していくと、その隣で収穫されたブルーベリーを子供たちはひたすらパクパクとべていく。 パクパクとべはじめてから30分くらい経つと子供たちに大きな変化が。 大人が何も言わずとも、子ども同士で「これ美味しいからどうぞ」をしたり、ブルーベリーを収穫している人を手伝ったりといった行動をしはじめた、というのだ。 幼児教育が専門のその知り合いは「自分が満たされると周りに目が向くんですよね」と言っていた。 育ちの核は「満たされること」だと。 これは言い換えると「まずは自分のためにが大事」ということになるのではないだろうか。 少なくとも私はそう思うに至った。 そして、このエピソードを聞いて、思い返され、頭の中で結びついたこと

    「他者のために」働きかけることができるのは、「自分のために」が満たされている人だけ。RANGER
  • 世の中に折りたたまれているものを感じて愛でる。そうして私は変態していきたい。RANGER

    一般的に赤ワインは肉料理に合うと言われるが、それに物申すというお店に出会った。 ナチュラルワイン 森と土 さん こちらのお店は、赤ワインは強いからどんなべ物の味も消してしまって、べ物と一緒にするにはふさわしくないという。 お店で、餃子と2種類の白ワインを飲み合わせてみると、白ワインですら一方が餃子の味を消してしまって、一方は餃子の味を消さない、ということが確かに確認できて納得するに至る。 これはたぶんソムリエ協会の教えるマリアージュとは異なる考え方であって、素人の私がこれについてどうのこうの言える話ではないのだが、感覚の細かさの違いなのではないかとかろうじて理屈をつけてみたりしてみる。 そういえば、一般的に「〇〇をワインで流し込む」というが当にそうしているのだろうか? 私の場合、べ物を飲み込んでからワインを口に含むことが多いように思う。 この場合に、べ物の味をワインが消してしまう

    世の中に折りたたまれているものを感じて愛でる。そうして私は変態していきたい。RANGER