逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ 2007年04月26日 晩年の昭和天皇と香淳皇后に仕え、代替わりの実務を仕切った故・卜部亮吾(うらべ・りょうご)侍従が32年間欠かさずつけていた日記を、朝日新聞社は本人から生前、託された。天皇が病に倒れて以降、皇居の奥でおきていた昭和最後の日々が克明に記されている。天皇の靖国神社参拝取りやめについては「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記述。先の戦争への悔恨や、世情への気配りなど、天皇の人柄をしのばせる姿も随所に書きとめられており、昭和史の貴重な記録といえそうだ。 故・卜部亮吾侍従の日記。宮中の動きや天皇、皇族方の言動が克明につづられている 噴火した伊豆大島で被災者らの見舞いを終え、高速船に乗り込む昭和天皇と卜部亮吾侍従=87年6月22日、東京都大島町の元町港で 日記で詳細をきわめるのが、昭和天皇の闘病から逝去までの記述だ。 天皇