<経歴> 日本プロレスで練習生を経て、国際プロレス主催の「第1回新人選手公募」に合格しプロレス入り。 国際の次期エースとして将来を嘱望されたが、 1978年、突然フリー宣言をし、新日本プロレス・藤波辰巳選手を狙い新日本へ上陸。 WWFジュニアヘビー選手権を巡り、数々の名勝負を繰り広げた。 精悍なマスクと男くさい体格で藤波ドラゴンに匹敵する人気を得て、 1979年に同王座を奪取を果たすも、その後は新日本の中堅に落ち着いてしまい、 1984年になると第1次UWF旗揚げに参加。同年末に全日本プロレスに参戦し、 ラッシャー木村、鶴見五郎、アポロ菅原、高杉正彦各選手らと国際血盟軍を結成。 1989年4月に日本プロレス界初のインディペンデント団体「パイオニア戦志」を 高杉正彦選手、アポロ菅原選手とともに旗揚げ。新日本プロレスへ再び参戦。 1992年には出前プロレスを標榜するオリエンタルプロレスを旗揚げ