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ブックマーク / appletechlab.jp (27)

  • Macの開発チームのひとり、ビュレル・スミスについての考察

    ビュレル・スミス(Burrell Smith)はMacintosh開発チームの一員として主にロジックボードの設計を担当した人物である。彼はスティーブ・ウォズニアックのApple IIの設計を崇拝し、Macのロジックボード設計においてウォズニアックのスタイルをさらに突きつめ、独自の設計スタイルを編み出した...。 アンディ・ハーツフェルド著「REVOLUTION in The Valley」の表紙で前列左側、キーボードを抱えて左手で頬杖ついているのがビュレル・スミスである。 同著でアンディ・ハーツフェルドはビュレル・スミスについて…スティーブ・ウォズニアックに触発されてAppleに入社し、MacをはじめLaserWriterのロジックボードなどを製作した技術者として紹介している。またビュレルはAppleを退社後はRadius社の共同設立者として成功し、1988年に業界から足を洗ったとある。

    Macの開発チームのひとり、ビュレル・スミスについての考察
  • スティーブ・ジョブズが見届けた最後のiPhoneがアートフレームに!

    過日Twitterで @goando 氏のツィートに目が釘付けになった…。それは数種のiPhone旧機種をバラシ、各部品を美しく配置し一枚のアートフレームに仕上げた製品購入の話しだった。早速当該ウェブサイト(GridStudio)を覗いてみたら珍しく物欲が刺激され思わずその「アートフレームGRID 4S」を買ってしまった(笑)。 ※「アートフレームGRID 4S」【クリックで拡大】 今更だが…2007年1月9日のこと、初代iPhoneAppleCEO スティーブ・ジョブズにより「電話を再発明する」として発表されたときには世界が沸き立ったものだが相変わらず酷評も目立った。しかし今やその存在は世界的に揺るぎないものとなっておりすでに我々の生活を一変させライフラインの一端をも担っている。 ※包装も他に類を見ない素晴らしいものだった その iPhoneも年を追うごとに新製品が登場し現在に至って

    スティーブ・ジョブズが見届けた最後のiPhoneがアートフレームに!
  • Apple、iOS 14でiPhoneの体験を刷新

    iOS 14では、ホーム画面をカスタマイズしたり、App Clipでアプリケーションを見つけて使ったり、メッセージでいつでもつながることのできる新しい方法が導入されています。 Apple日、iOS 14のプレビューを発表しました。iOS 14では、デザインが刷新されて美しくなったウィジェットとAppライブラリによりホーム画面のページにこれまでで最大のアップデートが行われ、App Storeを利用する新しい方法であるApp Clip、メッセージアプリケーションのパワフルなアップデートが導入されています。 新しいウィジェットは、時宜にかなった情報を一目でわかるように表示し、ホーム画面のどのページにも、ピンを使って様々なサイズで固定することができます。ユーザーは、ウィジェットのスマートスタックを作成し、デバイスの知能を活用して、時間、場所、アクティビティに適したウィジェットを表示できます。

    Apple、iOS 14でiPhoneの体験を刷新
  • Apple、美しい新デザインのmacOS Big Surを発表

    Apple日、世界で最も先進的なデスクトップオペレーティングシステムの最新版、macOS Big Sur(ビッグサー)をプレビューしました。macOS Big Surは、まったく新しいものでありながら、すぐに馴染める美しい新デザインが導入されています。 Safariにはカスタマイズ可能なスタートページ、洗練されたデザインが施され、さらにパワフルになったタブ、すばやく簡単に使える翻訳機能、新しいプライバシーレポートなど、多数の新機能が搭載されています。新しくなったメッセージアプリケーションでは、よりパーソナルで表現豊かなメッセージを送受信することができます。また、グループメッセージ内で会話を追ったりメンバーとやり取りすることが簡単にできるようになります。マップも大幅に新しくなり、世界各地を探索しながら臨場感あふれる体験ができる様々な機能が加わります。 macOS Big Surのデベロッ

    Apple、美しい新デザインのmacOS Big Surを発表
  • スティーブ・ジョブズとシャーロック・ホームズ共通点の考察

    Appleフリークそしてシャーロッキアンを自負している私であるが先日シャーロック・ホームズ関連を読んでいたときあらためて確信したことがある。それはスティーブ・ジョブズとシャーロック・ホームズとの共通点についてである。もしかするとジョブズはシャーロッキアンではないかとも思う(笑)。 まあ、我ながら突飛なテーマなので遊びとしてお付き合いいただきたいが、ここのところ数冊のシャーロック・ホームズに関する研究書を読みあさっていたとき、ホームズの生き様というかその性格や気質がAppleCEO スティーブ・ジョブズのそれと重なり合うように思えた。 たぶんこの両者に共通点を見いだすのは世界でも私が初めてではないかと自負しているのだが...(笑)。 無論スティーブ・ジョブズは時代の寵児として実在している人物だし、ホームズはイギリスのビクトリア朝時代後期に活躍した世界初の私立コンサルティング探偵業を始めた

    スティーブ・ジョブズとシャーロック・ホームズ共通点の考察
  • Lisa 誕生の光と影の物語

    世の中になかった新しい製品を作り出そうとするとき、我々はどのように考え判断し、どのように動くのだろうか。数ヶ月前から理由があって少しずつLisaのことを調べているが、思えばMacintoshの生みの親ともいえるこのマシンは何とも不運な製品であった。しかしこのLisaが生み出されなければ現在のMacintoshもあり得なかっただろう...。Lisa誕生の経緯とその失敗の物語は私にとってまとめてみたいテーマの1つなのだ。 一般的にLisaというプロダクトはスティーブ・ジョブズらがゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)を訪れ、そこで見た暫定ダイナブック...すなわちAlto上で走るSmalltalkのデモを見て触発されたという話しが知られているが、これは文字通りには正しくない。 そもそもLisaという開発コード名でプロジェクトがスタートしたのは1979年のことらしい。ただしその際には時代背景

    Lisa 誕生の光と影の物語
  • 「日本一Appleに金を注ぎ込んだ人々」に見る30年前のハードウェア価格

    ちょうど30年前のこの時期(1987年)、「MacTalk」というMacの情報誌が発刊された。隔月刊として第8号まで出版されたが、これは出版社の手になる物ではなく秋葉原でショップ展開していた(株)イケショップのユーザーグループ・マガジンだった。この雑誌に関しては「イケショップ『MacTalk』誌に見るユーザーの等身大情報とは?」に詳しいので繰り返さないものの、VOL.3に載った「日Appleに金を注ぎ込んだ人々」という記事についてご紹介してみる。 Macintosh II という最初のカラーMacを購入した時期だったが、タイトルの「日Appleに金を注ぎ込んだ人々」とは些かあからさまでイヤラシイ感じも受けたが、まあ単なるネタだと思って原稿依頼を受けた記憶がある(笑)。 このとき載ったのは私と松木英一氏、斉藤秀行氏の三人だったが、後の編集後記によれば引き続きより強者たちが登場するよう

    「日本一Appleに金を注ぎ込んだ人々」に見る30年前のハードウェア価格
  • Apple Adjustable Keyboardを再考する

    アップルはデザインとインターフェースに優れたコンピュータメーカーとして知られてきた。これまでにも期待に恥じない素晴らしい製品を多々開発してきたが、反面意気込みは強かったものの市場に受け入れられないために短命に終わった製品も目立つ。今回はそうしたプロダクトの一つ「Apple Adjustable Keyboard」をご紹介してみよう。 Apple Adjustable Keyboardが発売されたのはアップルがQuickTimeを前年度にリリースしたことから盛んにマルチメディア指向を探っていた1993年だった。 国内では最初ASCII キーボードが、そしてしばらく経ってからJISキーボードが発売されたと記憶している。米国価格はUS$219だったが国内では5万円ほどしたはずだ。まだADB (Apple Desktop Bus)時代のことだ。 ※Apple Adjustable Keyboard

    Apple Adjustable Keyboardを再考する
  • iPhone登場10周年に寄せて

    先日の2017年1月9日はiPhoneが発表されてからちょうど10年となる日。つきなみだが長いようでもあり一瞬のことだったようにも思えるが、iPhone成功の秘密をあらためて当時に立ち帰って眺めてみるとなかなかに面白い。私自身は日では発売されなかった初代 iPhoneの情報に接したとき当に心がときめいたものだ。 ということで今回は当時そのiPhoneに関して書いた記事を読み返しながらどんな反応があったのかを振り返ってみたい。なおここでご紹介するアーティクルは現在でも当時のまま、お読みいただくことができる。 私がニュース記事を別にして、iPhoneに関する記事を当Macテクノロジー研究所ブログに掲載した最初は発表から2日経った2007年1月11日だった。それは「Apple iPhoneの素直な印象~写真だけではその凄さは分からない!」と題した記事だったが、自身まだ実機を手にしてはいなかっ

    iPhone登場10周年に寄せて
  • パソコン環境37年間の推移を振り返る

    正月休みは古い資料の整理を行った。特に写真類は毎年撮った写真を選別したり、逆に古い写真のうちで興味深いものを探し出したりとなかなか大切な作業となる。そんな作業の中から選び出した十数枚の写真をご紹介しながら私のパソコン環境の推移をご覧いただきたいと思う。無論これらは全体の一部であると心得ていただきたい(笑)。 私がマイコンとかパソコンというものの世界に足を踏み入れたのは1977年12月に富士通 FACOM Lkit-8というワンボードマイコンを手にしてからだ。 文字通りの裸のマザーボードと電源、そしてキーボードを家庭用カラーテレビにつなぎBASICを走らせて驚喜していた。ただし素人には限界があり、コンピュータの能力と魅力を知るにつれ、もっとまともなことができる製品が欲しいと思うようになる。とはいえそれはLkit-8のせいではない(笑)。なにしろこうしたワンボードマイコンは素人用に売られたもの

    パソコン環境37年間の推移を振り返る
  • スティーブ・ジョブズのプレゼンテーション秘話

    1989年7月10日、幕張の東京ベイNKホールは異様な熱気につつまれていた。Apple Computer社の創業者であり、自らが「生涯砂糖水を売って過ごすのですか...世界を変えてみたいと思いませんか?」と誘ったジョン・スカリーに追放された彼が新しいマシンをたずさえて我々の前に登場したのだ。そのコンピュータの名はNeXT...。 今の私たちはMacWorldExpoの基調講演などで、Apple Computer社CEOであるスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションの妙を知っている。私もサンフランシスコのExpoなどで、彼の基調講演を直接何度も聞いたが確かに話の間の取り方、話題の順序、常に客席を意識した話し方などなど関心することばかりである。 私がスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションを最初経験したのはすでに彼がAppleを辞め、NeXT社が開発したマシン宣伝のために来日したその時が最初だ

    スティーブ・ジョブズのプレゼンテーション秘話
  • Performaへのソフトウェア バンドル物語

    僅かであるが会社時代の遺物が残っている。そのうちのひとつが契約書類だが、先般私の会社のアプリケーションをApple Performaにバンドルするための「ソフトウェア販売契約」の書面が出てきたので今回はバンドルのお話しをさせていただこう...。 Mac用アプリケーションと一言でいっても様々なジャンルがあるが、私の会社では当時QuickTimeをサポートした映像系の製品といわゆるエンターテインメント系の製品が稼ぎ頭だった。 それらのパッケージソフトは現在のようにインターネットを通じてダウンロード販売といったビジネスが出来得ない時代だったから、大手の流通会社に売り込んで全国のショップ店頭に並べてもらい、ユーザー諸氏の手に渡るよう努力を続けていた。 一方、1990年の半ばにもなるといくつかの自社開発ソフトウェアのバンドル依頼が舞い込むようになった。自分たちを卑下するわけではないが、極小企業の我々

    Performaへのソフトウェア バンドル物語
  • Apple、

    ポストPC時代といわれるこの時代から見て、旧来のパーソナルコンピュータといえば “大きい” そして “重い” という印象は拭えない。後にいわゆる携帯可能な製品やノート型が登場するものの多くは机上スペースをかなり占有するものばかりだった。だからということなのか、移動も考慮すれば必然的に持ちやすい工夫も重要だった…。 ということで今回はApple製品と “取っ手” の関係についての雑談である。 さて、Apple歴史をすべて振り返るつもりはないが、Apple II は樹脂ケースに納められていたこともあり、かつ比較的軽量だったから、こちらの机からあちらの机に…といったことは容易だった。事実専用のキャリングケースに誇らしげに収納し、自宅と勤務先を往復していたApple IIも結構知っている。ただし別途モニター(TV)の用意が必要だったが…。 しかしApple III やLisaは重く大型だったから

    Apple、
  • アップルジャパン社長の椅子が何故不人気だったか?

    別途連載しているニフティのログ公開を整理しているとき、1995年8月15日発行の「愛と哀しみのコンピュータ企業」という書籍についての発言を思い出した。同書は別冊宝島230号として出版されたものだが、興味深いことに当時のアップルジャパン社長の椅子が何故不人気なのか…についての記事があり、そのタイトルは「『社長の』のスカウト、私も断りました」という過激なもの(笑)。今回は今だから話せるアップルジャパン社長の椅子に関しての昔話である。 このが印象深かった点は、丁度三田聖二社長が解任されたというニュースが飛び交った時期と重なったことだ。その三田社長は書の中にも数度その名が紹介されている…。 ご承知のようにApple Japanは1996年11月から東京オペラシティータワーに社を置いているが、2011年10月30日に合同会社となりアップルジャパンを吸収して現行の体制となった。そして株式会社でい

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  • Apple Watchとは一体何物なのか?!

    Appleのスペシャルイベント(米国時間2015年3月9日)で待ちに待ったApple Watchのオフィシャル情報が公開された。個人的には安価なモデルを手にしたいと考えているが、実は Apple Watchに惹かれるのはデザインでもなければ腕時計としての機能でもない。それが私たちのライフスタイルを再び激変させるであろう予感があるからだ。 さて、Apple Watchはスティーブ・ジョブズが亡くなってから初めて登場する新製品である。思えば iPadの発表以来実に5年ぶりだ。ただし状況を考察するにApple Watchはジョブズの生前にそのコンセプトの一端はすでに存在していたと考えて良いだろう。 ※3月9日(米国時間)のスペシャルイベントでApple Watchに関してスピーチするティム・クック CEO なぜならまずスティーブ・ジョブズ自身も "腕時計" というアイテムが決して嫌いではなく、公

    Apple Watchとは一体何物なのか?!
  • スティーブ・ジョブズがAppleを辞職するに至る状況再考

    スティーブ・ジョブズがAppleを辞職した原因と当時の状況をより深く知りたいと情報を集め続けているが、Appleにとってこの重大事は後から見ればAppleが大きく飛躍するために必要な犠牲だったようにも思う。ジョブズ自身、例のスタンフォード大学におけるスピーチで「当時は分からなかったが、Appleをクビになったことは私の人生にとってもっとも重要なことだったと今では思う」と発言している...。 ジョブズは「…クビになった」という言い方をしているが別項「スティーブ・ジョブズはAppleを首になったのか?」で考察したとおり、彼は決して文字通りのクビになったわけではないことは明らかだ。追い出した側のジョン・スカリーもまさかジョブズが辞めるとは考えていなかったことが伺える。 しかしジョブズが自身で「Appleを首になった」と振り返っていることは自身の人生にとって重要な事だったにしてもスピーチ当時決して

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  • 日経BP社刊「ジョナサン・アイブ」読了と危惧すること

    昨年末に届いたリーアンダー・ケイニー著「ジョナサン・アイブ」(日経BP社刊)をまずは速読してみた。ただし個人的にはジョナサン・アイブのデザインに一抹の不安要素を感じている1人だし、彼の人生を知りたいとは思わない(笑)。ただただ書への期待はアップルのIDg(工業デザイングループ)の様子とジョブズとの接点を知りたいと考えたからだ…。 スティーブ・ジョブズが1997年にアップルに復帰してからの活躍はあらためて申し上げることもないと思うが、その原動力となったのはデザインチームにいたジョナサン・アイブだった。しかしどうにも自分の実体験からしてジョナサン・アイブには全面的な信頼を持てないでいる…。 それらの実例としては過去に「私がジョナサン・アイブへ不信感を持っている理由(笑)」で述べた通りだが、それはそれとしてもジョブズ亡き後、アップルをアップルたらしめる人物はCEOのティム・クックを別にすればジ

    日経BP社刊「ジョナサン・アイブ」読了と危惧すること
  • スティーブ・ジョブズが日本文化に興味を持ったきっかけは!?

    スティーブ・ジョブズは日贔屓だったといわれている。蕎麦や寿司が好きだった、あるいは日の版画家である川瀬巴水や橋口五葉の作品を好み、京都にも度々足を運んだという。また若い時には永平寺を訪れて禅僧になろうかと思った時期があったほどのジョブズだったが、彼が禅とか日文化を好んだのはそのミニマリズムにあったと思われる。それらから後年彼の口癖となった感がある「クール」とか「シンプル」という意識に通じる閃きを感じたに違いない。 スティーブ・ジョブズは大学をドロップアウトした後も宗教寺院を訪ねたり禅を実践したり、結局インドにまで旅をすることになる...。 とはいえ彼が日文化そのものや禅の奥義を知り尽くし極めたというはずもなく、若い時には自分の未来に光明を照らす何かを求めた過程の行為だったと考えるのが妥当だろう。 ではそもそもスティーブ・ジョブズが日文化とそのミニマリズムの魅力を知り興味を持った

    スティーブ・ジョブズが日本文化に興味を持ったきっかけは!?
  • スティーブ・ジョブズとパロアルト研究所物語

    スティーブ・ジョブズがビル・アトキンソンらとゼロックス社パロアルト研究所(PARC)を訪れた際のエピソードはこれまで虚々実々のいわれ方をしてきた。しかし、その一瞬はApple歴史にとっても最も重要なシーンだったことは間違いない。今回はその日、その時に焦点を当ててみる。 後年WindowsMacに似すぎていると文句を言ったスティーブ・ジョブズ(以後S.ジョブズ)に対し、Microsoft社のビル・ゲイツが「ゼロックスの家に押し入ってテレビを盗んだのが僕より先だったからといって、僕らが後から行ってステレオを盗んだらいけないってことにはならないだろう」と言い放ったという話がある。 この物言いは、当時Apple Computer社(以後Apple社)のS.ジョブズがPARCに乗り込み、PARC側の意志を無視して文字通り技術を奪い取ったとも受け取れる発言だし、これまで一部のマスコミでも同種の扱い

    スティーブ・ジョブズとパロアルト研究所物語
  • ジョブズとゲイツの不思議な友好関係

    最近ワイアード・ニュースのコラム『ジョブズとゲイツ、真の「善玉」はどっち?』に多くの反応があったようだがその是非はともかく、これまでAppleMicrosoft...あるいはジョブズとゲイツはどちらかが善で一方が悪といった表裏の関係で語られてきた。しかし歴史を振り返ると両者は最初期から意外に親密な関係にあることがわかる。 これまで当サイトでも一部紹介してきた内容と重複するがジョブズとゲイツとの親交の歴史を眺めてみよう...。 Macintoshが登場した翌年の1985年に早くもアスキーから「Macintosh〜そのインテグレーテッドソフトの世界」と題する翻訳が出版された。その巻頭ページによれば書はMicrosoft社のビル・ゲイツとApple Computer社のスティーブ・ジョブズの会話から生まれたと記されている。 1984年に登場したMacintoshは当然の事ながらその開発は秘

    ジョブズとゲイツの不思議な友好関係