2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…
テレビドラマが見られない。出てくるテレビ俳優の演技がひどすぎて、見ていられないのです。 で、僕はずっとそれは演技力、技術の問題だと思っていたのです。 しかし、たとえば古い映画を見ても、演技のひどい俳優というのはいくらもいる。 モノクロの時代劇に出てくるヒロイン(お姫様役)なんていうのは、十中八九ひどい大根です。 しかしそれでもそんなに苦痛ではない。 演技が下手なだけではそんなに苦痛ではないのだなあ、と言うことに気付く。 しかしなんで福山雅治の演技は苦痛なのだろうか。 (福山雅治を出したのは昨日映っていたからで、他意はない) とか考えていて、それは「型」なのではないのかなあ、と思った。型、というより「キャラクター」と言うべきかも知れない。この役はこういう表情をし、こういう抑揚で話し、こういう挙動をする、という型が出来ていない。テレビに映っているのは福山雅治にしか見えない。 こういうのは多分「
ただ現在進行形で「運動音痴」で苦しんでいる子たちに「もっと鍛えろ」とだけ言うのはかわいそうだとは書いておきたい。 そして、大抵の体育教師や、その予備軍であるもしくはあったところの、脳も含めて身体機能的に運動をするために困ったことがない人たちは、運動音痴が何で困っているのかわからないし、どうやれば鍛えられるのかを伝えるスキルを持たないわけで。 いやぁ、文武両道って大切だなぁ(そうじゃないだろ たとえば、↑のエントリで参考としてリンクされていた↓のエントリ 鍋あり谷あり-■体育が苦手だったけど 味方のじゃまにならず、敵のじゃまになりそうな場所にいるだけで、微かにではあるが、チームの役に立つことが出来る。たとえば、自分が攻めている場合は、「自ゴールに一番近い場所にいる敵」の、ちょっと敵ゴール寄り。自分が攻められている場合は、オフサイドラインぎりぎりの、人口密度が薄い方のサイド*1。 そもそも、発
いくつかのジムで、何度かエアロビ・ダンス系のレッスンを受けたことがある。 そこでの光景はこうだ。 その1 「初心者向け」と銘打ったレッスン。だが入っていく客同士が、仲良くしゃべってる。 「初めての方がいらっしゃいますねー。前の方へどうぞー」なんて言われたので、前の方へ行く。 しかし、エアロビなんてはじめてなので、当然まともに動けるわけもない。 インストラクターに「ちょーっと難しかったですかねー」とか言われながら、ワテはあきらかに運動じゃない汗をかく。 インストラクターの顔は引きつりはじめ、彼女はいつもよりもゆっくりと動く。 なぜいつもと違うことに気づいたのかと言えば、周りからの視線が激しく刺さるからだ。 その場の空気があきらかに「コイツが遅いせいで、今日はひとっちゃ先に進まんがー。おもろないのー」なのである。 その2 一昨日のエントリに書いた >新しいダンスレッスンに参加者が少ないからと誘
初見の時は拍子抜けした。「もののけ姫」より後退している印象を受けた。でも後で「千尋と同年代の女の子たちに向けて作られた作品」だと聞き、納得した。 そして個人的にはラストの「ハクとの別れのシーン」が一番気になった。 すごく素っ気ない。カリオストロみたくネチっこくは盛り上げない。きっと千尋がごねて、それをハクに諭されるのだと思っていた。 アレは最後の「二人が繋いでいた手を離すところの芝居」がきっと描きたかったのだと思う。 あのシーンのハクの手は優しくて、そしてとっても悲しそうだから。 ああいった類いの描写は一番アニメが苦手とするところ。実写には絶対に敵わない。 でもそうではなかった。あれはアニメでしか描けない。一見アニメでなくても出来そうなのに、やはりアニメでないと出来ない描写。本当にビックリした。 近年の宮崎駿は新作ごとに劣化していってるけど、時々そういう「ハッと驚くような描写」を見せる。
071031 up あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイトhttp://
1980年生まれの僕は、いわゆる「ロストジェネレーション」の最後尾にあたる。まだ見ぬ「やりたいこと」を求め、現実を直視せずに「自分探し」ばかりしている世代――こんな風に揶揄されることもしばしばだが、多かれ少なかれ、自分にもそういったメンタリティが染みついていることは否定できない。 そのせいか、このテの“若者論”的な本を目にすると、つい手が伸びてしまう。他者に自分を規定してもらいたいのかもしれない。しかし、巷にあふれる若者本から読みとれる我々の姿は、“搾取され、退化し、就職迷子で、他人を見下し、会社を3年で辞める”若者ということになる。そこにきて本書である。そりゃ、絶望もしたくなるわ……。 著者である荒井千暁氏の本業は「産業医」。一部の大企業社員など以外には接点のない職業人だが、要するに「職場で健康管理に当たる医師」で、健康障害の監視、職場環境の改善、職員のメンタルケアなどが具体的な業務内容
首都圏の小学校で昨年、こんなことがあった。 6年生の児童が友達とけんかした。たたかれて鼻血を出したことに父親が激怒、校長室に怒鳴り込んできた。父親はテーブルの上に座り、校長の胸ぐらをつかんで「学校の責任だ。傷害罪で告訴する」と迫った。 騒ぎを聞いて集まった担任らは「原因は双方にある」などと説明し、今後は厳重に指導すると約束した。だが、父親は聞き入れず、「お前ら全員辞めさせてやる」と廊下にまで響きわたる声で罵倒(ばとう)した。 結局、父親に押し切られる形で警察が呼ばれ、教室で現場検証まで行われた。たかが子供のけんかにと、警察も困惑気味だった。「最近の親は、いったんキレると何をするか分からない」と、事情を知る学校関係者が肩をすくめた。 こんな親は決して珍しくはない。今年8月、首都圏から十数人の小中学校教員に集まってもらい、教育現場で今、何が問題になっているのか、匿名を条件に語ってもらった。複数
昨日の後藤和智氏の「個人的」感想、「TOSSを持ち上げるのは減点だろう」という内容について、 K@KK様からとても適切かつ深遠なご指摘をいただきました。 K@KK 『はじめまして。 私も『いじめの構造』を拝読し、明快さに感銘を受けつつ後藤氏と同じ点に疑問を感じた者です。 私の場合、単にTOSSに対する生理的不信感というよりも、これまである種の疑似科学やその基盤となる思潮を育む温床となってきたor食い物にされてきた科学や心理学の諸理論(マズロー、ロジャーズ、フランクル・・・)と親和性の高いシェーラーを起点にした内藤朝雄氏のいじめ理論を紹介するに当たって、その手の(「世界と繋がってる感」を捏造することに心血を注ぐ類の)人たちに「いじめの原因はα-体験構造の喪失にあり、ならばその体験を補えばよい。そのためにも〜<my理論を代入>」といった要領で安易に転用されないよう、紹介者として釘を刺しておくべ
安倍総理の無様な辞任劇と、福田自民党総裁(そして多分福田総理)の誕生により 10年間以上にわたった「右傾化の時代」は終焉するでしょう。 もちろん、安倍総理の辞任が、それを象徴する出来事であることは間違いありませんが、 「右傾化時代の終焉」を感じさせる出来事は、それ以外にもいくつかありました。 思いつくままに、それを列挙してみましょう。 (1)「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛と分裂 「逆歴史修正主義」とも言うべき酷い中学の歴史教科書を是正するために、保守系知識人だけでなく政治家や財界人などの支持を得て始まった運動でしたが、中心メンバーとなった人たち(多くは元左翼)の行動原理が左翼時代と何ら変わらないことを世人に見せつけ、多くの人の失望を生みました。 (2)「拉致被害者家族への同情心」の低下 左翼=「人権を大切にする人たち」が、嘘っぱちであることを明らかにしたのが北朝鮮拉致問題でした。 し
テーマ、タイトルだけ。 いや、なんつーか、他部署の話だし、私が口を挟むことでもないので黙ってたんだが。一応後で昼飯にでも誘ってみることにする。結構精神的にキツそうだったし。 まあ、喩えて書くとすれば、 「俺もうHP1です、ホント無理です」 「大丈夫!私はまだHP120はあるから!もうちょっと頑張れ!」 考えてみると、例えば恋愛で痛手を受けている人に自分の体験で応じるとか、何かが嫌いな人に「いかに自分はそれが好きか」という論点で応じるとか、似た様な状況は色々あるのかも知んない。 --------------------------------------------------- 07/11/07 17:10 追記。 「辛い、辛い」と言う人に対して、「私も辛いよ!」と言う人は、多分結構いる。それは励ましになるんだろうか。ならないんだろうか。まあ、少なくとも励ましではない様に思う。 どうすれば
非惚れという概念はどうだろう。 自分から「あの人いいなぁ」などといった、自発的惚れ思考がを行えない。 自発的惚れ思考が行えたとしても自己承認が低いためにアプローチなどの自発的惚れ行動ができない。 しかし、相手からアプローチされたりして、恋愛行動の枠内に入ると、一般人と変わらない行動が可能。 よって、恋人や愛人や配偶者といった要素を、自分の生活の中に入れることは可能であるが それらのきっかけとなる思考もしくは行動を自発的に起こせない。 えーと、眠剤飲んで書いてるんで、うまくまとまってません。 とりあえず思考メモってことで。
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