気分は負け犬、常に被害者を名のるのがトレンドらしい。あるいは、人生のだいなし感覚を味わいながら恨み辛みをつらねることにヨロコビを見出す。そういう半端な失敗者は、本書の徹底したダメイズムにガツンと犯られる。 お題の通り、著者は「人生を完全にダメにする」方法を追求する。中途半端ではダメなんだ、徹底して台無しにするやり方を会得し、最後までやり遂げる←驚いたことに、これもダメなんだという。つまり、負の完全性を成し遂げている点において、「成功者」となっているから。 この恐るべき自家撞着を回避するために、完全にダメになった人生を定義する。本当の意味でダメな人生とは、陳腐なものであるべきで、その「失敗ぶり」を人に吹聴したりはできないものだという。 つまり、惨めな人生を美徳だの英知だの足るを知るだのといった言葉で飾ることもダメ、そして、自分の人生を破壊した何かへの復讐や、ダメ自慢ができるような代物なら、そ
一般にブログのエントリー言い換えるならブログの記事といったものをどう取り扱うのが好ましいのか、私の経験から少し考えてみました。論なんて大げさな見出しですが、実体は単なる羅列です。 ブログエントリーの究極的な目的が、自分の言いたいことが相手に誤解されることなく伝わることであるとして、以下にいろいろ挙げてみました。まずは書き手から。正確さを追求すべし、というスタンスで。 ニュースやグラフといった、報じられている物事や統計資料などの事実そのものを扱うときは、好き嫌いなど何かありきで記事を扱うべきではない。つまり、バイアスをかけたり色眼鏡で見たりすべきではない。 ただし、新聞等のマスコミソースがバイアスがかかっていないとは限らない。書き手はその点も留意して、著しい偏りがあると思われるのならばフォローすべき。 ニュースや資料に関するリンクを張るとき、自分は何か興味があってリンクを張ったのだから、どう
「私と青のり 松本圭司」 諸君、私は青のりが好きだ 諸君、私は青のりが大好きだ ナガイの青のりが好きだ 三島の青のりが好きだ 四万十川の青のりが好きだ お好み焼きで 焼きそばで 白飯で カツ丼で 揚げ物で スナック菓子で この地上で掛けられるありとあらゆる青のりが大好きだ お好み焼きに青のりを掛けた瞬間クシャミをして吹き飛ばすのが好きだ 宙に舞った青のりがテーブル上でばらばらになった時など心が躍る 好きなあの子が「美味しいね」と言ったその口から覗く青のりがたまらない その笑顔と青のりとのギャップには絶頂すら覚える 思わず大量の青のりを掛けてしまうのが好きだ 青のりに蹂躙され真っ青になってしまったお好み焼きもまたとても美味そうだ 諸君、私は青のりを山のような青のりを望んでいる 君たちは一体何を望んでいる? 更なる青のりを望むか? 情け容赦なく全てを緑に沈める青のりを望むか? 「青のり!青の
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