初出 ironna(産経新聞) 『サンダカン八番娼館』(山崎朋子)を二十年ぶりに読み返した。「からゆきさん」と呼...
北朝鮮の「スリーパーセル」(浸透工作員)を描いた映画で、私が大変印象深く記憶にのこっているのは、映画『レッドファミリー』だ。 韓国に潜入し、暗殺も含めた特殊工作に従事する工作員が、一般人に浸透するために、郊外の贅沢な一軒家で生活を営む。家族という設定で、工作員同士でファミリーを偽装する。 仲睦まじい家庭を装い、隣家とも交流し、それぞれ職場や学校で普通の生活をする。そのうちに様々な韓国での生活を通して、堕落した資本主義社会ではなく、どこにでもあるような隣家の普通の家庭ぶりに、工作員たちは心が揺れ動く。 だが母国から課せられた使命を守ることが、北に残した本当の家庭のためだということもわかっていて、そのなかであるときはユーモラスだが悲哀に満ちた葛藤が繰り返される。 やがて、この工作員たちは脱北者の暗殺を実際に行うのだが、それは実は・・・ 本来は重苦しいストーリーであり、物語は悲劇的な結末を迎える
もともとは西原理恵子のブレイク以来乱立した類の、下ネタとホンネトークで笑いをとるコミック作家の方である。最初は、違うペンネームで活躍されていたようだが、そのうちにコミックの「芸風」もかわり、既婚ながら、mixiで知り合った男性と不倫するに至る体験を赤裸々に描いた作品を発表する頃に、この「ろくでなし子」というペンネームになったようだ。 この体験マンガの芸風は続き、今度は彼女が女性器の整形手術を受けるというものが評判になった。それ以来、反表現規制のフェミニストの方々と結びつき、そのうちに、いつの間にか、女性器を題材にする「芸術家」となっていたというのが簡単な彼女のプロフィールとなろう。(このへんの経緯は彼女の著書『デコまん』に詳しい) このへんまでは、まあなんというか笑い話としてもいいのであるが、そのうちにこれが昂じて、女性器を模したボートを制作したり、その資金のクラウドファンディングに自身の
大阪のなんばの寿司店で、韓国人にわさびを大量に入れて提供していた件が韓国で話題になったのはしばらく前。韓国人差別ではないかというものである。 その後に、実際に韓国人や中国人がわさびの増量を要望する客が多いということがわかり、それを考えた店側が一種のサービスのつもりで、全ての韓国人に(おそらく中国人にも)、わさびをたっぷりと入れていたのが実情なのではないかという見方になりつつある。もちろん実際には、言葉が通じないゆえの無愛想な接客と相まって、日本文化に常々触れていて、日本語もわかり、来日経験豊富な韓国人には差別的と感じられるシーンもあったのだろう。ただしここはあくまでもブラックボックスであり、実際にどのようなことを店側が行っていたかはわからない。 難波の「韓国人差別」と釜山の「日本人差別」以前、自分は似たような話を調べたことがある。それは全く逆の話で、韓国で日本人が差別行為にあっているという
2016年9月16日の毎日新聞紙上に、「法務省民事1課への取材に基づき、日本は台湾を国として承認していないため、台湾籍の人には中国の法律が適用されると報じてきましたが、誤りでした。」との記事 が出ました。 法務省は15日、「国籍事務において、台湾出身者の人に中国の法律を適用していない。日本の国籍法が適用される」との見解 を明らかにした。報道各社の取材に対し、同省は「台湾は中国として扱う」などと説明していた。こうした点について、同省幹部は「言葉足らずの面があった が、中国の国籍法を日本政府が適用する権限も立場にもない」との見解を強調した。 毎日新聞 各紙、これを追うかたちで同内容の報道をしており、これをもって、やはり蓮舫氏には法的に問題があるという論調が現在出回っています。ホレ見たことか!やっぱり蓮舫は二重国籍だ!という類ですね。中華人民共和国の法律をもってして、国籍離脱したと解釈するのは間
蓮舫氏の「二重国籍」を問題視する一部の指摘があって、あれやこれやで議論があるようです。 この議論のなかには眉を顰めたくなるようなものから、なるほどと思わせる意見などもあり、改めて日本の国籍概念について考える機会になっているという意味で、自分はポジティブな結果につながるのではないかという感触をなんとなく得ています。そもそも、この二重国籍(以下「重国籍」とします)を禁止しているルールが、もはや日本とアジアの数カ国に代表される、いわば人権後進国のみのものだからです。まずはこれをあぶりだすという意味ではいいことではないかと。 日本社会のガラパゴス化については、様々に言われておりますが、重国籍の禁止もそのひとつです。その証拠に法務省も事実上、重国籍を容認してきているという話をこれからまとめていきましょう。 蓮舫議員の「二重国籍」疑惑はムリ筋である まずは、蓮舫議員の「二重国籍」疑惑について、これが「
「国体の衣を着けたる共産主義者」岸信介「陸軍赤化論」というものがある。これを世に知らしめたのは近衛文麿だ。敗戦直前、戦争遂行の可否に悩んでいた昭和天皇に奏上して近衛曰く、この戦争は「国体の衣を着けたる共産主義者」の陰謀である、と。そしてこれに同調したのが共産主義者の「新官僚=革新官僚」だったということだ。 敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。以下此の前提の下に申述候。 (中略) 翻って国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件、日々具備せられ行く観有之侯。即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵慨心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、これに便乗する所謂新官僚の運動、 及びこれを背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座侯。 (中略) これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可
ナチスは親日的だった? 同盟国であり、ともに敗戦国であったからという理由から、ナチスドイツに対するシンパシーのような空気が一部に存在する。 その彼らが言うには、「ナチスは親日的だった」そうである。 だが、これは欧州のディプロマシーの中のプロパガンダをナイーブに信じ込んでしまった結果に過ぎない。現実はもっと複雑であり、ナチスの思想はもっと残酷であった。 ドイツの国策「親日」映画『新しき土』 1937年に公開された日独合作映画に『新しき土』がある。撮影は日独防共協定の前年。 当時バリバリの新進女優であった「銀幕の処女」原節子が主演。日本映画黎明期の職人伊丹万作(伊丹十三の父)がドイツ人と共同監督。ドイツ側監督は、アーノルド・ファンク。山岳映画の巨匠である。軍人に守られながら、満州の開拓に日本人娘が入植する結末に終わるこの映画。ドイツ語タイトルは『サムライの娘』。この映画は日本では大ヒットした。
先日、某セキュリティソフト会社の管理職の人が、ネット上の難民を揶揄したマンガに賛同する人達の情報をリストアップしネットに公開したところ、逆にその素性がバレてしまい「炎上」するということがあった。セキュリティ会社の社員が、「個人情報」をネットに公開するなどということはいかがなものか、ということらしい。 それからほどなく、今度は、この「個人情報」をネットに公開したことを批判する弁護士に対して、某地方新聞社の管理職の方が、twitter上で弁護士に対して「暴言」を書いたということで問題となり、これも「炎上」した。 この二つの「炎上」を起こした人達については様々な批判があった。社会的地位にも恵まれた50代ということが共通点として目立つことだが、それよりも、この二人が、反差別を旗印にし、これまで賛否両論・ 毀誉褒貶を受けてきた「しぱき隊」であるということで注目を集めた部分が多い。 整理するために、最
(本文は、皇太子夫妻に跡継ぎが未だ授からぬところから巻き起こった、皇室典範について議論も含む、一連の騒動?を前にして書いたもの。日本中から姑根性丸出しで嫁がイビリたおされていたころ。初出、2006年02月09日) 人の家の世継ぎの話になんでこんなにみんな一生懸命なんだろう。 そして、よくよく考えてみれば、これほど卑しい話はない。 私は天皇制についても、きわめて日本的な(したがって独創的な)政治的な作品を見るのである。天皇制は天皇によって生み出されたわけではない。 天皇は時にみずから陰謀を起こしたこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥に逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。 社会的に忘れられたときにすら政治的に担ぎ出されてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家たちの嗅覚によるもので、彼らは日
樋口直人氏の『日本型排外主義―在特会・外国人参政権・東アジア地政学― 』をたいへん興味深く読んだ。 おそらく現在の日本の排外主義者(ネット右翼)の研究分析でもっともよくまとまったものだと思う。 西欧の先行する極右研究を参照しながら、特に現在流通している日本の排外主義者像を数値データを使いながら再検証する。特に、在特会を中心に30名以上の排外主義者のヒアリング(ライフヒストリー分析)から導き出した日本型排外主義者像とその形成要員の分析は、おそらく今後、排外主義者像を語る上でのベーシックなものとなると思われる。 以下、概要をまとめる。 【概要】 1.90年代に出現した歴史修正主義がまずは「マスターフレーム」である。 2.ネットへの接触とともに、その右派的マスターフレームに触れて、そこから排外主義フレームへ流れた。 3.そのため、もともとは「外国人問題」に不満やストレスがあったのではなく、嫌韓・
昭和天皇独白録の述懐の中でも有名なもののひとつに、太平洋戦争の理由を述べたものがある。 いわく、太平洋戦争の遠因は、それからさかのぼる20数年前の第一次世界大戦終了後のパリ講和会議で、日本が提出した人種差別撤廃条約のアメリカとイギリスによる否決したことうんぬん。 当時の情勢を振り返る。ドイツのヴィルヘルム2世は、日清戦争の勝利の前後から欧州の権益を損ねるアジア人種は脅威であると、いわゆる「黄禍論」を打ち出す。ちょうど中国のナショナリズムが萌芽期に入ったころ。 カイザーは自らアイディアを出して有名な「ヨーロッパの諸国民よ、汝らのもっとも神聖な宝を守れ」と題した風刺画を新聞紙上で発表させる。 ここらから、はじまる欧米のアジア人にむけられた新聞の政治風刺画をまとめながら、黄禍論の中で日本人がどのように描かれてきたのかをまとめたのがこの本。したがって、タイトルは「風刺画の中の黄禍論」とでもつけるの
日露戦争は、「第0次世界大戦」とまでいわれるほど、これまでの戦争スタイルとは違ったものであった。それは戦術や火器の進歩、さらには桁違いの死傷者数などはこれまでになかったものであったが、それとともに大きな違いがあったのは戦費である。 日本が日露戦争で使用した戦費総額は17億円。この当時の日本の国家予算は2億円程度であり、その不足分はすべて外債によってまかなわれている。 日本は日本は戦費の融資を同盟国イギリスに頼んだがこれは断られており、結局は金融市場にて調達するしかなかったのである。 この金融市場で、大半の債権の買い手は実はアメリカで、その買い付けを行ったのはこの本の主人公であるユダヤ人の金融商人であるジェイコブ・シフであった。 シフの投資スタイルから、当時のアメリカの金融市場の世界戦略の構図が見えてくるのだが、そのへんが今ひとつわかりにくい。もともとこの本の大半は、このシフの日露戦争後の日
伝統は捏造される 『創られた「日本の心」神話』という本書のタイトルですぐにエリック・ホブズボウムの『創られた伝統』の日本における音楽版であろうことがわかる。その『創られた伝統』は、「伝統」と言われるものの多くが、後世になって人工的に創られたものであると欧州とその他の世界における実例を様々にあげ、それがナショナリズムの構築のためのイデオロギーと強く関係があることを解き明かした書である。 これは日本においても例外ではない。 特に、明治期の天皇崇拝と神道に関する「伝統」のねつ造ぶりは、まさにここまで行けば天晴という他ない類のものだ。それを最初自分は坂口安吾から学び、そして様々な神道の現代的な史学研究から学んだ。 捏造の告発は、外国からの視点が特に峻烈だ。例えば、明治6年から三十年以上日本に滞在し、俳句や古事記を世界に紹介した東京帝国大学の名誉教授のバジル・ホール・チェンバレンは、以下のように記し
安全保障関連法案が参議院で可決され成立しました。 採決までこれまでの数日間、国会前ではデモが続き、これに呼応するかのように主要野党による国会での強行採決阻止の動きがありました。 法案は通過しましたが、そもそもこれは防ぎようがなかったことです。 このことは「国会前の敗北主義」に書かせていただいたとおりです。はたしてうまく敗けることが出来たか、それは今後の世論の動き、そして直近の来年8月の参議院選で明らかになることでしょう。 ただ、自分はこのへんについては非常に懐疑的です。日本の有権者はエキセントリックに視えるものに対してバランスをとる傾向があります。国会での野党の不信任案動議や審議の時間を延ばすための国会戦術的フィリバスター(議事妨害)に対して、どのように有権者が評価するのか。 しかし、あくまでも自分の感触ですが、この強行採決までの各種の流れで、世論がかなり右振れしているような気がしてなりま
安保法制を巡って、その反対派が国会議事堂前でデモを行いました。過去最大規模だそうです。 その数は主催者発表で10万人超。警察発表では3万人だそうですが、この手の数字を警察が控えめに発表するのはいつものことですから、10万人は超えていなくともこれよりは多かったでしょう。 さて、数字の大小はともかくも、このデモの結論は明らかです。 この法案は可決されます。間違いありません。 そして、このことは国会議事堂前に集まったすべての人は皆知っているはずです。 この類のデモというのは基本的に議会制民主主義の中では最初から敗北しています。法案を提出した自民党が議席の絶対多数をもっているのですから当たり前です。そしてそれでもやるというのは「敗北主義」です。 ここでいう敗北主義とは、負けるとわかっていてもやらねばならないという態度のことです。なぜならばそれが次につながるからです。そうすると、この敗北主義というの
「日米開戦はソビエトが仕組んだ」という陰謀論「日米開戦はソビエトの陰謀だった」という「真実」がネットでは散見される。 「ハルノート」などで試しに検索するとこの手の「陰謀史観」が、その手の人達の大好きな「真実」という言葉とセットになって出てくる。このコミンテルンの陰謀説というのは、戦中から戦後にかけて近衛文麿のような人まで唱えていたくらいだから、それなりに根拠ないものでもないのだが、それにしてもなんというか、この手の「真実」が好きな人が多いことに驚く。 本書は、ソ連が独ソ戦を有利に戦うために、日本とアメリカを戦わせたという「日米開戦ソ連謀略説」の根拠のひとつになっている、いわゆる「ハル・ノート」とそこからくる対日戦争がソ連の工作(「雪作戦」)によって成し得られたものではないのかという説を徹底的に検証したもの。注目すべきは、ソ連時代にこの工作を実際に担当したものへのインタビューが検証の中心とな
以下、太平洋戦争の帰趨は少なくとも1944年7月に「絶対国防圏と目されたサイパンの陥落でおおよそ決まっていました。 それではなぜその戦争の終結までに1年以上もかかってしまったかについてまとめてみます。 また、結果的に原爆により、戦争の終結が早められたという、あまり認めたくはないアメリカ側の基本認識がそれなりに的を得ているということも最後にふれてあります。 1.天皇の終戦決断のタイミング 「ニューギニアのスタンレー山脈を突破(1943年9月)されてから勝利の見込みを失っていた。一度どこかで敵を叩いて速やかに講和の機会を得たいと思ったが、独乙との単独不講和の確約があるので国際信義上、独乙より先には和を議したくない。それで早く独乙が敗れてくれればいいと思ったほどである」 (昭和天皇独白録) 昭和天皇はこのように終戦直後に語っているが、その敗戦の受け入れの意志を実際に固めたのは、もっと後、1945
自分は決してゲバラをアイドル視したり無責任な神格化をするつもりはないのであるが、ひとつだけ。 以下の記事にはエピソードの前段と後段が省略されている件。 ◇ゲバラ:被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問 訪日時 キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として59年に来日し、広島をゲリラ的に訪問した際、副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。 フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。 ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。 フェルナンデス
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