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2019年2月25日のブックマーク (4件)

  • ヤマザキマリ この地球でいかに面白く楽しく生きるか:日経xwoman

    イタリア、シリア、ポルトガル、アメリカなど世界を行き来しながら国境のない日々を送るマンガ家・ヤマザキマリさん。マリさんの母リョウコさんもまた、音楽と娘、そして自身の人生を愛する、何から何まで「規格外」の母だった! ヴィオラ演奏家として世界を駆け巡りながら、シングルで娘2人を育て上げた破天荒なリョウコさんからマリさんが学んだこととは? 濃縮3回シリーズ、第1回は「母から受け継いだ人生観」です。 (1)この地球でいかに面白く楽しく生きるか ←今回はココ (2)私が歴史マンガを描き続ける理由 (3)『フランダースの犬』のネロにはならない! ARIA世代は、“女性”というくくりが抜ける年代 ―― 「日経ARIA」の読者は40~50代で、がむしゃらに走り続けてきたモードが一段落し、さあ、もう一度自分の人生を見つめ直してみよう、というタイミングに来ている人たちです。 ヤマザキマリさん(以下、敬称略) 

    ヤマザキマリ この地球でいかに面白く楽しく生きるか:日経xwoman
  • 「ただ今、ジョブレス!」篠田真貴子 攻めの50代:日経xwoman

    最初から再生 続きから再生 ↓以下はオプション。反映させるには「最初から再生」ボタンを押してください speed: 1 ×閉じる 昨年、「ほぼ日」のCFOを退任した篠田真貴子さん。ちょうど50歳だ。退任後1カ月もたたないうちに編集部は篠田さんにお会いした。きっと次のステージへの準備が着々と進んでいるんだろうなと思いきや、「今、ジョブレスなの!」とすがすがしい笑顔で無職を楽しんでいる。篠田さん、これから10年、どんな地図を描いているのですか? 50歳で無職 これから何をやるんですか? ―― 2018年11月、10年勤めたほぼ日のCFOを退任しました。「50歳」という節目の決断に、同年代の働く女性たちの関心も集まっています。 篠田真貴子さん(以下、敬称略) 結果的に、「10年」「50歳」という区切りになりましたが、もともとそういう予定で考えていたわけでは全くないんです。縁あってほぼ日という会社

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  • 「英語と茶道」を武器に44歳から働く人気茶道家:日経xwoman

    最初から再生 続きから再生 ↓以下はオプション。反映させるには「最初から再生」ボタンを押してください speed: 1 ×閉じる 英語で茶の湯を広める茶道家として国内外で活躍する保科眞智子さんは、専業主婦歴18年。再び働き始めたのは、44歳の時。わずか3年前だ。長年続けてきた趣味が実を結んで仕事になり、「自分らしい働き方」を手に入れた保科さん。好きな「茶道と英語」を武器に「18年ぶりに働く」——その最初の一歩をどのように踏み出したのか。 (上)「英語と茶道」を武器に44歳から働く人気茶道家 ←今回はココ (下)「バリキャリと同じ土俵で勝負しない」元専業主婦の強み 「いつか自立したい」という気持ち 保科眞智子さんは、裏千家の茶道家だ。4クラスの教室を開く他、スリランカのジャパンエキスポや日科学未来館の世界科学館サミット、パリで行われたジャポニスム2018など、国内外のさまざまな場で英語によ

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  • 【当世インド事情】村人はマッチョだらけ 貧困脱出へ「筋肉は裏切らない」(1/3ページ)

    男性の多くが筋力トレーニングに日夜励む村が、インドの首都ニューデリー近郊にある。村の運動施設には若者が集まって日々、汗を流しており、「インド最強の村」(米CNNテレビ)との異名もとる。トレーニングに余念がない理由は、肉体を鍛えることで村人たちに職が生まれているため。流行語となった「筋肉は裏切らない」をまさに地でいく世界がインドにあった。(ニューデリー 森浩) 「2~3年で屈強な男に」 ニューデリーから車で1時間ほどの村「アソラ・ファテプル・ベリ」。人口4000人程度の集落だが、普通の村と違うのは、毎日午後3時過ぎになると、若者たちが続々、運動施設に集い始めることだ。 施設は村人たちがお金を出し合って整備したもので、30人程度がさまざまなトレーニングを行う。「みんな自らを鍛えることを愛しているし、何より生活のためなんだ」と、リーダーの一人であるタンワルさん(22)は話す。 トレーニングは、力

    【当世インド事情】村人はマッチョだらけ 貧困脱出へ「筋肉は裏切らない」(1/3ページ)
    stilo
    stilo 2019/02/25
    『もともとは農業中心の貧しい村だった。村人たちは筋力増強に励んだ結果、ナイトクラブやレストランで用心棒や警備員としての職を得ることができた。』