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2007年11月29日のブックマーク (10件)

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    suVene
    suVene 2007/11/29
  • はてなダイアリーのヘルプ - はてなダイアリーXSS対策

    はてなブログのヘルプです

    はてなダイアリーのヘルプ - はてなダイアリーXSS対策
    suVene
    suVene 2007/11/29
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  • もっと自分の知らない情報や人とつながっていきたい──fooo.name・高村さん

    「ひとりで作るネットサービス」第19回目は、fooo.nameを作っている高村達也さん(24)にお話を伺った。インターネット上で見つけた“気になる人”に関する情報を、簡単に見つけることができるサービスだ。もっと多くの情報や人がつながっていくといい──と考える高村さんは、どのようにサービス開発を行っているのだろうか。 ランキングでは実現できない、“人”を中心とした横の情報の見つけ方 「今まで知らなかった面白い人が見つかるようになりましたね」。高村さんはfooo.nameについて、うれしそうにそう教えてくれた。自分で作り上げたサービスは、いまや自身にとってなくてはならないツールになっている。 以前は「はてなブックマーク」を見ていて面白い記事があったらブックマークしたり、RSSに登録したりして終わりだった。しかしfooo.nameを使えば、その記事を書いている人に関して、もっと多くのことを知るこ

    もっと自分の知らない情報や人とつながっていきたい──fooo.name・高村さん
    suVene
    suVene 2007/11/29
    このサービスのキャラクターは作成者の虚像だったのか。
  • Adobe ® Acrobat.com — ドキュメントコラボレーション

    Create and edit PDFs. Collaborate with ease. E-sign documents and collect signatures. Get everything done in one app, wherever you work. Acrobat’s got it. Plans start at   .

    Adobe ® Acrobat.com — ドキュメントコラボレーション
  • 鼻毛を出ている人を探しちゃダメでしょという事なんだろうと思う (奥様、鼻毛が出ておりますことよ)

    ちょっと、最近、ナーバスになっていて、このままこのスタイルでブログを続けていることははたして私に何かプラスになるようなことに繋がるのかと考えていて、この「はてな村」的な自分の立場をどう変えていこうか、はたまた、ネットで発言する事自体、私に害を及ぼしているのではないかと悩んでいます。 私は自分の過去ログを一切読まないのですが、なんとなく思い返してみると、ブログを始めた頃は、もっと純粋で、ネット上の知的な対話を楽しみ、あわよくば自分もそこに参加してみたいという欲望と、難解な論点を理解しようとする向上心と、広いネット空間から興味をひかれる話題を探そうとする探究心と、自分の考えを論理的に分析しようとする意欲と、そして、いつかは自分も成長していくのではないかという期待があったと思います。 ここをはじめてどれぐらいたったのかよく思い出せないのですが、それなりの長さはやってきたはずで、その割には文章

    suVene
    suVene 2007/11/29
    『「あんなに気取っているのに鼻毛なんて出してみっともないよなぁ」というのではなくて、「その部分を気を付けたらもっといいのに」みたいなものにしたかったはず』 あぁ、そういう意味があったんだ。
  • 牛蒡 ちょっと泣きそうになってたけどまぁはなしてた人が悪いわけじゃない

    昨日メッセしててちょっと思ったんだけど(そのときは特に書かなかったんだけど)あぁ,あれなんだなぁと思った。 私の知らないところで,私が存在しているというだけで勝手にいざこざが起こって,一切の介入ができないにもかかわらず最終的にはその責任は全部私に降ってきて,場所を追われるのが嫌なんだなぁ,と思った。一切の介入はできない。私の目に付かないところで行われる政治。だけれども彼らの中で丸く収めるためには私を原因としてしまって追い出すのが一番よくて,その始まりも途中経過も知らされず突然追い出されるのだ。一切の言い分を言うことは許されず,一切の言葉を挟むことも許されず。権利はないのに責任と義務だけ押し付けられる。尻拭い的に。そのやるせなさ,虚無感,いらだち,だけどもどうにもできない無力感。全員から突き出されるノー,ここから出て行けという,お前は出て行けというそういうことばと態度と空気と。私のせいではな

    suVene
    suVene 2007/11/29
    『そういうことはもっと言っていくべきなのだろうと思った。どう考えてもおかしい。』 見えない弱者は叩かれる(というか、叩いているという意識もなく)ことはよくあることだと思う。/ よくある=許される ではなく。
  • とりがくる

    友人の話。 彼女には二つ下の妹がいるのだが、この妹には幼いころ夢遊病の気があったのだという。 夢遊病といえば寝ている間に歩き回ったりするくらいのものだと思っていたのだが、どうやら彼女の妹の場合はもう少し激しいものだったらしい。 寝静まった頃、突然起き上がって暴れまわる。そして毎回「とりがくる」「森のほうにとりがいるよ」などと泣き叫んだ。 この発作が起こると、同室で寝ていた友人にはどうしようもないので両親を呼んで取り押さえてもらう。押さえられると数分で大人しくなった。 そして朝目を醒ますと、昨夜のことは何も覚えていないという。 毎日ではないものの、ひどいときは週に一回くらいの割合で起こっていた。 妹はしばらく通院して治療をした結果、小学校低学年のころにはもう発作も起こらなくなった。 友人の二の腕には、発作を起こした妹に引っかかれたという傷跡が、まだうっすら残っている。 この話を先日友人が思い

    とりがくる
  • ベア速 親孝行したくなるコピペ

    10 名前:1/5[] 投稿日:2007/11/15(木) 07:10:17.81 ID:jEftDiJ40 幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。 J('ー`)し (  )\('∀`) ||  (_ _)ヾ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな 仕事で生計を立てていた。 ┌─────────┐ │  個 人. 商 店  │ └─────────┘ │  J('ー`)し     | │   (  )    ┌─| │   ||    │ i|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので 何とか母子二人で質素に暮らしていけた。 │ │ │ │  J('ー`)し_____________ / ̄ ̄ (  )  ('∀`) /      ||  (_ 

    suVene
    suVene 2007/11/29
    「親孝行」の話には、死と過去の思い出が付きまとう。
  • 既に承認されて在ることを信じる - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「承認は分配できるか(財のように)」、後半部分について。 「「財の」分配という問題は立てられるが、「承認の」分配という問題は立てられない」、というところまでは、そうだと、やはり思う。その先を考える。 では逆に、誰からも承認されずに、それでも生きていくことを肯定できるだろうか?他者からの承認は、心地よい。時々、そのためにこそ生きているかのような錯覚さえ起こす。しかし、それは錯覚のように思える。誰からも承認されないとしても譲れない、というものは、自分の中にもあるような気がする。他者からの承認など不要だ、と言えるだろうか。言える。過去の幾つかのことを振り返って、自分の今の時点での見解として述べるならば、他者の承認は心地よいが、しかし、絶対不可欠のものではない、と、思う。より根にあるのは、自分が自分を承認する、ということだと思う。 「他者からの承認など不要だ、と言える」、と述べた。これは当だろ

    既に承認されて在ることを信じる - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 承認は分配できるか(財のように) - モジモジ君のブログ。みたいな。

    幸せそうな奴らが目障りだから気を遣うべき、いなくなるべき、云々、といった物言いに賛成しない。そうではない奴らが醸し出す暗さ、重さがうんざりだから、気を遣うべき、いなくなるべき、云々、といった物言いにも賛成しないのと同様に。すべての人が、幸福な、あるいは不幸なままで、行きたいことに行き、好きなことやすると決めたことをすればいい。 社会が変わる必要がない、とも言わない。しかし、人は、生れ落ちた地点から、持って生まれたものだけを持って、とりあえずは始めるしかない。人間の自己責任論は醜く汚いが、それとは別に、神は自己責任を要求する。 分配の問題は、幸・不幸とは関係ない水準にある。金持ちだからといって幸福なわけではない。貧乏人だからといって不幸だと決まったわけでもない。度を過ぎた貧乏は幸福になりようがない、ということはありうるのだろうか。いずれにせよ、度を過ぎた貧乏の中で幸福であるとしても、だからそ

    承認は分配できるか(財のように) - モジモジ君のブログ。みたいな。