土俵の件、補記 - novtan別館言及ありがとうございます。私もその種の「空気読めてない」言及が多いほうかなと思っていたので、参考になりました。 逆に言うと、議論する(したい)人のほうも、常にノイズが絡んでくる可能性を念頭におき、そっち方面対処に振り回されないようにしましょうってことになるかな。正直言って、知らない間に「議論」ということになってたりするから難しいが、双方見極めが必要だ。議論苦手な人は、その話題が「議論」に属するものであることがわかった時点で、何か言いたいことがあってもその話題から手を引く(自分の書いたことに対して何か言われてもそれ以上言及しない。「誤解」も罵倒も甘んじて受ける)のがそのときは損のようでも時間や労力や公益性*1という面で言ったら吉かも。
もしくは「主観的には「できない」理由はいくらでもあるが、傍から見れば「してない」だけ」Error植園容疑者は昨年12月21日、JR湖西線の普通電車内で女性(同27歳)に暴行し、さらに大津市のJR雄琴駅で電車を降り、同駅のトイレに女子大学生(同20歳)を連れ込み、暴行したとされる。あーこの人、以前取り上げた「1時間にひとりレイプしてた人」だ。この分だとまだ余罪が出てくるのかもな。滋賀県を中心に夜間に電車の中とか駅のトイレとか… やっぱり好みのシチュエーションってのが決まってるのかもしれない。調べでは、植園容疑者は、昨年8月3日午後9時20分ごろ、福井駅を出発した直後に、6両目の前方から2、3列目にいた女性の隣に座り、「逃げると殺す」「ストーカーして一生付きまとってやる」などと脅し、繰り返し女性の下半身を触るなどしたという。さらに、京都駅出発後の午後10時半ごろから約30分間にわたり、車内のト
数年前バスに乗っていたとき、こういうことがあった。私のすぐ後ろの席に男性の二人連れが乗っていた。乗るときにちらっと見たが、一人はかなりオッサンでどうやら出張か何かで福岡に来ている人らしい。もう一人は若くて、おそらくそのオッサンの案内役の地元の人。そのオッサンが連れを相手に何を喋っているかというと「福岡市がいかに田舎か」ということを熱心に説いているのだった。しかもかなり大声で。福岡が田舎である根拠としては、地下鉄の路線が少ない、ということだった(当時は七隈線もなかった)。主要道路の地下に地下鉄が走っておらず路上をバスが走っているなんて田舎だ!というようなことを熱く主張。比較として地下鉄が走っている他都市を出して、福岡のほうが田舎だと強調。でも別に地下鉄愛好家というわけでもなさそうで、ただ福岡は田舎であると言いたいだけのようだった。しかもバスは西○の独占状態だ、それがいかん、みたいなことを大声
以下略。自分も気をつける。・・・・・・・・・と思ったけどちょっとだけ。人間誰しも完全無欠の聖人ではないのだから偏見や差別心は多かれ少なかれあるだろうし、何かの拍子にそれが出てしまうこともあると思う。売り言葉に買い言葉、感情的になって言わなくてもいいことを言ってしまうこともあるだろう。でもだからって、その偏見を正当化し続けるのはどうかと思う。その揺るぎのない確信っていったいどこから来てるんだ? もちろんそれが「差別」かどうか傍から見れば微妙なことというのはあるし、そんなつもりで言ったんじゃないのに「お前は差別している」などと言われて気持ちのいい人はいない。やり取りの中で相手だって不愉快なことを言ってる場合もある。それでもそこの言動からうかがわれるのは差別意識・偏見・侮辱だろとしか言えないようなことはある(少なくとも私の価値観においてはある)。厳密に学問的に言って差別とはどういうことかってのと
自分を異質として少数派にしてしまうのはどうしてなんだろう。メモこれはやはり経験によるところが大きいのではないかと。子どもの頃からの積み重ねで、「あんたは変わってる」とか「気持ち悪いからこっちに来るな」とか、まあその種の否定的・排除的なことを何度も言われていたり、好きなもの同士でグループ作ったら必ず余るとか、ケンカしたら周囲は皆傍観者か相手の味方、というような経験をフォローもなしに重ねていると、「自分は他の人には受け入れてもらえない「違う」ところ「おかしな」ところ「間違っている」ところがあるのだ」と思い、またそのことを否定的に捉えるようになっても、ある程度仕方がないと思います。もちろんそこで一所懸命「悪い」と思われるところを「直した」結果、皆に受け入れられるようになったとか、成長過程でそのような認識を覆すような経験があり、自己像がポジティブなほうに修正されたという人もいると思うけど、そういう
・他人が愚痴を言ったり弱音を吐いたりすることに対して「甘えるな」「大変なのはお前だけじゃない」「お前などまだ恵まれている」 他人のみっともなさや至らなさに対してむやみに厳しい。自分にも厳しいのかもしれないが、自分にだけにしといてほしい。・「自分(もしくは自分の知っている人)はこうやってきた」→「だから他の人だってできるはずだ・やるべきだ」→「できてない・やらない人は甘えている」・「他人や社会の批判ではなく自分が変わるべき」。たしかに何でも外部のせいにばかりしているのはみっともないが、行き過ぎると「嫌なことが起きるのはあなたの心がけが悪いせい」に限りなく近づいてしまう。・(ひとの生き方・選択について)「(××が基本だけど)○○もあっていいと思う」…これは私もよく使うかも(汗)。そもそも人の生き方なんて誰かが許可するもんじゃない。・「自分は気にならない」→「問題は無い」→「気にしている人はおか
障害者であることを言い訳に使う人について前のほうのエントリで何度か書いたが、だからといって障碍(もしくは広い意味でのハンデ)があることを理由に配慮を求めてはいけないということではない。障碍に限らずその他のマイナーな属性全般について言えることなんだけど、状況を改善するために自分の事情を話して配慮を求めたり(もちろん言い方は大事)代替案を出したりというのはとがめられることじゃないと思う。例えば皆で食事に行く計画を立てるとき、魚介類にアレルギーのある人(もしくは単に「苦手」でも)があらかじめ自分は魚介類がダメだから魚介類メインじゃないところにしてもらえるとありがたい(もしくは代わりのメニューを出してもらえるところ)と配慮を頼んでおくのは失礼なことでもずうずうしいことでもなんでもない(ついでによさげなお店の紹介があったりするとなおよい)。むしろ何も言わないでいてお店で食事が出てきてから「実は食べら
■赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご) 育てられない人が赤ちゃんポストに赤ちゃんを入れる→(素人にはよくわからない時空間)→子どもほしくて(産みたくて)たまらないのに授からない人の子宮に受精卵となって着床!(DNAとかそういう難しい話はとりあえずおいといて) となれば、赤ちゃんには行き先が出来、子どもほしい人は子どもが授かり、里親さんが見つかるまでの一時預かりのための施設もいらず、となって各方面ニコニコ。 子どもの頃は科学の力でなんでも解決できるようになると思っていたのに!(←バカ) Permalink | コメント(0)
というのは、以前ちょっとだけ勤めた会社の上司が自閉症、というかアスペルガーだったからだ。上司(男性)の口癖は「俺はアスペルガーだから」。一緒に仕事をしていても、これからどういう計画でプロジェクトを進めていくのかさっぱり分からなかった。当然のように、「これからどういう段階を踏んでいくんですか」と質問したところ、「俺はアスペルガーだから、物事を順序だてて考えていくのはできないんだ」という答えが返ってきた。このあたりはまだかわいい方で、私が質問すると「お前バカか?何度も同じこと言わせんな!」と怒鳴られ、机をばんばん叩かれた。こんなのが日常茶飯事。そして最後は自分の椅子を私に投げつけた。結局、私は3ヶ月で耐えられなくなり、その会社をやめた。503 Service Temporarily Unavailableこの記述だけであれこれ言うのも失礼なものだが、これはひどいと思ったので書いてみる。この男性
前日のエントリになんだかえらく反響があるんですが、話の内容に関してとは別に、そういう利用者の言動に関することを軽々しく話題にするのはどうかというニュアンスのコメントもいただいており、職場で見聞きしたことやそれについて感じたことを書くのは軽率だったかとも思っています。私自身は他の職業や立場の方の愚痴もまじえたエピソード披露エントリを読むのは、その立場にある人の気持ちや仕事の一端がわかって興味深いのですが、語らないほうがいいこともあるのかもしれません。ADHDに関してはkeya1984さんがコメント欄である程度説明してくださってますが、実際のとこどういうものなのか、各自調べていただけるとありがたいです。愚痴めいたことを書いていますが、私はそのお母さんの人間性をどうこう言いたいわけではありません。誰でも攻撃的な気分になることはあります。他のとこではわが子が走り回らないようにあれこれ工夫してるのか
山は越えたそうだが - 北沢かえるの働けば自由になる日記まずごめんなさいって、それからだよ - S嬢 はてなkaerudayoさんのエントリ読んで思い出したことがある。ある日(かなり前)仕事をしていたら、利用者から「子どもが雑誌コーナーで走り回っている。注意するべきだ」と苦情があった。で、見に行くと、たしかに幼児がひとりばたばたとせわしなく走り回っている。まあこれは他の人たちはうっとおしいだろうと思い、その子のところにいって「ボク(男の子だった)、ちょっと走るのやめようねー」という感じで話しかけたら、その近くに座って雑誌読んでた女の人が「この子はADHDなんです。じっとしてられないんです。出て行けって言うなら出て行きますけどっ」と憤然として言う。ああーADHDなのかー。言われて見れば確かに、走りたくて走ってるというよりエンジンついてて走らずにはいられないって感じだ。それは悪いことをした、と
同性愛嫌悪的広告の設置求め、牧師が最高裁へ請願−アメリカ - ゲイジャパンニュース「同性愛について聖書を基に非難した広告の撤去を命じられた牧師が、合衆国最高裁に対し請願書を提出」だそうだ。宗教的信念に基づく差別的な表現は表現の自由で守られるべきか(そしてその頒布広報に加担することで利益を得る事は許されるか)、行政の介入は妥当かっていう問題なんだと思うけど、そこら辺の細かいところはとりあえずおいといて。この牧師さんは「広告中のメッセージが、自己の信仰を実践する憲法上の権利であると主張」しているらしい。まーそりゃ確かに「同性愛イクナイ」ってのも彼の宗教的信念の一部ではあろう。そして自分の信念を世の中に示すのも実践のひとつではあろう。でもさー、なんでそこをわざわざ強調するわけ? 聖書には他にもいろんなことが書かれているのに、聖書を盾に同性愛を非難する人というのは「そここそがとても大事!」みたいな
たとえば何かニュースになるような事件が起きたとき、渦中の人物がなぜそのようなことをしたのかについてあーだこーだ考察したり、その人の人間性について思うところを語ったりするのは、ある意味とても失礼なことだ。ニュースになるような事件じゃなくても、他人に対して「こういう人だろう」「こういう動機でやってるのだろう」「こういう事情があるのかも」と勝手にあれこれ考えるのは失礼である。それはたしかにそう思う。私はどっちかというと、難しいことよりそういう部分に目が行ってあれこれ考えるほうなので、私が自分にとって「自然」(とめんどくさいのでとりあえず言っとく)なものの見方をしてると、それだけで加害的になるのだなあと考えざるをえない。なんか私が「こういうのが自分にとって楽しいな」「やりやすいな」と感じることを心のままに(笑)実践していると必ずそれは他人を土足で踏みにじるようなもの(もしくは他人を土足で踏みにじる
"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうかその痴漢した人に憤るのは当然。被害にあったあなたに対して「障害者だから許してやれ」的なことを言った周囲の大人の対し方は問題。そして彼が何度もその種のことをして苦情が出ているにもかかわらず、クラスを変える程度の対処しかしていないスイミングスクールや加害者の親にも責任はある。そいつが障害者だからというより、痴漢被害が起きているのにそれに対してきちんと対応しないことに問題がある。加害者が未成年だったとするならなおのことだ。犯罪行為や犯罪につながりかねない問題行為があれば、相手が理解してやめることができるように周囲の大人が指導しなければならない。それは大人として保護者として当然の義務。現実にはできてないことも多くて、エントリのようなことが起きてしまうのだろうが、改善されねばならないことだ。そういう体験に憤るのは当然のことだ。おおいに怒るべきだ。でもそ
■メリットは弱酸性 結婚するメリット、産むメリット議論 前提となっている議論を細かく見ているわけではないので、これはその議論に対してどうこうってわけではなくて、一般論的雑感なのだが。 そーいや以前弟が「必要を感じないから結婚したいと思わない」と言っていて(今はどうか知らない)、結婚ってのは「必要」だからするものなのか?と疑問に感じたことを思い出した。さすがに今は当時より歳食ったので、生活のために結婚を考える人や結婚してないと肩身が狭いというような理由で結婚を考える人もいるのは知ってるが。 何かを行う理由としては「やりたいから」「やらないといけないから(とりあえずここでやっとかないと誰かに迷惑かけるとか、自分にまかされてる仕事とかさ)」「やるべきだから(とりあえず税金払うとか)」「やらないとあれこれ言われてめんどくさいから」「なんとなく」「積極的に選んだわけではないが他の選択肢にはもっと興味
■せんせい、○○くんもやってます! 痛いニュース(ノ∀`):民主・菅代表代行も“不適切発言”!「愛知も東京も経済生産性はいいが、子供を生む生産性は低い」 「愛知も東京も経済がいい。生産性が高いといわれるが、ある生産性は、一、二を争うぐらい低い。子どもを産む生産性が最も低い」というようなことを言ったらしい。愛知県がわざわざ出てくるのは名古屋での講演だからだろう。 だからさ、けっきょく柳沢大臣だけじゃなくて批判する側も、少子化問題の解決には出生数を上げる、産んでもらうという発想しかないから、なにかっちゅーと経済の言葉や統計の数字などで「産むこと」を語ることになってしまい、そもそも人間を数値で語るなモノに例えるな手段扱いするな主義の人たちから延々と突っ込まれることになってしまう。 それかその反動でむやみに美化する。それを嫌う人もいる。「子どもを産む崇高な行為」って言い方だって何か言う人は言うだろ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く