2022年4月29日のブックマーク (4件)

  • ドローンで稲の種まき 時間やコスト削減に(福井県)(FBC 福井放送) - Yahoo!ニュース

    坂井市内の水田で27日、ドローンを使った稲の種まきが試験的に始まった。これまでの田植えに比べて、苗を育てる時間が省ける上に作業時間やコストも大幅に削減でき、後継者不足に悩む農家をサポートできると期待されている。(4月27日) 同市内でスマート農業に取り組む「レイトベースフクイ」が、種苗メーカーとドローンメーカーとの共同で実証実験を始めたもので、この日はコシヒカリの種もみを農業用のドローンを使って、広さ60アールの水田にまんべんなくまいた。 同社の髙橋久明代表は「1反(およそ10アール)あたり10分かからずに田植えができる。自分たちの地元で若い人が注目して(農業を)してみようと思ってくれるとうれしい」と話した。 同社は稲の生育状況や収穫量などの結果を踏まえて、来シーズン以降、家畜の餌用のコメとしての生産に格的に活用していく方針。

    ドローンで稲の種まき 時間やコスト削減に(福井県)(FBC 福井放送) - Yahoo!ニュース
    su_rusumi
    su_rusumi 2022/04/29
    動画の字幕に誤植がある。「1反(約1ヘクタール)」とあるが、10反=1町≒約1ヘクタール。
  • アイヌの祭祀「キタキツネのイオマンテ」が現代人に突きつける答えなき問い | 映画『チロンヌプカムイ イオマンテ』北村皆雄監督に聞く

    ──なぜアイヌのイオマンテを撮ろうと思われたのでしょう? 映像を撮ったのは、じつは1986年で、いまから35年前のことです。それまで僕は沖縄の久高島や西表島の神事にまつわる映像を撮っていて、アイヌのほうには目が行っていなかった。 でもどういうわけか、和人ながらアイヌ名を持つ堤大司郞という写真家から、北海道の屈斜路湖畔でキタキツネの霊送りを75年ぶりにやるから撮影しないかという話が来ました。 それがきっかけで、初めてアイヌのことを少し勉強して、撮影させてもらいました。いずれ格的な映画を作ろうと思いつつ、結局35年も放っていたんですが……。 いまになって映画にした理由は、ふたつあります。ひとつは、民俗資料としても貴重なこの映像記録をなんとしても世に出さねばと思ったからです。 イオマンテを執り行ったのが、当時75歳だった日川善次郎エカシです。この儀礼は当時ですらできる人がほとんどいなかった。そ

    アイヌの祭祀「キタキツネのイオマンテ」が現代人に突きつける答えなき問い | 映画『チロンヌプカムイ イオマンテ』北村皆雄監督に聞く
    su_rusumi
    su_rusumi 2022/04/29
  • ロシアが1発でも核兵器を使うと最初の数時間で死傷者が9150万人に達するという研究結果

    ロシアによるウクライナ侵攻が続くまっただ中の2022年4月21日、ロシアは10個の核弾頭を搭載できる新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「サルマト」の発射実験に成功したと発表しました。ロシアによる核攻撃は十分起こり得るとの見方も出始めている中、ロシアがもし核戦争を始めた場合は最初の数時間で死傷者が9150万人に達するという2019年のシミュレーション映像が改めて注目を集めています。 PLAN A | Princeton Science & Global Security https://sgs.princeton.edu/the-lab/plan-a New Study on US-Russia nuclear war: 91.5 million casualties in first few hours - ICAN https://www.icanw.org/new_study_on_u

    ロシアが1発でも核兵器を使うと最初の数時間で死傷者が9150万人に達するという研究結果
    su_rusumi
    su_rusumi 2022/04/29
    相互確証破壊を担保に、核抑止力によって日本を含む世界が守られたことは否定しないけど、思えばあれは平時の論理だったなと。担保が取り立てられる戦時のフェーズになると何が起こるかわからない
  • 「明史」編さん者の墓誌見つかる 河北省滄州市

    明かりを照らして墓誌を確認する滄州博物館の職員(2022年4月15日撮影)。(c)Xinhua News 【4月26日 Xinhua News】中国河北省(Hebei)の滄州市(Cangzhou)博物館は、市民から寄贈された墓誌が、清代に明王朝の正史「明史」の編さんに関わった学者のものであることを調査により確認したと明らかにした。墓誌に記載された被葬者の名は呂修祉(Lv Xiuzhi)で、明の天啓元(1621)年に「挙人(科挙の地方試験『郷試』の合格者)」、清初に科挙の「榜眼(ぼうがん、次席及第者)」となり、弘文院で編集者として「明史」の編さんに携わった。 同博物館の王瑋(Wang Wei)副館長によると、墓誌は蓋石(ふたいし)と誌石の二つからなる。一辺の長さはいずれも88センチの正方形で、厚さは蓋石が16センチ、誌石が18センチ。青石製で文字が篆刻(てんこく)されている。刻字は小さく、彫

    「明史」編さん者の墓誌見つかる 河北省滄州市
    su_rusumi
    su_rusumi 2022/04/29
    「明朝は万暦に滅ぶ」でおなじみの。万暦帝以後の鬱展開が続いた編者のストレスがこの一言に凝縮されていて好きです