「風評加害」とは何か…? 既に敗れた中央言論の後追い、かつ年単位の周回遅れを自覚しない河北新報社説の問題点 差別・偏見は13年経った今も無くならない 〈 気になるのは最近、風評という言葉が「加害」の文脈で用いられることだ。今も福島県産の購入を避けたり、被ばくの影響を不安視する行為を、福島の復興に水を差す「風評加害」と指摘する声が官民問わずある。処理水を「汚染水」とあえて言い続けるなど、苦渋の想いで解放放出を見詰める地元からすれば承服しがたい言動や行動も確かにある。 ただ「加害」の責任が問われるべきは事故をもたらした側に尽きる。福島の人々をはじめ被害を受けた側をさらに加害と被害に分け、対立させかねないことは避けねばならない。 「安全」を額面通り受け容れられないのは、それを強調する政府や事業者への不信感ゆえの面が大きい(中略)東電の姿勢が、国内外で信頼感の醸成を妨げてきた。(中略)風評の形成に