永山 則夫さんの死刑が執行されたことを、新聞によって知った。 その記事を目にした瞬間、身体の力が抜けてしまって、どうしようもない虚脱感がやってきた。 遺骨と遺品を僕の敬愛してやまない遠藤誠先生が引き取ったということを知って、先生の心を思ってどうしようもなく切なくやり切れなく、怒りにも似た感情も沸いてきた。 遠藤先生は著書の中で、彼のような哀れな人間のためならば、身代わりに死んでもいい。と語っている。 ここまで永山さんのことを思っていた遠藤先生の無念さはいかばかりか。 今日の朝日新聞の読者の声で、 「もっとこの世の中には悲惨な境遇の人間もたくさんいる。でも人を殺したりはしない。だから永山は死刑になって当然だ」 という論調が掲載されていた。 永山さんの境遇を本当に知っているのか? それとも、あなたが永山さんより悲惨な境遇で育ったというのか? もし、自身がそ
マグリットの絵の最大の特徴は、コップやテーブルやドアや窓や靴など、日常見慣れた事物をモティーフにしている点である。しかも彼はそれらを極めて写実的に描写する。だから鑑賞者は描かれたモティーフに親近感を覚える。しかしそれ自体では何の変哲もない対象も、いったん他の対象と関係づけられると、突然日常性が消え去り、非現実的な空間が現出する。同じ画面に日常性と非現実性が共存していることにより、見る者は動揺する。鑑賞者はもはやそれを逸話として、あるいは別世界の出来事としてつきはなすことができない。このときすでに鑑賞者はマグリットの罠にはまっているのである。 マグリットの出発点はつねに日常的な現実、言い換えれば可視的な世界である。マグリットにとって芸術とは、この可視的な世界において不可視なもの、すなわち世界の神秘を喚起することであった。神秘とはこの世界の本質にほかならない。 「芸術は、世界がそれなしでは存在
無意識 the unconscious mind 無意識、あるいは潜在意識は、意識のうちの架空の部分で、抑圧された記憶を収めているとされる。抑圧の理論では、経験の中には思い出そうとするとたいへんな苦痛を伴うようなものがあり、そのためこうした記憶は地下室にしまい込まれてしまうのだ、と主張している。こうした苦痛を伴う抑圧された記憶は、神経症や精神病、あるいは夢といったかたちで現れるという。トラウマ経験が抑圧されるとか、あるいはこれらが神経症や精神病の原因であるとする説には、科学的根拠はない。 ユングやタートなどは、無意識を超越的な真実の源泉だと考えられている。これが事実だとするような科学的根拠は、存在しない。 上に述べたような無意識という概念は、実証されたものではない。だがしかし、知覚認識すべてが自意識によるものではないというのが事実だとするような科学的データならば、大量にある。ある経験を自分
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