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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (3)

  • 3Dスペースハリアーはとても素晴らしい移植だった::Colorful Pieces of Game

    M2の3Dスペースハリアー(3DS)に感激したので、ちょっとブログなど。 ただ、その前に… えーとFF13とFF13-2の話は、あんだけどーしようもないネタなのに完売しましたw もちろん人様の取り置きぶんとかあるんですが、まあ頒布出来る量はもうないってことで(;´∀`) さて。 1985年にアーケードに登場したスペースハリアーは1980年代後半のアーケード…いやそれどころかテレビゲームにとんでもなく大きな影響を与えたゲームだ。 衝撃的な可動大型筐体、当時としては驚異的な15ビットカラー(RGB555、32767色)、驚くような巨大キャラ、それを利用した擬似3Dグラフィックス、驚異的な速度感、さらにはPCMによる音声および華麗なFM音源の曲。 何をとっても、信じがたいレベルのゲームで、当時のあらゆるゲーム小僧と当時のプロの心を鷲掴みにした。 プロが? と思うだろうけれど、スペースハリアーが出

  • パソコン黎明期・中間色ペイント発見物語::Colorful Pieces of Game

    この8色は固定の原色でカラーパレットもなく中間色もない。だからごくごく初期のアドベンチャゲームでは人は黄色で塗られていたし、キャラクタも全て原色で書かれていた。これに革命を起こしたのがタイルによる中間色表現だ。 インターネットを探しても、貧乏人のためのCG講座ぐらいにしか資料の残っていない古びた知識だが、一定以上の解像度で隣り合った2つの色が人間の目では混ざって見えて中間色に見える、結果最大デジタル8色でも、組み合わせで8x7=56色の中間色が表現できる! というのがタイルもしくはクロマキーの基的な考え方だ。マンガのスクリーントーンのような考え方だ、と書けば、分かる人が少しは増えるかも知れない。 左のパターンが典型的な例。貼ったタイルパターンがなぜやや暗い緑がかった黄色に見えるのかを説明すると、これは2ドットのタイルで赤・緑で表現されている。赤+緑は黄色だが、2ドットなので(2倍の広さで

  • 斉藤由貴さんとKMOとハドソンと(上)::Colorful Pieces of Game

    いつか書くと書いていたが1987年にどうして僕が斉藤由貴さんと一度会ったことがあるのかという話。 ついでに、どうして自分がゲームのプロになったのかについても書きたい。 1987年初頭、僕は、初めて就職した会社でCD-iの開発に従事していたが、ウンザリしはじめていた。 僕が若いころコンピュータでやりたいことが3つあった。一つがシステム関係のソフトを書くこと。つまりシステム屋になること。2つめがCG関係の仕事をすること。3つめがゲームを作るプロになることだった。 最初の2つは松下無線研究所のバイトと、最初に勤めた会社でかなり納得していたが、反面、限界も感じていた。 なによりアメリカ仕事をしたとき、一緒に仕事をしたメインプログラマのロバート・ドジェットとボブ・ソレンセンって二人の余りの凄さに打ちのめされていた。 彼らより着想が面白いところや、違う切り口で勝負することは出来たけど、ことプログラム

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