日本の 宇宙開発の 歴史 [宇宙研物語] 宇宙科学研究所の歴史は、遠く1950年代の東京大学のロケット実験までさかのぼることができます。この50年以上にわたる日本の宇宙開発の歴史を、貴重な当時の写真・映像とともにお楽しみください。
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6月の帰還・再突入にむけて運用もしだいに秒読み状態になってきました。再突入カプセルの担当の方々には、本当にお待たせいたしました。これからが本番です。再突入と回収は、「はやぶさ」計画を代表する目標の1つです。なにしろ、スペースシャトルなどの地球周回軌道からの再突入に比べると1桁も高い熱の条件にさらされ、それに耐える新規技術ですので、これは大きなステップですし、また大きな関門でもあります。 多くの方は、「はやぶさ」が地球の近くに帰ってくれば、再突入はパラシュートを開けば完了するかのようにお考えの方も多いのではないでしょうか。「はやぶさ」から切り離されたカプセルは、高度が70-80kmという高々度で最大の熱の環境にさらされます。パラシュートを開くのはずっと低い高度ですから、なんといっても耐熱技術こそがまさに真価を問われるわけです。「はやぶさ」は、まず、これに挑戦することになります。 この帰還・再
2010年6月13日19時51分(日本時間)に「はやぶさ」は無事カプセルを分離し、同日22時51分頃には大気圏に突入しました。我々にカプセルを託した、はやぶさ君は、美しい流れ星になりました。 2010年6月17日00時00分(日本時間では、6月17日の09時00分)現在のはやぶさ君は、地球の大気に溶け込んでいます。 「今週のはやぶさ君」は、2010年6月17日の更新をもって終了いたします。 2010年6月17日[更新] 2010年6月13日19時51分(日本時間)に「はやぶさ」は無事カプセルを分離し、同日22時51分頃には大気圏に突入しました。我々にカプセルを託した、はやぶさ君は、美しい流れ星になりました。 はやぶさ君の位置情報や小ネタを徒然なるままにお伝えしてまいりました、「今週のはやぶさ君」も今回をもって終了です。今までお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。探査機とし
スペースシャトルの罪科 ノンフィクション・ライター 松 浦 晋 也 「スペースシャトルとは何だったのか」を考え続けている。 数字で語っていこう。NASAはスペースシャトルの飛行で,搭乗員の命を脅かす深刻な事態が発生する確率を,チャレンジャー事故の時点で,400ないし500回に1回程度であると見積もっていたが,実際には113回の飛行で2回の致命的事故を起こし,成功率は98.2%だった。当初1回の運行コストは30億円とされていたが,実際には500億円を超え,コロンビア事故からの復帰以降は800億円を超えるものと見られている。当初の運行回数は年間50回を考えていたが,実際には最大でも年9回だった。当初目標と達成した実績を比べれば,スペースシャトルは明らかに大失敗作だ。 設計を見ていくならば,スペースシャトルは失敗すべく設計されていたことが分かる。再突入時の最後の15分にしか役立たない巨大な主翼を
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