mobilememobiz GTD(仕事術:書籍・PDAなど)のメモ トップページページ一覧メンバー編集 LifeStyle-生活のヒント 最終更新: mobilememobiz 2005年11月13日(日) 01:11:34履歴 Tweet すべては単純に すべては「単純に!」でうまくいく ローター・J・ザイヴァート (著), ヴェルナー・ティキ・キュステンマッハー (著), 小川 捷子 (翻訳) 単行本(ソフトカバー): 228 p ; サイズ(cm): 21 x 15 出版社: 飛鳥新社 ; ISBN:4870315440 ; (2003/02/24) 物 机の上 アイゼンハワー方式:捨てる、任せる、重要、特別な場所に整理 ファイリング法 ステップファイル法:箱を3つ用意。打合せをする、電話をする、資料を読む。そこにメモを入れて作業毎に箱を移す 余計な物を捨てる 一つずつ片づける。箱
1999年にアメリカでもアーサー・デモス財団による同様のキャンペーンが行なわれた時、「アーサー・デモスって、誰よ?」みたいな記事をタイム誌が掲載しているのを見つけた。3ページにわたる記事でかなり詳しい。 "Who are those guys?" Time magazine Aug 09, 1999 この記事によると、アーサー・デモスは若い頃に競馬のノミ屋のようなことをして財を築き、24歳にしてすでにキャデラック3台を所有するほどだったそうだ。しかしその後、リバイバル集会で回心し、夫婦でトニー・カンポロ師の教会に行くようになった。クリスチャンになったデモス氏は、カンポロ師いわく、「the most consistent Christian life of any person I've ever known」を歩んだ。(以前このブログで「売春婦のために誕生日パーティーを開く教会」という記事
weblog私は脊髄反射というか、記事を読んだときの直感ではてなブックマークコメントやブログを書く事が多いです。少なくとも去年はそうして来た。今年は公私ともに多忙になる予感があるので、脊髄反射的な記事を書くのはよして、腰を落ち着けた記事を書こうと考えたりもしているのですが。 今日も幾つかのエントリに対して、一旦Scrap Bookに取り込みして、ざーっと要点書きして暫く時間をおいて推敲したりしていたのですが。なんていうのかな、書こうと思っていたときの鮮度というかパワーみたいのが無くなっているんです。あと「こういう書き方したら、あの人がああいう反応を示すだろう」的な予測が立ってしまう。<まあ、これは言い訳なのでしょうけれどね。 書きたい事を書きたい儘に書き散らしするのでは上手くないと思ってやりはじめたことなのに、自分自身に手枷足枷を填めて自由を奪ってしまっているような、そんな感じ。「ウエブロ
「自分は右翼でも左翼でもない」って主張を本当に良く目にするんだけど、一体どういう意味で言っているのか真剣に考えているんだろうか?右でも左でもないのなら、一体何だというのだ?そこが肝心なのに説明なしで「右翼でも左翼でもない」じゃあさっぱりわかりませんがな。そう言っている人はどういう空間を想定しているのだろうか。 世の中、必ず右と左があるものじゃないですか。右手・左手、右目・左目、右耳・左耳、その他。そりゃ右上と左下という場合もあるだろうけど、それでもやっぱり右と左ですよね。右前・左後だってそう。右でも左でもないってことは、丁度真ん中にあるってことだろうか?しかし、それを決定するためには右端と左端を確定させなければならない。それはどこにあるのか?そんなのわかるわけないと思う。しかも常に右端と左端が不動であるとも思えない。とすれば真ん中にいるためには、常に右端と左端を観察して、それに合わせて真ん
ミクシィ内を散策していたら、訪問者にたいしてあまり穏やかではない、けれど無邪気なお願いがそこかしこに書かれていることに気づきました。 気軽に足跡残してくださいね♪ ってか残してください!!! 足あとついてるのに書き込みない人の所には軽い嫌がらせをしにいきますよ(笑) よろしくなのだワッショ━━(。・∀・)ノ゙━━ィ!!!! このように軽い口調の冗談を装ったふうな書き込みが多いのですが、ある種の宣戦布告とも受け止められ、ひとによってはかなりな不穏さを感じるでしょう。 引用文も「気軽に足跡残して下さいね♪」と優しい言葉と♪マークで安心させておきながら間髪いれずに「ってか残して下さい!!!」です。かなり不穏です。良くいえば飴と鞭、平たくいうとやくざのやり方ではないでしょうか。 微笑みかけるような口調のあとに「ってか」を持ってきて、前の言葉の優しさをすぐさま否定し、エクスクラメーションマーク連打で
ベトナム人には なぜ「グエン」が多いか? 私が大学生だったころ、テレビは連日ベトナム戦争の戦局を報道していた。そのころの記憶のある人は、かなりの数のベトナム人の名前を覚えているだろう。とくに「グエン」という姓が多かったことが印象に残っているはずである。朝鮮半島に「キム(金)」という姓が多いのはよく知られているが、ベトナムの「グエン」の多さはそれを上回る。日本ではあまり知られていないが、ベトナムは東南アジアで唯一の漢字文化圏の国である。漢字文化圏と言うことは、箸で食事をし、儒教の影響が強い文化であるということでもある。そして、ベトナムの固有名詞(人名、地名)が朝鮮同様漢語であるという点では、ベトナムは日本以上に漢字文化圏の国だということができる。 ベトナム語の語彙には、日本語や朝鮮語と同じく、固有語をしのぐほどの漢語がある。「日本」が漢語であるのと同様、「ベトナム」という国名自体漢語であ
ユーザーのパソコンにある個人情報を収集し、第三者に送信するプログラム「スパイウエア」。今、その存在が大きくクローズアップされている。しかしスパイウエアについては、そのネーミングの妙から実態が明らかにされないまま、言葉だけが先行して騒がれている面も大きい。本特集ではスパイウエアの実像を明らかにし、具体的な対応策を解説していく。(服部 彩子、田村 奈央=日経パソコン)
gachapinfanのスクラップブック [gov] 関東大震災の虐殺の話とダルフールのジェノサイドの話を読んで以下の記事を書きました。 夏のひこうき雲 - 私にはほぼ無関係だが、それにもかかわらず 夏のひこうき雲 - 問題の普遍性ということに関する私の理解と、たとえばダルフール危機に対するモチベーションの要否について 今回は前回の記事にいただいたコメントへのお返事を書きます。いただいたコメントは以下のとおりです。 # gachapinfan 『長文の応答、大変ありがとうございます。拝読していて、swan_slabさん、deadletterさん、pavlushaさんの間でされていた「ミクロとマクロ」の問題にも通じるところがあるかもしれないと思いました。 > 実態を知ってもらえばそれで足りるし、足りないとすればそれは別の部分に問題があると考えています。別の部分とは、問題の普遍性についての認識
イスラエル人を対象とした調査でこんな研究結果が出た。 父親が40歳以上の新生児、自閉症になる確率は最大で6倍=米研究チーム 【ライブドア・ニュース 2006年09月05日】− AP通信によると、米マウントシナイ医科大学のエイブラハム・ライヘンバーグ博士を中心とする共同研究チームは、イスラエル人を対象とした調査で、父親が40歳以上の時に生まれた新生児が自閉症になる確率は、同年齢未満の父親の場合に比べて、1.5-6倍も高いとの研究結果を発表 した。同発表は4日発売の米精神医学専門誌「Archives of General Psychiatry」(アーカイブズ・オブ・ゼネラル・サイキアトリィ)の9月号に掲載されたもの。 同調査には1980年代に生まれた13万人のイスラエルのユダヤ人とコロンビア大学、イスラエルの大学・学術機関の研究者が参加したが、父親が40歳以上の新生児は、自閉症や関連の症例が3
最近、新書本をあれこれ読んでいるけれど、岩波ジュニア新書にあなどれない良書が多いことに気がついた。内容のレベルも高く、どんな読者を想定しているのか不思議に思うような本も多い。 例えば、木村龍治「自然をつかむ7話」(岩波ジュニア新書 ISBN:4005004385)。この本には、「ジュニア向けに寺田寅彦のような随筆を書いてくれませんか」という依頼にこたえ「わたし自身の身辺雑事から始まって、話をふくらませるスタイルで書きました。現代の自然観を、寺田寅彦の随筆のスタイルで語るとどうのような具合になるのか、チャレンジしたというわけです。」と書かれているように、寺田寅彦を意識した科学エッセイである。そのチャレンジは、充分成功していると思う。大げさに言えば、寺田寅彦、中谷宇吉郎の衣鉢を継いでいると思う。ジュニア向けにしておくにはもったいない。 川北稔「砂糖の世界史」(岩波ジュニア新書 ISBN:400
悲しみや喜び、怒りや恐れや驚きなどの感情はどこからやって来たのか。こうした原始的な感情は人間以前の動物の時から備わっていたように思える。しかしその動物はどうやってそれらを備えたのか。生物の進化の過程で生存の必要上それらが備わっていた方がより生存競争に有利という事は考えらようがそれがどこからやって来たのかは意味しない。彼らは何かを参考にしたのだろうか。それとも本能のよに自然に組み込まれていったのだろうか。それにしてもそれがどこから来たのかの答えにはならない。生命が必然的に獲得するものだったのだろうか。それが自然にあったというのはそれほど突飛な考えではない。人は自然の風景から感情を読み取る事がある。激しい雷から怒りのような感情を。黄昏から寂しさのような感情が。さわやかな朝から喜びのような感情が。風景から懐かしさを感じるのもそれらの感情が人間以前から受け取ったメッセージを思い出すからと言ったら言
いくつか私の記事について言及されている文章があったので、もう少しだけ補足しておきます。 (ほぼ書き終えてから思ったのですが、まあ別にすべてに対して応答する必要はないんですよね。一応書いてしまった分は、もったいないおばけが怖いので公開します) 一応前提として書いておきますが、紳助という呼び捨てに他意はありません。私の中ではタモリにさん付けしないのと同じことです。私はテレビをあまり見ませんが、紳助の番組は比較的見ています。 1 [ニュース]紳助さんとパンティの色とその他 「わかりあうためのプロセス」を助走なしで飛び越そうとしてる所が何だかなあ その考えにはまったく同感です。そして私は、〈暴行(と言われるような何らかの行為)こそが飛び越した行為であって、その飛び越した行為をされた後で訴えたという行為そのものについては、「助走なしで飛び越そうとした」とまでは非難できない〉と考えているのです。どうせ
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