ブックマーク / azumy.hatenablog.com (21)

  • 「学校裏サイト」へお父さんが突撃した話 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    数日前から話題になっている、この話。 学校裏サイトで娘が実名で攻撃され、父としてメールを送ってみた。:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ 娘を攻撃する学校裏サイトに親としてメッセージを書いた結末:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ 娘を攻撃した学校裏サイトでの「いじめ」が解決した~子供のネット規制は禁酒法時代の二の舞か?:けんじろう と コラボろう!:オルタナティブ・ブログ 「学校裏サイト」と正面から対峙した保護者の話として、興味深く読んだ。 ブックマークではいろいろと言われているようだが、この父娘がとった手段としては、やはり最も適切なやり方のうちの一つだったんだろうな。 このお父さんとお嬢さんには、上記3記事から読み取れるだけでも、以下のような特徴がある。 父娘の関係がよく、安定しており、忌憚なく互いに会話できる。 お嬢さんは知的で聡明、自分の危機にも

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  • 「ほら、あのおじちゃんに怒られちゃうよ」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    タイトルは、よく、子ども叱るときにこう言っちゃいけないだろ、と言われる典型例の1つ。おじちゃんでなくても、おばちゃん、お兄さん、お姉さん、だれでもよいのだが。 よその人が叱るって言うんじゃなくてちゃんと親が自分自身で叱れよ、とか、よその人に叱られるからじゃなくて、どうしてそういうことをしたらいけないのか、ちゃんと親が説明しろよ、とか、子どもの躾に関係ない他人を巻き込むなとか、そういう文脈で否定されるものだ。 長らく自分もそう思っていたんだけれど、いざ子どもを叱る立場になってみると、どうしてもこの言い方を使いたくなるときもやっぱりある、ということがしみじみ分かってきた。 小さな乳幼児のうちはともかく、少し大きくなってきて6歳前後になると、叱る内容が複若干複雑になってくる。「危険だからだめ」「汚いからだめ」といった直感的に分かりやすいことだけでなく、「周りに迷惑だからだめ」「他の人が困るからだ

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  • PTAと男と女 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    昨日書いた素朴な疑問だが - 深く考えないで捨てるように書くに対して、b:id:rajendraさんからこんなブックマークコメントをいただきました。 [PTA]PTAは女性主体の組織という社会通念に対するカウンターかねえ。会長職は対外折衝的な仕事も多そうだし。 はてなブックマーク - rajendraのブックマーク / 2008年5月1日 たしかに、会長職は対外折衝というか、外での渉外活動が多いのです。というよりそれが主な仕事。具体的には、各地域のPTA連絡協議会というものに出席したりします。PTA同士だけでなく、地域の自治会などとも連携をとっている場合も。他、内部的には、行事(入学式・卒業式や運動会など)の来賓席に顔を出すこと。 だからこそ、不思議でもあるんですね。そういうところに顔を出すために、わざわざ外から会長を引っ張ってくる、というのが。会社で言えば、社長を社内からでなく外から、し

    PTAと男と女 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    summercontrail
    summercontrail 2008/05/10
    "PTAの役職に「母代」(母親代表)というのがあります""それなりの理由というか、歴史的背景があるのだろう"
  • 眼鏡っ子は増えている? - 深く考えないで捨てるように書く、また

    娘が小学校に入学して、ざっと新1年生を眺めて思ったことの一つが、意外と眼鏡をかけている子が多いな、ということ。 自分の子が眼鏡っ子であることもあって、同じくらいの年齢の子が集団でいると、眼鏡をかけている子にどうしても目がいく。 実は、幼稚園のときも、意外と眼鏡をかけている子はいるんだな、という印象があった。幼稚園は1学年が100名前後(けっこう大規模)。そのうち、うちの娘を含めて、数名の眼鏡っ子がいた。 入学してみると、1学年が120名弱となったが、その中でもやはり何人かの眼鏡っ子がいる。割合的には数%で、やはり幼稚園のときとそうかわらない。 別に多くないといえば多くないのだが、自分が小学校低学年のときのことを思い出してみると、眼鏡っ子は増えている気がする。当時は子どもの多い時代で、1学年は240名くらいだった。仮にその3%としてみても、7名の眼鏡っ子がいる計算になるが、そんなにいた記憶は

    眼鏡っ子は増えている? - 深く考えないで捨てるように書く、また
    summercontrail
    summercontrail 2008/05/02
    "眼鏡っ子を見ていて気がついたが、大部分は遠視用眼鏡を着用している""幼児期の早いうちに視力障害が発見される例が増えたのではないか""就学時健診で見つかるよりは、3歳児健診で見つかったほうが、視力の改善"
  • 背理法 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    学生時代、背理法が出てくると、決まって誰かが 「はいりはいりふれはいりほ〜♪(ほっほー)はいりっはいりっふれっほっほ〜♪」 と歌ったものだが、今の子は歌わないんだろうなあ。 というより、この歌知らないんだろうなあ。

    背理法 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    summercontrail
    summercontrail 2008/04/26
    私は今でも歌うなあ
  • ほっこり、さっぱり - 深く考えないで捨てるように書く、また

    しばらく前に「ほっこり」という言葉が苦手、という話が発言小町であった。 ほっこりが苦手 : 生活・身近な話題 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 個人的には「ほっこり」自体は嫌いではないけれど、使う場面によっては強い違和感を覚えるときがある。 例えば、単に「ほっこりが好き」とか、そういう話なら別にどうということはない。しかし、「ほっこり」に妙な付加価値をつけているような文脈だと気になる。「ほっこりっていいでしょ」「ほっこりだから素敵でしょ」という感じの。 妙な付加価値をつけるための造語、あるいは以前からある言葉に対して別の意味をつけるやり方、というのは、往々にして、あまり評価されていないものに対してその言葉をあてはめることで、実は評価されるものなんだよ、という価値の逆転を意識している場合があるように感じるのだ。 「ほっこり」については、私から見ると、野暮ったカワイイ

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  • 「きたなさ」を見せるかどうか - 深く考えないで捨てるように書く、また

    人は、内面について、100%「きれい」でいるなどあり得ない。多かれ少なかれ、心ばえの「きたない」面をもっている。 けれどまあ、モラルとか見栄とかルールとか思いやりとかバランス感覚とかいろいろあって、「きたない」面はあまり他人に見せないようにして暮らしている。開き直って「きたない」ところをあからさまに出しているように見える人でさえ、すべての「きたない」面を出しているわけではなく、どこかどうしても表に出せない部分をもっている。 100%「きたない」ってことも、またあり得ない。 要は、「きたなさ」をどこまで表に現すか、の程度の違い。 もう一つは、どこでなら「きたなさ」を出していいのか、という場の認識の違い。 なのに、「きたなさ」を現している人に対して「そんなことを言う(する)とは、お前はなんてきたない奴だ」と言ってしまう場合が、しばしばあるような気がする。 「きたなさ」はあって当たり前、ただそこ

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    summercontrail
    summercontrail 2008/02/23
    偽悪・露悪的態度をとりつつ、善人風に見える人を「偽善者め」と糾弾することで、自分への評価をよくしようとするような逆張り偽善者はけっこういる
  • 坂と階段と - 深く考えないで捨てるように書く、また

    なんとなく、成長とは、長いなだらかな坂を上るようなものだと思っていたが、どうもそうではなくて、階段を上るような段階的なものであるらしい。 らしい、というのは、自分がそう感じた、というだけのことだが。 確かになだらかに上がっていて、時には平らになったり、場合によっては下ったりもしているのだけど、あるところでドンと段差を上がる。段差だから、そこを越えられないこともあるのだが、うまく越えられると、あーっ成長したなぁ、と実感がある。 自分で自分を見ていても、どこが坂でどこが段差なのかよく分からないのだが、外から見ていると意外とよく見える。傍目八目。 段差を上がると、そこから元の段には下がらない。1つ1つの段の中での上り下りはあるけれど、それでも元の段と同じ高さまでは下がらない。 それなら段差をガンガンガンガンとどんどん上っていけば早いじゃないか、という気もするが、それはそれで疲れるのである。体力が

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    summercontrail 2008/02/13
    ものごころって何度もついていく
  • 「こつこつやる」と「努力する」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    例えば、自分の子に「努力しなさい」なんて言う気には全くならない。 努力する、というのは、なにかを遂行するために力を尽くす、という意味のことだ。遂行したいなにか、つまりなんらかの目標ができれば、人が自然に努力したくなるだろうと思う。逆に、親といえど他人が「努力しなさい」と言ったとて、人がその気にならない限り、努力などしない。努力しているように見えるふりはするかもしれないが。 例えば、自分の子に「こつこつやりなさい」と言う気にはならない。 しかし、「こつこつやることを覚えなさい」あるいは「地道にこつこつやることもできるようにしておきなさい」とは言いたい。 そのためには、こつこつと努力するのではなく、こつこつと楽しみなさい、と言いたい。 地道にこつこつと積み上げていくことが必要不可欠な分野もある以上、できるようにしておくこと、こつこつとやる技術を身につけておくことは、マイナスになることはない

    「こつこつやる」と「努力する」 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    summercontrail
    summercontrail 2008/01/25
    "こつこつやること自体がそれはそれで楽しくていいものだよ""10歳の子どもは20年の歳月の流れを想像することはできても体験することはできない"
  • 子どもに頭を占拠される - 深く考えないで捨てるように書く、また

    中学・高校時代の友人と仲間うちのMLを作っており、そこで互いに近況の話だの、お祝いごとの話だのをしている。MLに移行する前は掲示板を使っていた。 初期の話だが、当時私は結婚したばかりでまだ子どもがなかった。30歳すぎくらいだ。そのころ掲示板に出入りしていたメンバーは、半分くらいが結婚して子どもがあり、あとの半分は独身だった。ちなみに全員女性。結婚したけど子どもがいない、という者がいないのは、全くの偶々だ。 近況報告といっても、普段の暮らしでそんなに報告するような話もなく、掲示板の進行は良く言えば極めてまったり、どっちかというとほとんど過疎であった。しかし、時に誰かが書き込むと、それに呼応するようにレスがついたり、私は今こうだよ、と別の方面から近況報告がある、といった感じ。もともと、みんなどうしてるかな、書きたい時に適当に書けばいいよ、というゆるい使い方なので、それでなんの問題もない。 ただ

    子どもに頭を占拠される - 深く考えないで捨てるように書く、また
    summercontrail
    summercontrail 2008/01/05
    "女性(母親)の場合、自分の趣味ごとを続けるとしても、子どもとリンクさせた形で実現しようとすることが往々にしてある""あくまで傾向の話"
  • どーん、ぴゅーん、ピカーン☆ - 深く考えないで捨てるように書く、また

    アンパンマンについて書いていて思った。 アンパンマンにパンチされたバイキンマンは「ばーいばーいきーーん」と叫びながら空高く飛んで行って消えてしまうわけなんだが、あの退場の仕方の初出はどこだろう? もはや、悪役はドカーンとかバキーンとかいって「ばいばいきーん」だったり「やーなかーんじー(ポケモンシリーズ)」だったり定番のセリフを叫びながら空のお星さまになる、というのは美しきパターンだと思うが、自分の見た一番古い記憶はタイムボカンシリーズなんだなあ。ヤッターマン? それともタイムボカンの時代に既に飛んでいたかなあ。このへん、詳しそうな人がそのあたりにいるような気がするんですよ。ねぇ。誰かコメントしてくれないかと期待してるんですよ。ねぇ。

    どーん、ぴゅーん、ピカーン☆ - 深く考えないで捨てるように書く、また
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    summercontrail 2007/09/16
    お仕置きだべ~
  • アンパンマンのもつ聖性 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    やっと題。 原作のアンパンマン(あんぱんまん)の成り立ちや、やなせたかし先生のスタンスなど、いろいろと読ませていただいた。そして、当初の「あんぱんまん」から時がたって人気が出て、テレビ化されて、内容的にも変化があり、現在のアンパンマンになっている。ここまでを前提とし、現在のアンパンマンをベースとして、以下を書く。 アンパンマンは2〜3歳の幼児に人気がある。そして、3〜4歳を過ぎると、その人気は急激に落ちる。大人になると、むしろ気味悪がったり、ネガティブに感じる人も増えてくる(参考:アンパンマンが憎くて仕方ありません。私って変ですか? -アンパンマン- アニメ | 教えて!goo)。アンパンマンの世代ごとの認識はこんなふうだと私はとらえている。 これについて、どのあたりにその要因があるのか、いろいろな考察を読ませていただいた。どれもなるほど、と思う説得力がそれぞれにある。 その中で意外に出

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    summercontrail
    summercontrail 2007/09/16
    "やなせ氏がクリスチャンである、という話を聞いて、そこに合点がいった。アンパンマンは善というより無垢の聖者であり、バイキンマンは悪魔なのでは""極端な聖性は、キモイ、不気味だ、と思われることがある"
  • アンパンマンの不気味さについて。その前に、我が家のケース - 深く考えないで捨てるように書く、また

    アンパンマンの不気味さ*1と幼児からみた惹かれポイントはなにか、ということについて記事を書く予定だが、今日は時間が足りなさそうなので、とりあえず番の記事を書く前にさっと書いておきたいことのみ。 我が家は娘だけだが、id:usauraraさんが記事「http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20070906/1189054624」で書いていたことを、うちでもそっくり体験している。入園前の3歳頃はアンパンマンを喜んで見ていた。最初のきっかけは、歌や手遊びなどの遊びの市販ビデオ。そのあとテレビアニメ版を見るようになったから、よく見るようになったのは3歳ごろからだろう。 しかし、その後、人から「アンパンマンは見たくない」と言い出した。聞くと、アンパンマンは怖いからなのだそうだ。 実は、歌などのビデオでは、アンパンマンとバイキンマンは仲がよい。戦いもなく、仲良く遊んでいるのだ

    アンパンマンの不気味さについて。その前に、我が家のケース - 深く考えないで捨てるように書く、また
    summercontrail
    summercontrail 2007/09/12
    "実は、歌などのビデオでは、アンパンマンとバイキンマンは仲がよい。戦いもなく、仲良く遊んでいるのだ""どうも3~4歳あたりに、暴力的な表現を非常に怖がる時期があって"
  • アンパンマン覚書 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    アンパンマンに関する記事を書こうとして、さらっと調べていたら、このような記事を見つけた。 2006-08-15 ちょうど昨年夏の記事なので、それほど以前ではない。 これによると、当初の「あんぱんまん」には悪役は出てこない、ただ飢えた人を救うために自分の顔をべさせ、どんどん顔がなくなっていく、という話だったようだ。このストーリーは、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」を連想させるところがあるが、私だけかな。 あんぱんまん (キンダーおはなしえほん傑作選 8) 作者: やなせたかし出版社/メーカー: フレーベル館発売日: 1976/05/01メディア: 単行購入: 13人 クリック: 1,340回この商品を含むブログ (62件) を見る最初期のあんぱんまんの絵柄はこれ。http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070908/1189267408でid:aozora21

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    summercontrail
    summercontrail 2007/09/12
    "このストーリーは、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」を連想させるところがある"
  • 異論とストレス - 深く考えないで捨てるように書く、また

    ネットに限らずの話ではあるが、ネットだとどうしてもよく見かけることになるので。 人間にとって、自分の意見と異なる意見を見聞きすることは、実はけっこうなストレスなんじゃないだろうか。直接自分に向けられた意見でなくて、どこかで全く無関係にふっと書かれていたりするのをたまたま読んだというだけでも。 自己承認云々とはまた別のからくりのような気がする。多様性の存在とはそうあるべきで、従って自分と異なる意見が世の中にはたくさんあって、中には真反対の、互いに完全に相容れない意見も存在する、ということは理解かつ承認している。 ただ、なにか、不安なのだ。均質なものだとなんとなく安心できて、雑多であるとそれだけでなんとなく不安になる、というような。怒りやむかつきまでもいかない、なんとなくざわざわと落ち着かないような、決して気持ちよくはない、妙な胸の感覚。 議論の有意義さ、異論の重要さは承知している。それに、す

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  • 女子名の「あ」考 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    痛いニュース(ノ∀`) : 【論説】 読めない名前(暴走万葉仮名)の女子学生が多い大学は偏差値がね、ちょっとアレなのです…呉智英 - ライブドアブログ という記事が出て、いわゆるDQN名の話に花が咲いているもよう。この手の話は、2ちゃんねる育児板に「子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ」という伝統的スレがあって、ここを見ているともう、マジですか、というくらい出てくる。どう考えてもネタだろ、という名前もあれば、別にDQNじゃないでしょ、という名前も出てくる。 という一方で、とりあえず女の子の名前では「子」がつく名前は最早ごく少数派というのも事実で、上の娘のクラス(年長)では、女子15人強のうち、「子」のつく名前の女の子は現在一人だけ。同世代には「子」のつく子が多かったが、それでも小・中・高校通してみても、半数くらいのもんだったように思う。最後に「み(美・実など)」「え(恵・枝など)」がつく

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  • 選挙に行かない理由として - 深く考えないで捨てるように書く、また

    選挙に行かない人のうち、「自分一人が投票してもなんにも変わらないから」という理由をもつ人は、自分が何かやったらすぐに目に見える結果が出るとか、何かやったら○か×か答えがすぐに出ないとイライラするタイプなんじゃないかと思ったりする。いわゆるせっかち。いやなんとなく。

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    summercontrail
    summercontrail 2007/07/30
    "「自分一人が投票してもなんにも変わらないから」という理由をもつ人は、自分が何かやったらすぐに目に見える結果が出るとか、何かやったら○か×か答えがすぐに出ないとイライラするタイプなんじゃないか"
  • 子どもを持つことと「若さ」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    親にとって、子どもとは、すなわち「若さ」だ。 若さ、若さってなんだ! とつい歌いたくなるが、それはおいといて。 「若さ」には希望がある。まだ決定されていない行く末がある。無限の可能性、いや実際には有限だが、それでも親に比べればはるかに多くの可能性がある。 大人は、子どもを得ることによって、一度は失った「若さ」を再び手中にすることができる。 よく言われることに、子どもができると急に老け込む、という話がある。 同級生同士で久々に集まったとき、子どものいる人は妙に落ち着きがある、悪く言えば老け込んでいる。子どものいない人は既婚未婚に関わらず、若々しさを保っている。皆が皆ではないが、そういう傾向があるとは言われるし、実際そう感じることもしばしばある。 この理由として、子どもができると自分のおしゃれに構っている余裕がなくなるから、ということもまた言われる。それはそれで分からなくもない。しかし、男性の

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    summercontrail
    summercontrail 2007/07/20
    親は子供ができると判断力や知覚力が高まる,みたいなことがニューズウィークに書いてあった
  • 裸の王様は賢くなかったのかどうか - 深く考えないで捨てるように書く、また

    アンデルセン童話の「裸の王様」の話を思い出して、思った。 裸の王様は、「賢いひとにしか見えない服」を出されたとき、自分が「賢くない」ことがバレるといやなので見える振りをした。つまり、自分が「賢くない」判定に該当したことはこの時点で分かっているわけである。 しかし、よく考えてみると、自分と同程度、あるいはそれ以下の賢さの人間にはこの服は見えない、ということになる。ということは、この服を着てパレードをすることを想定すると、パレードを見る国民が自分(王)と比べて賢いかどうか、ということがポイントになる。国民が皆自分より十分賢ければ問題ないが、もし自分より愚かな者が多ければ、この服は国民には見えないわけで、結局恥をかく。 つまり、裸の王様は、自国民は自分より賢い者たちである、と判断したということになるのだった。 もしそういう判断ができていたのだとしたら、この王様、随分と謙虚で賢いってことじゃないだ

    裸の王様は賢くなかったのかどうか - 深く考えないで捨てるように書く、また
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    summercontrail 2007/07/17
    "裸の王様は、自国民は自分より賢い者たちである、と判断""もしそういう判断ができていたのだとしたら、この王様、随分と謙虚で賢いってこと"cf.大喜利「裸の王様」 http://mohican.g.hatena.ne.jp/summercontrail/20070114/hadakano
  • 優れた読み手 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    よき読み手、優れた読み手という人たちが実はいるのではないか、と半ば都市伝説的に思っている。 文章を読む能力というのがある。識字や速読の話ではなく、ある文章を読んで、文意や文脈を過不足なく理解する力である。書いてある字面そのままでなく、ある程度行間や文脈全体の流れを読み取る。しかし自分自身の思い入れを入れ込みすぎて文章を誤解する、あるいは(無意識のうちに)勝手に自分流にアレンジして解するということはしない。そういうバランスの的確さをもつ能力である。 これを会得するのはかなり難しい。単に文章を多く読み込むだけでなく、言語に関する知識、人間の心理や人間関係に関する豊富な経験が必要になる。 しかし、優れた読み手になるには、そういった読解能力だけではまだ足りない。読解能力だけでは、ただ表現された文章の内容を的確に読み取れる、というだけである。そこにある情報は、書いた人がすでに持っているものにすぎない

    優れた読み手 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    summercontrail
    summercontrail 2007/07/08
    "不可視の読者の中に、巨大な未知の金鉱、誰も知らない美しい花が一面に咲いた野原があるような、そんな夢想をつい、してしまう"