タグ

ライフハックと哲学に関するsuna_zuのブックマーク (42)

  • この話すごい面白い。ピッチャーのパフォーマンスがより上がるのはお手本の映像を見せることではなく、イメージが浮かびやすい言葉選びをすることだ→「これってスポーツだけではなく、仕事でもあるよなぁ……」

    みずの@ゆる言語学ラジオ @yuru_mizuno 言語について語るインターネットラジオ「ゆる言語学ラジオ」のスピーカー。ことばの雑学をつぶやきます。新刊『きょう、ゴリラをうえたよ』の予約受付中 youtube.com/@yurugengo みずの@ゆる言語学ラジオ @yuru_mizuno この話すごい面白い。 ピッチャーのパフォーマンスがより上がるのはお手の映像を見せることではなく、イメージが浮かびやすい言葉選びをすることだと言う。 これってスポーツだけではなく、仕事でもあるよなぁ…… pic.twitter.com/bAXt6qCqdK

    この話すごい面白い。ピッチャーのパフォーマンスがより上がるのはお手本の映像を見せることではなく、イメージが浮かびやすい言葉選びをすることだ→「これってスポーツだけではなく、仕事でもあるよなぁ……」
  • 嘘から自分の人生を守る方法を考える|maomao

    世界には、論理の誤り(ロジカル・ファラシー)が溢れています。人を欺く人間たちの主張の多くは至って単純な推論の誤りです。基を押さえれば、騙されるリスクが格段に減少します。 論理の誤り(ロジカル・ファラシー)には様々な種類がありますが、代表的なものには以下のようなものがあります。 人攻め論法(ad hominem):相手の主張の内容ではなく、相手の人格や信頼性などを攻撃することで、相手の主張を否定しようとする論法です。例えば、「あなたは嘘つきだから、あなたの言うことは信用できない」というようなものです。 誤った因果関係(post hoc ergo propter hoc):ある事象が別の事象の後に起こったというだけで、その二つの事象に因果関係があると結論づける論法です。例えば、「私は黒を見たら不幸になる。今日は黒を見たから、不幸になるに違いない」というようなものです。 誤った二者択一(f

    嘘から自分の人生を守る方法を考える|maomao
  • 反対したい? それとも、否定したい?  【悩みをなくす論理思考2.0 第1章 part2】|ソモソモロン(論理×短歌)

    忙しい人のためのこの記事の結論: 「〜であるべき」の反対は「〜であるべきではない」、否定は「〜でもよい」。 自分が「〜であるべき」と思ったときには、 反対と否定のどちらの人々と対決したいのかを考えておくべき。 ★★★★★ ※ noteマガジン【悩みをなくす論理思考2.0】の前回の記事の続きですが、前回の記事を読まなくても大丈夫です。 自分とは逆の意見について考えよう 前回の記事で、何かを「許せない」と思ってしまった時のストレスを回避する方法として、「自分がその状況を〝あるべき〟と思っているのはなぜなのか」を改めて考え直すことをご提案しました。 「〝あるべき〟と思っている」を考え直すにあたり、今回はその逆の意見である「〝あるべき〟だと思わない」について考えてみます。自分と異なる意見との比較によって、自分の意見の特徴を把握することができます。逆の意見について考えるのはとても大事です。 「逆の意

    反対したい? それとも、否定したい?  【悩みをなくす論理思考2.0 第1章 part2】|ソモソモロン(論理×短歌)
  • 想像力の向こう側 - チェコ好きの日記

    めちゃめちゃ暗い話なんだけども、数年前、あるブログを夢中で読んでいた。具体名は伏せるが、ブログ主の彼は、自殺を決意していた。 勤めていたエロゲーの会社を退職し、あとは働かずに貯金で生活、お金が尽きたところで死ぬという。ブログには、死をむかえるまでの日常が、丁寧な筆致で綴られていた。その人がブログに書いた最後の記事は、「これから樹海に行きます」だった。 もちろん、真偽は不明である。私がそのブログを発見したのは、最後のエントリが更新されてからさらに3年くらい経ったときだったので、ブログ主と交流したりとかはなかった。それでも、そのブログが悪趣味な嘘であったらどんなにいいかと思った。もしくは、「樹海に行きます」のエントリを更新した後、気が変わって「やっぱやーめた」ってなっていたら、とか。 ブログ主亡き後に読む、彼の日常は平坦だった。 朝起きて、朝をとって、近所の図書館に行く。一晩中かけてゲーム

    想像力の向こう側 - チェコ好きの日記
  • 物心がつく - アンドロイドはしあわせか

  • 「勝ちゃあいいってわけじゃない」 | CiNii Research

  • ネガティブケイパビリティとは。即レスしないコミュニケーション方法をあえて選ぶこと|谷川嘉浩 - りっすん by イーアイデム

    仕事をしていると、いかにスピーディーに物事を判断・決断するかが求められがちです。SlackやChatWorkなどのチャットツールによるコミュニケーションが浸透するなか、「即レス」が求められる状況はますます拍車がかかっており、速度の速いやりとりについていけず居心地の悪さを覚えている人もいるのではないでしょうか。 このようにスピード感を増す社会において、すぐに「答え」を出そうとするのではなく、一度立ち止まってみることの重要性を指摘しているのが哲学者の谷川嘉浩さんです。 キーワードは、「ネガティブ・ケイパビリティ(答えを急がず立ち止まる姿勢)」。この姿勢を身に付けることにより、忙しない日々の中に「よどみ」を見つけることができ、少し息がしやすくなるといいます。 そんなネガティブ・ケイパビリティを、私たちはどのように育むことができるのか。話を伺いました。 私たちはスピードの速すぎる社会に疲れている

    ネガティブケイパビリティとは。即レスしないコミュニケーション方法をあえて選ぶこと|谷川嘉浩 - りっすん by イーアイデム
  • スポーツの個人競技と団体競技について - ke-sports

  • 情報を捨てるには|shinshinohara

    物分りのいい人(子)と悪い人(子)がいる。これを「理解力の差」ととる人が多いけれど、私はそうは思わない。物分りののよい人は「あまり考えずに捨てることができる人」、悪い人は「考えすぎて捨てられない人」だと感じることがほとんど。 私は典型的な物分りの悪い子で、中学三年生になるまで文章問題が壊滅的だった。「太郎くんは駅まで時速2キロで歩いて駅まで、花子さんは時速4キロで自転車で」という問題を読んだとき、「なぜ花子さんは太郎君を乗せて上げなかったのか?二人乗り禁止だからか?」とよけいな方に考え過ぎた。 文章問題から連立方程式を作る際は、太郎君や花子さんという情報、歩いてるか自転車かという情報を捨て、数字だけの関係に着目する必要がある。物分りのよい子はこの「捨てる」ができる。たとえ太郎君が次郎という名前であろうと、花子さんが自動車を乗り回そうと、それらは捨てればよいと見抜ける。 しかし物分りの悪い子

    情報を捨てるには|shinshinohara
  • 哲学、脳を揺さぶる

    慣れ親しんだ世界が「揺さぶられる」感覚を訓練する。 コクーンタワーのBook1stで呼び止められた一冊。「知の森」を髣髴とさせる、あの林立した書架から、警告のように伝わったぞ「俺を読め」って。ただこれ、タイトルどおり「哲学」のエリアに置いてあったけれど、中身はちがうような気が。むしろ自己啓発書として「使う」とユニークだろう。 著者曰く、「学習」と「発達」を区別せよという。視点や観点の選択肢が一つ増えることは、学習の成果で、それに伴い知識も増える。けれども、能力そのものの形成や、能力形成の仕方自身を習得するのでなければ、テクニックが一つ増えたにとどまるという。 たとえば、自転車。うちの子が四苦八苦しているんだが、なかなか乗りこなせない。どうすれば乗れるのかは、「わかる」のだが、「できる」ようになるまで発達していない。乗り方が知識として分かったところで、乗れるようになったわけではない。ところが

    哲学、脳を揺さぶる
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 悪用厳禁「洗脳力」は自己限定で

    あらゆる成功にトドメを刺すスゴ。3章まで読めば、ほとんどの自己啓発は無用。さらに4章では、より高次の「夢」を実現する方法まで紹介されている。6章は悪用厳禁、他者を支配下におくやり方がある。要するに、自分(や他人)を洗脳する方法が書いてある。 自分を洗脳 → (自分の)成功に向かって自分を注ぎ込み、実現させる 他人を洗脳 → (高次の)夢に向かって他人を巻き込み、思い通りにする だから、自分だけの成功の実現のために、他人を利用することができてしまうため、前者は詳しく、後者はぼかして書いている。 amazon評に「ノウハウが分かりにくい」とあるが、6章のことだろう。むべなるかな、「わざと」そうしていることに気づけよと。手取り足取り説明すると、誰でも悪用できる強力な催眠術のようなものだから。コトの重大性を理解できないような輩には、最初からお断り、というやつ。著者のblog[ドクター苫米地ブ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 悪用厳禁「洗脳力」は自己限定で
  • 認知負荷および認知負荷理論 (Cognitive Load Theory) をもう少し正確に理解するための心理学研究・知見の紹介

    認知負荷および認知負荷理論 (Cognitive Load Theory) をもう少し正確に理解するための心理学研究・知見の紹介 この記事の目的 ここ数年で、ソフトウェア開発やプログラミングの文脈で、「認知負荷」 および 「認知負荷理論」 という用語をよく見聞きするようになりました。私が今思い出せるだけでも、以下のような書籍や Podcast で重要なキーワードとして取り上げられています。 A Philosophy of Software Design, 2nd Edition チームトポロジー 価値あるソフトウェアをすばやく届ける適応型組織設計 プログラマー脳 ~優れたプログラマーになるための認知科学に基づくアプローチ fukabori.fm 102. A Philosophy of Software Design (3/3) w/ twada この「認知負荷」ですが、少なくとも近年見聞

    認知負荷および認知負荷理論 (Cognitive Load Theory) をもう少し正確に理解するための心理学研究・知見の紹介
  • tabi0126 南直哉「日常生活のなかの禅―修行のすすめ」: 内田洋平 BLOG

    あなたの生命的な躍動を萌芽させたい。あなたに宿った思索が「表現」に花開くために、縦横無尽に思索の種をまいていきます。 苦しみの質が「思いどおりにならない」ことなら、その原因たる欲望の質は「思いどおりにしたい」ということであろう。当たり前のことだと言われるだろうが、ここは勘所である。私がこだわるのは、欲望は単に、言わば能的に「したい」ではなく、「思いどおりにしたい」ことなのだという一点なのだ。欲と人は言う。腹が減ったからべたい。よくわかる話である。では、これと「おいしいもの」がべたい、ということとは同じことなのだろうか。違うであろう。(中略)ここで仮に「腹がへったのでべたい」を・欲求と言うとすれば、まさしく「おいしいと思うものをべたい」こそ、・欲望と言うべきであろう。(中略)「根拠」として絶対者も自己決定も置けないなら、別のもので根拠を代用にする。これがすなわち物の所有で

  • 山崎元、癌になってみて考えた。「どうでもいいこと」と「持ち時間」 | トウシル 楽天証券の投資情報メディア

    ●病気と療養の概要 ●情報•判断•処理の能力とコスト ●癌の費用と「がん保険」 ●髪の毛や酒の「真の損得勘定」 ●時間の最適化としての人生 病気と療養の概要 筆者は昨年、癌に罹った。道癌である。稿執筆の時点で(2023年1月下旬)、手術からの回復過程にあるが、再発防止目的の薬剤を投与するために一月に1、2度通院している。癌は全てが投資お金と関係する訳ではないが、人にとって不確実性下の意思決定問題である点が投資と似ている。 今回は、自分で癌に罹り、治療に臨んでみて、何を感じ且つ考えたかについて率直に書いてみよう。今後に公開する動画で、筆者の風貌が少し変わっている(数キロ痩せて、髪の毛が減っている)理由の説明にもなるだろう。 尚、投資の文章では末尾などに「投資判断はご自身で行って下さい」としばしば注記されているが、稿の性質もそれに似ている。筆者の治療方針の選択や意思決定は一例であって

    山崎元、癌になってみて考えた。「どうでもいいこと」と「持ち時間」 | トウシル 楽天証券の投資情報メディア
  • This time is not wasted | The Sprawl

  • 「集中講義・精神分析」

    『集中講義・精神分析 下』(藤山直樹、岩崎学術出版社、2010)を読了。 いやぁ、面白かった。 ずいぶん前に「上巻」を読んでから、「下巻」がいつ出るのかいつ出るのかと待ちに待っていたのだけれど、諸事情により下巻の発刊が大幅に遅れてしまったらしい。 だから書店で並んでいるのを見たときには、すごい嬉しかった。 出版を心待ちにするなんていうのは、そうそうあるわけではないから、そういうに巡り会えるということはとっても幸せなことである。 とにかくこの藤山直樹さんという人の文章は、「読ませる」。 うねりが効いているというか、こぶしが回っているというか、何かそんな感じがあってグイグイ読ませる。だから面白い。そしてラディカルである。 このは藤山さんの上智大学での講義が元になっていて(受けに行きたいなぁ)、タイトルの通り「精神分析」について語っているのだけれど、そこで語られていることはとてもラディカル

    「集中講義・精神分析」
  • はじめに — Y.Amo(apj) Lab

    ニセ科学を問題とする場合、何をニセ科学とするかという問題と、ニセ科学を問題とすることの社会的な意味づけの問題が同時に絡んでくる。これを整理しないと混乱するので、まずは、全体の構造を考えておく。 問題の構造 ニセ科学の判定基準そのものが2つの異なった内容を含む 「ニセ科学とは何か」「ニセ科学判定ガイドライン試案」にも書いたように、ニセ科学かどうかを決める場合の基準は、 (1)科学を装う (2)科学でない の2つで、これらはそれぞれ異なっている。(2)は、科学そのものからほとんど決めることができる。(1)は、通常人を想定して考えるので、科学そのものとは異なる。 それでも、「ニセ科学判定問題」は、判定の方法を検討することで判定精度が変わってくるであろうものであり、それ自体で独立した「正しさ」を持つ。ここでの、「正しさ」を持つ、とは、ニセ科学の判定をする行為そのものが倫理的あるいは道徳的に正しいか

  • 『意識しないで放り投げる』

    ジョーダンのコピーは相変わらず続けていて、かなり熟れてきました。なので、近々いくつか公開します。多分。 高度な身体というと、深く脱力してるというのは誰でも思いつくところですが、脱力してるだけでは高度な身体とは言えません。 脱力が重要なのは事実ですが、骨を感じられることがより重要になります。高度に身体を使うなら、骨の操作が必要です。なので、骨がどの位置からはじまって、どこを通ってどう繋がってるのかか感じられなければ、操作のしようがありません。脱力にフォーカスして集中している段階では、筋肉で身体を動かしてしまうので先へ進めません。 とは言え、脱力が出来ていなければ、骨を感じようにも感じられません。なら、やはり脱力から集中してやるのが近道かというと、それがそうでもありません。 もちろん、ある程度の深い変性意識でも眠らない程度に脱力できるまでは、脱力に集中した方が早いです。なぜなら、緊張しすぎで筋

    『意識しないで放り投げる』
  • 内向的な人間の嫌だった言葉とか色々 追記

    ※「内向的な人間が言われて嫌だった言葉とか色々」ってのがタイトルとしては正しいです。逆の意味で捉えられた方申し訳ありません。 前提内向的と外向的の大きな内訳についてはたくさんの人が絵付きで解説してくれているので知らなければ調べてくれるとうれしい ざっくり言うと 内向的な人は一人の時間で、外向的な人は他人とコミュニケーションを取ることでMP回復(リラックスする)3:1ぐらいで外向的な人のほうが多い多数派の外向的人間は周りからは認められやすいし、世間的にそれが良いとされがち。リラックスできる(=MP回復)場所が違うため理解し合えないと思われがち内向的な人は外向的な人に対して次々に行動しすぎてついていけないと感じがち外向的な人は内向的な人に対して退屈な人とか何が楽しいんだろうこの人と感じがちという感じだろうか、個人的認識なので間違ってたらごめんなさい 意外と書いてくれてないことに、ベースに内向的

    内向的な人間の嫌だった言葉とか色々 追記
  • 「みんながイヤなことをすすんでやる子」は褒められるけど「みんなが嫌がることをやらずに仕組みを変えようとする子」は割と煙たがられるという話

    イシゲスズコ @suminotiger 「みんながイヤなことをすすんでやる子」は褒められるけど「みんなが嫌がることをやらずに仕組みを変えようとする子」は割と煙たがられる、その辺から変えていかないといかんのじゃないかと思うですよ。

    「みんながイヤなことをすすんでやる子」は褒められるけど「みんなが嫌がることをやらずに仕組みを変えようとする子」は割と煙たがられるという話