依存は「つらいこと」から少しでも気をそらすために、安心できる人に心身を委ねようとすることからはじまります。そこで得た安堵感に喜びを感じると、脳内ではその喜びに対して抑制する作用が働き、以前に感じた安堵感では満足できなくなります。そして「もっと強い安心がほしい」と、さらに依存をエスカレートさせ、安心を得るために他人をコントロールしようとさえしてしまいます。
![『誰かに依存してしまう…「依存体質」を克服する8つの方法』](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1afae259dcceba0954c6d31f56e85041eb950f42/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstat.profile.ameba.jp%2Fprofile_images%2F20200824%2F18%2Fa8%2FOq%2Fj%2Fo09530748p_1598262234992_iompi.jpg)
依存は「つらいこと」から少しでも気をそらすために、安心できる人に心身を委ねようとすることからはじまります。そこで得た安堵感に喜びを感じると、脳内ではその喜びに対して抑制する作用が働き、以前に感じた安堵感では満足できなくなります。そして「もっと強い安心がほしい」と、さらに依存をエスカレートさせ、安心を得るために他人をコントロールしようとさえしてしまいます。
なんでだろう? なんでみんな知らないのだろう? 好意的に解釈するなら、なんでみんながみんな忘れてしまっているのだろう? と本当に思う。 わたしは、華厳思想が表現する極楽を知っている。知識としてではなく、実物として、実世界として、知っている。実世界なのだから、極楽などではない。生きながら生きられる世界だ。これと比較すると、日常的な現実など、死にながら生きている世界に過ぎないとわかる。ただ、前者は苦痛を継続的に伴い、後者はゆりかごの中のごとく楽に生きられる世界ではあるが。それについては後で述べる。 また、この文章は、華厳思想を信仰するものなどではない。単にそういう実世界があることを、わたしは知っているという話に過ぎない。わたしにとって、それは肉眼で見た世界である。現実である。 目の前にある現実を否定するほど、わたしは狂っていない。信仰で事実を曲解するほど、狂っていない。再度言う。わたしは狂って
わたしは演劇で役者の稽古をすることにより、怒涛のように周りの空気が読めるようになった、とここで書いた。 身体的な訓練によるものではあるが、理屈的なところで、この「怒涛のように周りの空気が読めるようになった」ことに強く影響したのは、能の序破急という概念である。 渡邊守章氏の論文で、能における序破急とは、巷でよく言われるような、ストーリー構成としての起承転結に当てはまる意味だけではなく、演者の所作にも当てはまる概念だということを知った。 わたしにとってこれは天啓だった。 一つ一つの動作が、コード化されているのだ。物語的な定型を持っているのだ。こういった定型を、他の人たちは無意識的に会得できているのだ。わたしはたまたまその定型に上手くはまっていないのだ。レーダーマンになれていないのだ。 「自分を見つめる孤独な毎日」の中で、わたしはそう確信した。 そして多分、この発見が、離見の見に繋がったと思う。
人生山あり谷あり、人生のすべてに意味がある。元気で楽しくする人生を一歩一歩、歩む日々の中での気づきをプログに綴る。 since 2010/1/7 心が壊れると2つの精神病のどちかになるが,人間の性格もつきつめれば2つの傾向がある. 神さまと占いが好きなシゾフレ人間,ルールにうるさく自分に厳しいメランコ人間. シゾフレ・メランコはあくまでの比率の問題である. 偏ったシゾフレ人間は,周囲の人間すべてに警戒心を持ち,不安や恐怖から自分の殻に閉じこもってしまう可能性がある. 偏ったメランコ人間は,自分の価値観や思い込みと周囲の世界に少しでも違いがあると,それに苦しみ,うつ状態になってしまう可能性がある. 社会のシゾフレ化が進む中,わが子を偏ったシゾフレ人間にしたいために,最低限, ・人と同じでなくていい ・いまの自分にもっと自信をもっていい ・努力さえ怠らなければどんな人間にでもなれる と教えるこ
私も心理学・哲学を勉強するまでは、 自分の心があって、自分と姿の似た他者がいて、だから他者の心が認められる と考えていました。つまり 自分の姿 : 自分の心 = 他者の姿 : 他者の心 という四項類推です。 これは伝統的枠組みです。推論手順をもう一度述べると、まず存在すると確信される「自分の心」を自分が持っていて、世の中には自分と姿かたちの似ている(物体としての)対象があって、類推によってその対象も心を持っていると推論する、すなわち他者の心を認める、というものです。少し道具主義的になると、「類推によって」の前に「その対象の振る舞いを予測するために」という文が入ったりします。 現在でも多くの研究者(とくに「認知心理学」系の研究者)はこれを前提に研究をしています。一般の知識人でも、他者の心について「なぜ?」を聞かれるとこのような説明を導出するでしょう。 しかし、類推は類推ですので、これでは他者
ふくさん @fukusanity やりたくないことに直面すると、脳内で「やらなくていい理由」が100個ぐらい生成されるんだけど「ストレスに適応するための反応だな」と無視して着手することがある。これができるようになってわかったが、この「脳内で生成される言い訳」が本当に「やらなくていい理由」だと思ってる愚か者が存在する 2023-08-22 12:16:24 ふくさん @fukusanity 「なんでやらないの?」って言ったらすごい勢いで言い訳を並べるくせに自分がやりたいと感じてることには過度に熱心な人いるじゃん、優先度を間違えてるし自分がやりたいことばかり優先してるし、怠け者だなあって思ってたけど、もしかしたらストレスへの耐性が低いのかもしれない 2023-08-22 12:40:48
shinshinohara @ShinShinohara 「関係から考えるものの見方」(社会構成主義)の話を連投していたら、大企業などで活動しているコーチングのプロの方々が面白がってくれ、話をすることに。聞きだし方がさすがにプロで、話すうちに私も頭の中がずいぶんと整理された気分。せっかくなのでちょっとまとめておこうと思う。 2023-08-17 19:07:06 shinshinohara @ShinShinohara 社会構成主義が重視する「関係性」という言葉、どうも解像度が荒くてわからない、どう思うか、と水を向けられた。お答えしたのが「空虚のデザイン」。私は微生物の研究者だけど、微生物も人間も似た動きをすると考えている。こっちの言うことをちっとも聞いてくれないという意味で。 2023-08-17 19:10:05
やりたいことや好きなことを仕事に選ぶと、理想とのギャップに直面したり、好きであるがゆえに妥協できなくて苦しんだりする――しばしば聞く話です。そのうえ「自分で選んだ道だから仕方がない」「つらいなんて言ってはいけない」なんて、がんじがらめになることも。こうした状況が続き、楽しさを見出せなくなってしまうことも少なくありません。 吉本ユータヌキさんは、会社員との兼業で漫画やイラストの発信を始め、現在はフリーランスのクリエイターとして活躍しています。周囲からは理想的なキャリアを歩んでいるように見えるものの、じつはつらさを感じていた時期があるのだとか。 好きな気持ちからスタートした仕事に対して、つらさを感じている人に向けて、かつて同じ悩みを抱いていた吉本さんが、コーチングによって自分自身の本当の気持ちと向き合えるようになった体験を語ります。 ※取材はリモートで実施しました。 好きなことを仕事にしたはず
あらゆる成功本にトドメを刺すスゴ本。3章まで読めば、ほとんどの自己啓発本は無用。さらに4章では、より高次の「夢」を実現する方法まで紹介されている。6章は悪用厳禁、他者を支配下におくやり方がある。要するに、自分(や他人)を洗脳する方法が書いてある。 自分を洗脳 → (自分の)成功に向かって自分を注ぎ込み、実現させる 他人を洗脳 → (高次の)夢に向かって他人を巻き込み、思い通りにする だから、自分だけの成功の実現のために、他人を利用することができてしまうため、前者は詳しく、後者はぼかして書いている。 amazon評に「ノウハウが分かりにくい」とあるが、6章のことだろう。むべなるかな、「わざと」そうしていることに気づけよと。手取り足取り説明すると、誰でも悪用できる強力な催眠術のようなものだから。コトの重大性を理解できないような輩には、最初からお断り、というやつ。著者のblog[ドクター苫米地ブ
夜勤で午後に出勤したら、待ってましたという感じで仲良しの同僚がやってきた。 「〇〇さん、異動だって」 今朝の朝礼で発表があったらしい。 循環器病棟で退職者が出て、さらにもうすぐ産休に入るスタッフがいるという話は聞いていたから、どこかの病棟から補充されるのだろうとは思っていた。そうか、うちは来月からひとり減か……。 とがっかりしていたら、彼女が小声でつづけた。 「師長、〇〇さんのこと苦手そうだもんね」 〇〇さんははっきりものを言う人で、師長にも意見することがある。そんな〇〇さんを師長はやりにくいと感じているに違いない、だから体よく追い出したのだ、と彼女はみたらしい。 へええと思った。私とは真逆の見方だったから。 立場が上の人にも臆さず考えを言う〇〇さんのことを師長は買っているだろう。だから、至急増員が必要な病棟で即戦力になり、かつクセの強い循環器病棟のドクターたちと渡り合える人材と見込んで抜
2013年05月30日 シュタイナーの人智学的医術その701 カテゴリ:神秘体験空間 提出してもらった希望は全て、この連続講義を進めていくなかで自然と消化していきたい。勿論、そのためには、重複もあるが、少なくとも、ある段階までには、全ての希望が叶うようにしたい。 その際の質問や回答を、基礎を作りあげる前に語るか、後に語るか、は非常に重要となる。従って、これからは、希望を見て気づいたことに配慮しながら、できるかぎり講義の基礎を作りあげたい。 最初の考察のために、骨-筋肉組織の形成と、その内部の作用のあらましを述べた。次に、おおよその病気の経過についての具体的な観察と必要な治療法へと進み、結核という1つの実例と、それに適した観察法を用いるために、心臓のなかの循環についての解説から出発した。 さて、これからは、治療法全般の可能性と、その本質や、深い人体観察から得られる見解について、その前提となる
『集中講義・精神分析 下』(藤山直樹、岩崎学術出版社、2010)を読了。 いやぁ、面白かった。 ずいぶん前に「上巻」を読んでから、「下巻」がいつ出るのかいつ出るのかと待ちに待っていたのだけれど、諸事情により下巻の発刊が大幅に遅れてしまったらしい。 だから書店で並んでいるのを見たときには、すごい嬉しかった。 出版を心待ちにする本なんていうのは、そうそうあるわけではないから、そういう本に巡り会えるということはとっても幸せなことである。 とにかくこの藤山直樹さんという人の文章は、「読ませる」。 うねりが効いているというか、こぶしが回っているというか、何かそんな感じがあってグイグイ読ませる。だから面白い。そしてラディカルである。 この本は藤山さんの上智大学での講義が元になっていて(受けに行きたいなぁ)、タイトルの通り「精神分析」について語っているのだけれど、そこで語られていることはとてもラディカル
この一週間、心身ともに不調である。休暇後、遅れた仕事を取り戻すために全力でやってみたが、ストレスが溜まる一方で、ろくに休まないから疲労も溜まり、体も壊している。 一日24時間では足りない。一日のうちにやろうと思っていたことの半分もできていない。寝てる場合じゃない、と思い寝ずにやろうとした。すると次に日の作業効率が落ちてくる。やればやるほどできなくなってくる。焦る。もうダメだ。 「大丈夫ですか。無理せずに休んだらどうですか」と言ってくれた人がいた。そう言われることは頻繁にある。だが私はいつものように咄嗟に言った。 「いや、平気ですよ。いつものことです」そして、面白おかしいことをひとつふたつ言って、かわしたのだった。 ストレスが溜まっていることを悟られたくないし、私は大丈夫だと思う。これら一連の会話と思考は、なにひとつ個別に検討されずに自動的に行われた。 けど、今回すぐに、ちょっと待てよ、と思
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