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ブックマーク / mojix.org (10)

  • 城繁幸氏の論考 「貧困ビジネスで稼ぐ連中」 - モジログ

    貧困ビジネスで稼ぐ連中!:城繁幸 http://news.goo.ne.jp/article/php/politics/php-20080917-01.html 『若者はなぜ3年で辞めるのか?』などの著書で知られる城繁幸氏による論考。雇用格差の問題について幅広い論点から書かれた見事な内容で、この問題に興味ある人は必読だと思う。 個人的には、この問題に関しては以前から城氏の見方に共感していたが、この論考であらためてそれを再確認した。 以下、私の興味をひいた主な部分を抜粋して紹介してみたい。 ■ 日は「職能給」で賃下げが不可能、世界は「職務給」で賃下げも普通 <日の人事賃金制度は、職能給と呼ばれ世界的に見ても非常に特殊なものだ。個人の能力に値札を付ける方式で、経験を積めば値段は上がるはずだから、勤続年数に比例して積み上がっていく。いわゆる年齢給だ。年齢に応じて積み上がっていくものだから、当

  • もしも「カレー無料法」ができたら - モジログ

    もしも「カレー無料法」ができたら、何が起きるだろうか。 「カレー無料法」は、「お金のない人にも、せめてカレーくらいべさせてあげよう」という趣旨の法律。メニューにカレーのある飲店は、カレーだけは無料にしなければいけない、というもの。 もしこんな法律ができたら、まずカレーチェーンは商売にならないので、消滅するだろう。そして、牛丼チェーンやファミレス、定屋などでカレーを出している店も、カレーはメニューから消えるだろう。 こうして、カレーを出す店はなくなってしまう。これまで普通にカレーべていた人も、カレーべられなくなるのだ。 どうしてもカレーべたい人は、違法の「裏カレー」を出している店に行く。「裏カレー」は1万円くらいするが、店側も違法を承知でやっていて、摘発されるリスクがあるので、高額になっている。 そのうち、「なんで普通にカレーべられないんだ!」という国民の声が強まって、

  • 企業は「価値を生み出す装置」 - モジログ

    私が解雇規制に反対するのは、労働市場への介入だからだ。それは市場を守る規制ではなく、市場を損なう規制になってしまっている。 市場は自由な取引により成り立つ。自由な取引とは、当事者どうしが自らの意志に基づいておこなう取引だ。 解雇規制は、雇用契約という取引をやめたいという企業側の選択肢を封じてしまうので、どんな取引をするかという意思決定自体に影響を与える。自由な意思決定のための選択肢が封じられた「制限された市場」は、自由な市場とはいえず、市場メカニズムによる効用・メリットが限定されてしまう。 それでも、解雇規制は正当であるという印象が生み出されてしまうのは、解雇・失業というイメージがやはり強烈だからだろう。失業は良くない、だから解雇をおこなう企業は良くない、みたいな考え方だろうか。 企業は市場のなかで商品・サービスを売って収益を上げるから、企業の業績を左右するのは、その企業から商品・サービス

  • 原因と結果 - モジログ

    事象Aと事象Bがいっしょに起こるとき、その因果関係について、次の4つがあると思う。 1) Aが原因でBが結果 2) Bが原因でAが結果 3) 何か別の事象が原因で、AもBもその結果 4) AとBがいっしょに起きているのは偶然にすぎない 「何々の原因は何々だ」といった話を聞いたとき、疑わしいと思ったら、 この4つのどれなのかを私は考えるようにしている。

  • 「ユニークな能力」 と 「スタンダードな能力」 - モジログ

    さまざまな憂とわたし - 市場価値と仕事能力 http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20051217/value <たぶんスキルとか資格よりも、偶有的な自分の軌跡そのものに対してもっと興味を持つとか、実はそれが自分にとって一番大きな投資なんだ、という認識を持ったほうがいいように思う>。 <資格とかスキルって、結局のところ自分を代替可能な何かに位置づけることであって、確かにジョブ・ポータビリティは高まるけれども、自分自身で付加価値をデザインすることは難しいのである>。 まったく同感。 ここで言われている2つのタイプの能力を、私は 1) 「ユニークな能力」 2) 「スタンダードな能力」 と呼ぶことにしたい。 そしてこの話は、「なまえとタイトル」の議論に驚くほど重なってくる。 ■ 「ユニークな能力」は、「固有名詞」 1)の「ユニークな能力」とは、その能力を持った人に強く

  • ノーラン・チャート - モジログ

  • 山崎養世によるバランスのとれた日本評 - モジログ

    山崎養世の「東奔西走」 - 世界経済悲観論に踊るなかれ “バーナンキ暴落”は終わり、株は上昇を開始する http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20080324/151011/ <経済の実態を冷静に観察すれば、悲観論が過大であり、世界恐慌もスタグフレーションも起きていないことは明白です。 ところが、日のメディアはしきりに不安を煽り立てます。そればかりではありません。外国の偉い経済学者の先生たちの多くも大悲観派です。 ノーベル経済学者のスティグリッツ教授によれば、米国経済は戦前の大恐慌以来のひどい状態になるそうです。ハーバード大学のフェルドシュタイン教授によれば、戦後最悪の不況に突入するそうです。 そんな中で今年1月末、当コラムで「バーナンキ暴落は終わりに向かう」などと書いた筆者は全くの少数派です。それでもあえて言わざるを得ません。米国株式

  • Zopeジャンキー日記 :規格外の東大名誉教授、西村肇

    Rauru Blogの「確かに、まず日語ではあるが」に引用されていた、以下の言葉にピンとくるものがあった。 <したがって結論として言えば、私は単純に日語をロジカルにしようとする努力には疑問を感ずる。日語の目的はロジカルな対話とか議論による決着にあるのではなくもっと別のところにあるのだろう。それは比較的均質な人間集団がまとまって行動するために「雰囲気」を作るコトバとして発達したのであろう。上下関係と対面を気にし、しかも嫉妬心が強い社会の中で上下に自己実現をはかるためには欠かせない表現手段だと思う。それはそれで非常に大事なことではないか。ロジカルな表現で議論する必要があるなら、それに適したコトバでやるほうがよい。英語でやるほうがよい。日人同士でも。これからは、それができる教育が必要だと思う。そしてその影響が自然に日語にもおよんで来るというのが、実際的な解決だと思う>。 私も、日語は

  • 「AはBである」という文についての考察 - モジログ

    「私は東京生まれです」、「私の弟は教師です」といった文において、「AはBです」が意味しているのは、「AはグループBに属している」「AはグループBの一員である」ということだ。Aは具体的な実体であり、Bは概念である。このときのAとBの関係を、仮に「メンバーシップ関係」(AはBのメンバーという関係)と呼ぼう。 いっぽう同じ「AはBです」というかたちの文であっても、「人間は動物です」というときは、意味が違う。「人間は動物です」の場合、人間も動物もグループであり、実体ではない概念だ。「人間は動物です」の意味は、「人間グループは動物グループに含まれる」ということであり、つまり「Xが人間であるならば、Xは動物である(Xが人間グループの一員であるならば、Xは動物グループの一員である)」の意味だ。このとき、AとBは両方ともグループで、AはBよりも「せまいグループ」という関係になっている。このときのAとBの関

    suna_zu
    suna_zu 2014/05/14
    Aは具体的な実体であり、Bはグループであり概念である場合。AもBもグループであり、両方とも具体的な実体ではない概念である場合。Aを調べて真偽判定または、Bを使ってAを定義する。
  • 「内包」と「外延」は、「クラス」と「インスタンス」 - モジログ

    意味論や分析哲学で使われる、「内包(ないほう、intension)」と「外延(がいえん、extension)」という概念がある。 内包(ないほう、intension) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%8C%85 <内包(ないほう、Intension)とは意味論における基概念のことであり、ある記号(言葉)が意義とする、対象に共通な性質のこと。通常は外延の反対語>。 外延(がいえん、extension) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%BB%B6 <意味論において、記号の指す具体対象(ないしその集合)を外延(がいえん、extension)と呼ぶ。具体対象を規定する抽象性質を意味する内包と対比される。外延は事典的規定側面であり、内包は辞典的規定側面。また、外延と内包は各々、概念の外側か内側か

    suna_zu
    suna_zu 2014/05/14
    内包(intension)やクラスは、その概念の定義そのものである。コノテーション (connotation) 。外延(extention)やインスタンスは、それが具体化したものである。デノテーション (denotation)
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