猪瀬 先日、高松宮宣仁が亡くなりました。すると、新聞の論調は、たとえば「銀座にお忍びでお出かけになる気さくな宮さま」とか「一個七十円の大福餅を食べた庶民的な宮さま」というふうに傾斜していくんです。これはいったいどういうことなのか。一種の〈放浪のプリンス〉願望ではないのか、と思うんです。スサノオノミコトやヤマトタケルが負った役割が高松宮という皇弟、つまりプリンスに具現されているような気がするんですね。つまり、神話の構造が、神話として古代に置き忘れられるのではなく、時間を飛び超え現代につながってくるような感じですね。まあ、高松宮だけでなく、皇族を辞めたいと騒いだ三笠宮家の〈ヒゲの殿下〉(三笠宮崇仁の長男・寛仁)などにもあてはまるでしょうね。とにかくトリッキーな役割を演じたり、演じることを期待されたりするんですね、彼らプリンスたちは。 (猪瀬直樹、山口昌男『ミカドと世紀末』新潮文庫、1987)