ロイター写真部 Kim Kyung-Hoon 巨大地震と大津波が福島第1原発を襲った東日本大震災の発生から1日たった2011年3月12日の深夜、私は原発近くの町から避難してきた住民を探していた。 メルトダウンや放射能漏れなどの危険が叫ばれる中、ヘリコプターで到着した福島空港から、同僚とともに車で西へと向かった。目的は2つ。原発から可能な限り離れることと、避難住民を見つけることだった。 しかし、避難住民の居場所に関する明確な情報はなく、われわれの安全を守るには、原発からどれくらい離れればいいかも分からず、現場では混乱した状態が続いていた。郡山市で数時間ほど情報を求めて尋ね回り、住民たちが避難所に入る前に放射線検査を受けていることが分かった。 市内のスポーツ施設に設置された検査場に到着したわれわれの目に映ったのは、SF映画のワンシーンのような光景だった。そこでは、全身を防護服に身を包んだ検査
「茶商の自主検査による暫定規制値以下の銘柄」を掲載した県茶業協会ホームページ。県から全データを公表するよう要請があったが、昨年11月15日から掲載内容に変化はない■■キャプション■■「茶商の自主検査による暫定規制値以下の銘柄」を掲載した埼玉県茶業協会ホームページ。県からの井是正要請があったにもかかわらず、昨年11月15日から変化はない 狭山茶の生産者らでつくる埼玉県茶業協会が、自主検査で放射性物質の測定を行った銘柄のうち、基準値(1キログラム当たり500ベクレル)未満だった銘柄の数値しか公表していない問題で、協会は昨年11月以降、県から数回にわたってすべての数値を公表するよう要請があったにもかかわらず、現在も対応を取っていないことが産経新聞の調べで分かった。県の担当者は公表すべき項目の書式まで作って説得したが、協会側は「基準値を超えたものは流通していないから示す必要がない」との姿勢を崩して
福島県からの帰路、群馬県P市に行くのは思いのほか不便だった。結局、東京まで戻って浅草から東武鉄道に乗った。通勤客のために乗り入れている地下鉄の終点を過ぎて、なお1時間近く北に走った。平野の向こうに、雪をかぶった山が見えてきた。群馬県のシンボル、赤城山だった。 「私の車、すぐに分かりますよ」 木下礼子さん(40)は電話で言った。 「福島ナンバーは私だけですから」 終着駅の駅前はがらんとしていた。冷たい北風が吹き抜けている。真新しい駅ビルが不釣合いだった。黒い軽ワゴン車の横で茶髪のロン毛ママが手を振っていた。木下さんだった。 「車、ボコボコでしょ?」 木下さんは運転しながら笑った。そうですか、と私は曖昧に答えた。南相馬市でも毎日車だったんでしょう? だったら・・・そう問うたが、木下さんは答えなかった。 事情はすぐ分かった。ずっと南相馬で生まれ育った木下さんは、避難してきたP市の地理に不慣れなの
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