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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/alcoholife (2)

  • 5月、郡山へ ― その2 - 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない

    ミナミボウル、裏。小さな川がトタンの錆で真っ赤に染まっていた。この日郡山は風が強くて、トタンが風に煽られて紙みたいにひらめいていた。ぱきっ、ばきり、音は全然紙のそれとは違ったけれど。正面。3月11日14:46という時間。中には人がいたんだろうな。怖かっただろうな。波打つアスファルト。一見無傷のように見えても、傷跡を持つ建物も多い。「ヤネキケン ヨルナ!! くずれます。」の文字。こんな風にダンボールで危険を訴える貼り紙もあちらこちらに。建物トリアージで「要注意」や「危険」になっていても、中では普通に人が働いているビルもあった。父が震災後、建物倒壊危険度検査にも携わったのだけれど、「危険」の貼り紙を貼られて「俺の家に勝手にそんな事をするな」と怒り出す人も中には居たそう。福島は花の季節。さくら通りと内環状線の交差点。 郡山の高校生は殆どと言って良いほどマスクをしていなかった。 小学生は登下校時は

  • 5月、郡山へ ― その1 [Koriyama, Fukushima at May 2,2011] - 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない

    福島に行ってきました。見てきたこと、聞いてきたこと、感じてきたこと。今の郡山の「リアル」をどうしたらちょっとでも多く伝えられるか、ずっと考えています。 そこは「被災地」でした。 レンガや大谷石の塀は全滅と言っていいほどの確率で崩れていました。このゲームセンターのすごいところはこの状態で営業を再開していたこと。夜になると壁が崩れた穴から、中の光が洩れていました。福島は花の季節。八重桜の向こうは安積黎明高校(旧 安積女子高校)。母校。放射線量の詳細レポートを出していることで注目されているこの高校では、校舎内部が倒壊危険があるため使用できず、プレハブ校舎の建設が進められていました。比較的壊れ方が少なくても、こんな風に冠瓦が落ちている家が多かったです。ちなみに瓦は一部破損でも同じ種類の瓦は手に入らないので、全取替になるのが基だそうです。中学生の頃、同級生が住んでいたマンション。桃見台小学校。表土

    surumeno13
    surumeno13 2011/05/08
    写真の説得力。地震から約二か月経っても、壁が崩れたまま、ブルーシートが乗ったままの家もかなりあります。ひび割れた壁をガムテで補修とかたまに見かける。
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