村には、数軒のお店があった。昔々は映画館まであったという村だから、ありとあらゆる商店があったのだと思う。薬屋やオートバイ屋さんは面影がある。今残っている多くは食料品店。お店が淘汰されるとき、最後に残るのは、やっぱり人の生き死ににかかわるところなんだろうなぁと思う。震災時に営業していた商店は、コンビニエンスストア(2軒あった)と食料品店、雑貨店、直売所、温泉、ラーメン屋にカフェ、旅館、郵便局、信用金庫、ガソリンスタンド、それに飲み屋さんと酒屋さん。もしかすると、村で一番多かったのは、お酒関係のお店だったかもしれない。 震災後、原発で避難した村を取材しにきたテレビが「村の中心街の商店はみな閉まっています」とやっていたが、そこに出てくるお店はもとから閉まっていたのばっかりだった。事実は事実だけど、情報操作は簡単にできると気がつかされました。そもそも震災前にテレビが取材に来ることなどまずなかったか