「ひさびさにその言葉を聞きましたよ」こう筆者に話したのは、工場の保安システムに詳しいコンサルタントである。取材中に筆者が「インダストリー4.0」と口にした際、何年かぶりに思い出したと語ってくれた。はやりの「デジタルトランスフォーメーション(DX)」という言葉の陰に、すっかり隠れてしまったようである。時代を象徴するキーワードの移ろいを肌で感じた瞬間だった。登場から10年、製造業をデジタル化
【東京=皆上晃一、シカゴ=野毛洋子】主要穀物トウモロコシの国際価格が高値圏で揺れている。中国で飼料用の買い付けが旺盛な半面、米国などの高温乾燥による供給不安が重なり昨年の2倍強の水準で推移。一時は小麦価格を7年10カ月ぶりに上回った。一方、生育が上向くと伝わるや投機マネーの動きが止まって反落するなど、足元は市場参加者の思惑が絡み値動きが荒い。国際指標である米シカゴ商品取引所のトウモロコシ先物(
【ニューヨーク=大島有美子】米航空大手で人手不足が深刻な問題になっている。アメリカン航空は19~20日の週末、乗務員が足りなくなるなどして約300便をキャンセルした。ユナイテッド航空もパイロット不足に懸念を示す。新型コロナウイルスのワクチン接種が進み、足元で急回復する需要に人手が追いつかない。各社はコロナ禍で無給休暇扱いとした従業員の呼び戻しを急ぐ。「空いている施設でトレーニングを」。ある米航
日本を代表するジャズのビッグバンドを戦後、半世紀余りにわたって率いたサックス奏者の原信夫さんが、21日に肺炎のため、東京都内の病院で亡くなりました。94歳でした。 原信夫さんは富山市の出身で、旧日本海軍の軍楽隊に入ったあと、戦後、昭和26年にジャズのビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成しました。 バンドは、テナーサックスを演奏する原さんがリーダーを務め、アメリカを代表する「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」への出演を果たすなど、世界各国で公演を重ねて、日本を代表するビッグバンドとして活躍しました。 昭和30年代から40年代には、NHKの紅白歌合戦でも出場歌手の演奏を担当しました。 原さんは作曲家としても活動し、昭和42年には美空ひばりさんが歌った「真赤な太陽」などのヒット曲を生み出したほか、江利チエミさんなどのバックバンドとしても活躍しました。 昭和63年に紫綬褒章、平成
一見、厚切り肉のステーキのようですが、薄切り肉を巻き、かたまり肉のようにして作りました。厚切り肉は筋切りをしたり、火が通るのに時間がかかったりと、いくぶん手間がかかりますが、薄切り肉なら手軽。なにより、やわらかく焼きあがるのが魅力です。豚肉を巻くときは、ぎゅっとかためなくても大丈夫。自然な力でクルクルと巻いていきましょう。今回はダイコンおろしとシシトウを合わせて和食にしましたが、つけあわせや
ボンカレー半世紀 いかに「死の谷」を乗り越えたか?大塚食品 ボンカレー(上)2021 / 6 / 22 1968年に大塚食品が生み出した世界初の市販用レトルト食品「ボンカレー」は日本の食文化にカレーとレトルト食品の両方を浸透させた立役者といえる。お湯で温めるだけで「誰でも、簡単に、すぐに食べられる」を実現したレトルト食品は日本だけでなく世界の食品マーケットを大きく変えた。世界初の市販用レトルト食品はなぜカレーだったのか。ボンカレーの誕生ストーリーをひもとくと、開発と事業化の間に横たわる「死の谷」を乗り越えたイノベーションがみえてくる。 大塚食品は4月、ボンカレーのブランドサイトを新たに開設した。公式アンバサダーにタレントの乙葉さんを起用し、ボンカレーが家庭の中でどのように愛されてきたかをストーリー仕立てにしたスペシャルムービー「しあわせを、ほおばろう。」編を公開。家族とキャンプに出かけて食
国会で15日、民間企業などに宇宙資源の所有権を認める法律が成立した。米国やルクセンブルクなどに続くもので、世界でも先行する。日本は小惑星探査機「はやぶさ」などで、宇宙資源開発では世界をリードしている。国内法の整備を背景に宇宙ビジネスの育成を加速させて、国際ルール作りでも存在感の発揮をめざす。成立した「宇宙資源の探査及び開発に関する事業活動の促進に関する法律(宇宙資源法)」は、月や小惑星などでの
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く