私は一生涯退屈しないで済むだろう。というのも、妻が近くにいるからだ。 妻と私との間というユニットは、最小単位の人間関係には違いないが、それでさえも、お互いに満足のいく状態を維持する為の手数というものは無限に必要だし、そもそも「これだけやれば十分」という類のものではない。そこには数限りない苦労と手間隙だけでなく、数限りない楽しみと好奇心も見出される。だから私は退屈しないで済むだろう。自分と妻という間というユニット*1、に対して、数限りない手間隙と好奇心を見出し続ける限り。 幸い、私も妻も、常に移ろい変っていく存在だ。夫婦という名の間主観的関係もまた、常に変化し留まるところを知らないことだろう。にも関わらず飽きるなどということが、どうしてありえようか。仮にそのような日が訪れるとしたなら、私と妻が変化をやめたと考える前に、観測者たる私の目が曇った、とまず考えることにしよう。 *1:或いは将来、家