手抜きなタイトルですが、本当にそうなんだから仕方がありません。 ○新幹線、13%増795億円 長崎ルートも10億円盛る 国交省 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/20060830/20060830_009.shtml http://symy.jp/?4sc(ウェブ魚拓+ウェブ精米) 要するに、交通ネタとしては以下の3つが複合したニュースです。 長崎新幹線の継続予算請求 北九州貨物ターミナル−福岡貨物ターミナルの26両編成対応 新北九州空港への管制官配置 以下、少しずつコメントを付けていきます(つ´∀`)つ 先ず、長崎新幹線(九州新幹線長崎ルート)の予算請求なのですが、これはどうぞ勝手にやって下さいという感じですね。果たして、あと5年以内にフリーゲージトレインが実用化されるのかどうかは疑問なのですが、単なる武雄温泉−諫早のショートカットとして
御手洗・経団連会長の「希望の国、日本」は今後の10年を語っている。この希望はバブル経済の崩壊の後、リストラに続く「安価な労働力」の構造化で企業収益を立て直した経験の自信によっている。これはイギリス、アメリカの新自由主義の模倣であり、遅れた移入であった。果たしてこの十年は御手洗の構想するような希望の日本になるのだろうか。企業収益や景気の回復という側面だけを取り出せば彼の言うことは説得力があるように見える。それならば、その裏側で生み出した「ワーキングプア」は希望なのかということもできるだろう。でも、こういう対置はあまりおもしろくない。 1985年から1992年くらいまでのバブル経済の時期にはいろいろのものが生まれ、あだ花のように消えて行った。フリーターが意志的な「正業」の拒否としてもてはやされていたのもこの時期であった。このフリーターは今では主観的には自由と夢を追い求める存在であるとしても、客
今年に入ってから特に目につき始めた小泉政権のダッチロール現象の原因は、検察権力の先祖返りに拠るものと考える。 言うまでもなく、小泉自公連立政権は衆院において2/3以上の絶対多数派を擁す、超安定政権である。数の論理が優先する国会にあっては、どのような法案も通すことの出来る力を持つ、戦後稀有の内閣でもある。 その小泉内閣が、前国会では腰砕けを起こしてしまった。野党の民主党がメール問題で自滅状態に陥っているにも関わらず、重要法案のほとんどを継続審議として自ら幕を引いてしまった。これがダッチロール現象と言われるものである。 結論を先に言うと、検察の追及を怖れての萎縮がこのダッチロール現象の因だと私は考える。 それでは小泉は、検察の追及の何を怖れて萎縮したのか。答えは明かである。堀江・村上の逮捕・起訴である。 堀江・村上の逮捕・起訴を突破口として、検察の追求が霞ヶ関、永田町へと及び、第二の
渡部 秩序感覚が培われるからです。僕が知ってる石原慎太郎さんや竹村健一さん、佐々淳行さんらの家庭の共通点は、父親が奥さんに立てられていることです。この秩序感覚が特に男の子にとって重要な気がします。父親が母親の尻に敷かれている、あるいは尊敬されていないような家庭だと、男の子は心の底にルサンチマンを持ち、それが後で家庭内暴力になるんだろうと思います。父親が立てられている姿を見て育った男の子は、いろいろ不満があっても、秩序感覚が満たされていますから、家庭内暴力には発展しない。うちも男の子が二人いますが、家庭内暴力なんて起きません。自分も父親になることを本能的に知っているからでしょうね。 八木 学級崩壊の原因の一つに家庭教育があることは間違いありません。小学校に上がるまでに、秩序感覚を体で知るという経験がないと、教室で五十分間じっとしていることもできない。家庭でちゃんとしつけておかないからです。戦
■ …僕は「…僕は十二月八日、大東亜戦争勃発の時に持った感じを忘れることはできない。私は愛国者として、これで臣節を全うしたといえるか、もっと戦争を避けるために努力しなければならなかったのではないかと一日中煩悶した。米国の戦力と、世界の情勢を知っていたからだ」といった。 -昭和18年7月9日 清沢洌著『暗黒日記1』(ちくま学芸文庫) 雪斎にとって、清沢洌の言論は、「鑑」の一つである。 清沢が一貫して批判を加えたのが、昭和初期に、『米国怖るるに足らず』『宿命の日米戦争』といった著作を書いて一世を風靡していた池崎忠孝である。池崎は、満州事変以後の日米関係の悪化に乗じて、数々の「日米戦争論」を書いた。池崎は、近い将来の日米戦争が宿命であり、それに備える覚悟を持つことが大事だと論じた。これに対して、清沢は、「自然災害じゃあるまいし…。避けられないものではあるまい」という趣旨の批判をしたのである。 因
買うのはちょっと待って、そのデジカメ 2006年09月01日06時06分 / 提供:PJ 写真拡大 デジカメの新製品情報を書いた掲示板。こういうサービスはありがたい。 31日、有楽町店頭で (撮影:安居院 文男) 【PJ 2006年09月01日】− 31日、都内の某パソコンショップのデジカメ売り場を見ていたら、写真のような掲示があった。見にくいので、書き直した。 10月中旬、オリンパスμ1000−1千万画素、同μ730−710万画素。9月上旬、ペンタックス7OptioW20−700万画素、39,800円。9月15日、リコーCaplioR5−725万画素、46,800円。9月29日、ニコンCOOLPIXS7C−710万画素、49,800円、9月8日、同COOLPIXL5−720万画素、34,800円、9月22日、同COOLPIXS7−710万画素、44,800円、同S8−39,800円、
■ 「われわれが自分の国に居るときに信じているのは、一人の人間が、他の国々の友人であって、同時に自分の国には忠実にして献身的な市民のままでいられるということである。それが、われわれが貴殿に観ている流儀である」。 ―ミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフ― 1987年12月、ミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフは、初めて米国を訪れた折、パーティに招かれたジョージ・F・ケナンに、このように語りかけた。雪斎には、この言葉が「冷戦の終結」を象徴しているように思える。ケナンは、冷戦初期には、対ソ「封じ込め」政策の立案を主導し、後に駐ソ大使に就任した折にはソ連政府から「ペルソナ・ノン・グラータ」として入国を拒否された。昔日には「敵方の謀将」であったケナンに対して、ゴルバチョフは、「他の国々の友人であって、「同時に自分の国には忠実にして献身的な市民」と語りかけたのである。 一般的にいえば、特に政治
自民党総裁選挙は、「時化た選挙」になりそうである。昔日、田中派・竹下派の権勢が強かった時期には、田中派・竹下派が態度を決めれば「終戦」であったけれども、此度に田中派の役割を果たしたのは、「世論調査」であった。昨年の「9・11」選挙の遺産は、「何はともあれ風を起こせる総裁でなければ困る」という雰囲気を自民党内に定着させたことにある。安倍晋三氏が今までの流れの通りに新総裁になるならば、安倍氏に期待されているのは、「小泉が起こした風を止めないこと」である。 安倍氏に対する懸念は、実質的に「闘ったことがない」ということである。此度の総裁選挙は、安倍氏にとって格好の「闘う機会」を意味していたはずであるけれども、その通りにはならなかった。小泉総理の場合、特に国内に強大な「敵」が存在していて、その「敵」に対峙していればこそ、小泉総理は、世に「闘う姿勢」を示すことができたのである。そして、そのことは、小泉
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