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感情に関するsyo00のブックマーク (2)

  • インターネット「鈍感力」のススメ - 琥珀色の戯言

    打たれ弱いと不幸なのか?(by「大きな声では言えないけれど」(4/11)) ↑を読みながら、はじめて自分のサイトで「ネットバトルめいたもの」をやったときのことを思い出してしまいました。あれは確か「死刑制度の是非」についての論争だったと思うのですが、自分のサイトの掲示板で、次々と繰り出される相手の「正論」に、「もうやめようよ。疲れたから……」と憔悴しつつも、眠れずに夜中に何度もドキドキしながら掲示板を覗きに行って、反論の書き込みがなければガッカリ、あればグッタリしていたのを今でも覚えています。ネット上とはいえ、他人と闘うというのは、かなり消耗するものではあるんですよね。さらに、その「バトル」は、それなりの数の人が見物しているわけだし。 2007年2月20日、小泉純一郎前首相が自民党幹事長室をたずね、中川幹事長・塩崎官房長官を前に「目先のことに鈍感になれ。鈍感力が大事だ。支持率が上がったり下が

    インターネット「鈍感力」のススメ - 琥珀色の戯言
  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

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