湯取神事に関するsyukakuのブックマーク (19)

  • 筒井町天王祭(2010) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    ご無沙汰しております、どうたぬきです。 今年も筒井町天王の季節がやってきました。6月4,5,6日です。今年はブログ紹介記事を丸投げ有能な人材にお願いしました。 それでは筒井町のファンタジスタ、河童丸さんの筒井天王紹介をどうぞ!! ~名古屋開府400年祭に寄せて~ 今年2010年は名古屋が熱い。 百年に一度の大不況と言われながらもこんなお祭をやっちゃう名古屋。昔からそうですよ。第八代将軍徳川吉宗の質素倹約令に歯向かって贅沢三昧をし経済を発展させた尾張藩主徳川宗春に始まり、日中が不景気と叫んでいたのにトヨタ様は黒字だわ、万博はやっちゃうわ……まあ、そんな名古屋バブルもリーマンショック&トヨタショックのコンボで一昨年弾けましたが。そういえば、国が事業仕分けしている中、名古屋では市民税減税のために奮闘している姿って、吉宗と宗春に何となく似てません? 敵対関係が違うんで他人の空似程度のものだとは思

    筒井町天王祭(2010) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 求めず与える - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    人間関係でもそうかもしれない。こと、山車祭に参加していると、その祭に熱く、深く接していると、自分が祭りに持つ「理想」と山車祭の「現実」のハザマで悩む人も多いのではなかろうか? 別に悪いことじゃない、それだけ、高い目的意識を持ってやっているということ。だがやってはならぬことがある。それは、理想と現実のハザマで悩む自分のボヤキを外部の人間に漏らすこと。それって、身内のはじ話になるかもしれない。(祭)組織に所属する以上、所属組織の結束力を疑われるような言動を、外部に見せてはならない。こういう趣旨の話は、プロ野球現東北楽天の監督、野村克也氏の著書に見ることが出来る。 ボヤキが多くて有名な氏がボヤクなと言っている事が面白いし、ボヤク内容をきちんと吟味している証。 正直な所、僕は自分所の山車祭に「理想」を掲げたことはなかった。今ある「現実」に満足していて、これ以上望むものは何も思い浮かばなかった。それ

    求めず与える - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • お祭りにこそ会社組織の原点がある? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    今年、愛 地球博では、愛知県中の山車を万博会場に集めて「山車百輌総揃え」なる催しがありました。自動車のトヨタの豊田市は昔、挙母(ころも)と呼び、挙母祭の山車も登場しました。 表題の「お祭りにこそ会社組織の原点がある?」は、最強の名古屋商法実践編の1つ(パクリ?)です。 書かれた方はおそらく愛知県半田市上半田の祭「ちんとろ舟」などに深く関わっていたであろうと予測されます。そんな、中部地区の山車祭りの1コマから今日の会社組織が見えてくる? 以下引用 「地元の子ども達は小学校に上がる前からお菓子に連れられて、山車の先端の綱を曳いているのだが、やがておはやしの1団に加わり、そんな中からお祭りを支える当の若い衆が生まれていく。 そのとき、私はお祭りにこそ日の会社組織の原型があると思った。 日の会社組織の特徴は終身雇用だとか年功序列だとか言われているが、それは戦後大きくなった行政機関や大企業での

    お祭りにこそ会社組織の原点がある? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭を語る 原点は勇ましさ 二代目アキ(後編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    お祭りにこそ組織の原点がある? アキさんのブログでこれ面白いなと思ったのは「お祭りにこそ会社組織の原点がある? 」を読んだ時です。 お祭りにこそ会社組織の原点がある? かなり昔に書いたものですね。僕がブログ書くキッカケになったメルマガとして「007名古屋商法」というものがあります。 祭ではなく、経営系のメルマガ、その中に心惹かれる文があって、書いていますね。人を動かす原動力は「勇ましさへの憧れ」であると。 実際そうだと思います。山車の中に乗る囃子方ですと、山車の中から山車の前方を見ることになる、そうすると、楫方の衣装、背中に大書された「湯」の字を観ながら笛を吹くのです。 一般の方では山車の前から観るから、山車の正面しか観られないですね。囃子というものは、楫方を観る一番の特等席かもしれません。この「湯」という文字がいつも大きく観える。 「オヤジの背中が小さく見える」の逆ですね。特に出合いの後

    筒井天王祭を語る 原点は勇ましさ 二代目アキ(後編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭を語る 一尺の笛を引っ提げて 二代目アキ(前編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井天王祭を書くために 祭について熱く語りたい!!そんな方のために今回、このような企画が立ち上がりました。 「筒井天王祭を語る」記念すべき第一回はアキさんです。アキさんは幼児期、神皇車の帰り囃子を聴いて「山車に乗りたい」と思い、小学時、湯取車に入門、受験勉強時は一時中止し、高校卒業後、山車祭にどっぷりつかります。「他地区の湯取車を観たい」と考え、二十歳前から各地の山車祭、特に湯取神子の乗る山車を重点的に見学、調査されています。得筆すべき事は、各地の山車囃子の録音、山車祭の囃子から入った事。山車祭は写真で記録される方が多い中で、囃子に特化した異色の存在です。また、その延長線上で、郷土史の研究もされています。 最近ではブログ「尾陽雑記抄」を書かれています。言ってみれば自己満足の世界に生きている人です。始めの質問ですが、湯取では何年働いているのですか? 小学4年次に湯取に入門しています。ですが略

    筒井天王祭を語る 一尺の笛を引っ提げて 二代目アキ(前編) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 祭を語る どうたぬき(後編)家康の夢は何だったのか? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    そもそも東照宮は徳川家康の死後できるわけですが、なぜ東照宮は出来上がったのか?どうたぬきさんの見解をお尋ねしたい ここでもはじめに断っておきますが、同じ文章を読んでも人によって解釈は分かれます。あくまでここでお話しするのはわたくしの個人的な見解です。それが正しいとは全く思っていません。真実とも思えません。それでもこういう形で書いておく必要も最近は感じるようになりました。ご批判を受けるであろう、その文章をここに残します。 まず家康の遺言から、家康の遺言といいますと、「人の一生は重き荷を背負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。 己を責めて人を責むるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。」が有名です。この言葉私も好きです。だがこれは

    祭を語る どうたぬき(後編)家康の夢は何だったのか? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 祭を語る どうたぬき(前編)水戸黄門の時代に湯取車はあった!? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井天王祭紹介記事書くのも今年で三回目となりました。 筒井天王祭(平成18年度) ああ ふるさとに帰ってきたみたいだ(筒井天王祭のお知らせ)平成19年度 山車祭を知り尽くす常連さんから、筒井天王という言葉初めて聞いたという方まで、満足させる文章を書くのって大変なんです。 特に常連さんなど、僕より山車の知識多いですよ。そんな方に大上段に構えて書いていたらそれこそ、「釈迦に説法」です。昨年の「水戸黄門の時、湯取車があった。」という言葉は、独り歩きしてしまったようです。 上記の二つ書いても人は三割程度しか書けてないと、満足できないんです。 そこで今年は趣向を変えました。もし僕に雑誌が取材に来たらこう答えると、インタビュー形式にしました。 雑誌やテレビの取材って「はじめに結論ありき」の場合がある。編集者の望む答えが出てこなければ、取材は終わり。テレビなら編集でカット。座談会形式でも、よくよく読む

    祭を語る どうたぬき(前編)水戸黄門の時代に湯取車はあった!? - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 似たもの同士 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    名古屋市東区筒井町湯取神子車と同じものが、西区比良にある「河南 湯取神子車」 同じく小牧上町にもある「湯取神子車」筒井の笛吹き(鼻こすり)は大正年間六代目玉屋庄兵衛作(平成に修復)小牧は明治年間に六代目によって作られた。(明治に作られるまで、人形は無かったとも?) 昭和初期、六代目の高弟荒川宗太郎によって作られた湯取神子の人形が亀崎「宮車」 旧 桑名町で戦災にあうまであった「湯取神子車」は隅田仁兵衛の作。隅田仁兵衛一門の手によって作られたのが岐阜県竹鼻「大西町」にある。 湯取で有名なのは津島秋まつりの七切「麩屋町」と「朝日町」と二つある。 他にも戦災にあってしまったが、数輌あったらしい。 筒井と比良、小牧、亀崎では、人形囃子や道行など囃子に同類の物もある。津島は何故かちがうなあ。囃子は何故か?昔○○の○○町にもあったらしい。 湯取つながりで、他地区の山車囃子を聴きに行ったのが、ここ10

    似たもの同士 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 岐阜の湯取車 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    岐阜県東濃地区(恵那、中津川など)は古くから名木の産地として有名。先日も中津川市加子母(旧 加子母村)で名古屋城丸御殿で使われる檜に斧いれの儀式があった。近くを流れる付知川を下れば、木曽川へ流れ着く。 来る9月23日に加子母 水無神社例題祭で2輌の山車が出る。一つは獅子舞のカラクリ、もう一つは湯取神事。 因みに水無神社という時、一般的に、飛騨一宮水無神社をさす。 名古屋の旧桑名町は材木問屋が多かったともいわれる。江戸時代、加子母ゆかりの人が、東濃から尾張名古屋へ出てきたおり、桑名町の湯取神子車のカラクリを見て、加子母で作ってみようと考えたのではなかろうか?と想像するのは、妄想に過ぎないのか? 下は加子母のホームページ 水無神社大祭で人形の動画も見られる。湯取神事の瞬間もあるよ。 加子母ネット 中津川市イベントカレンダー この日は尾張横須賀祭礼の日だから、こっそり予告。東濃も湯取神事が多い

    岐阜の湯取車 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 湯取車山車囃子の独自性 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井町湯取車は「東照宮祭」の古車とのいわれがあるので、東照宮祭祭礼車の囃子を使っているだろうと考えている人は多い。湯取車でも、東照宮祭名物車「橋弁慶車」の帰り囃子「雨降囃子(七間町)を使っているから、そう考えても無理は無い。しかし、事実は全くの謎、肝心の東照宮祭祭礼車桑名町の湯取車が戦災で無くなっているので、確かめようが無い。 どこぞかでレコードでもでる可能性があるが、僕はほとんどゼロに近いと考えている。 勝手に例を出して悪いのだがお隣の「神皇車」カラクリは能、狂言ではないと思われるが、能管を使い、「神楽」人形では「早笛」などを使っている。(巫女から衣装がパーと変わるので、歌舞伎に近いのでは?と勝手に考えている) 「紅葉狩車」では能の「神楽」「出葉」「中ノ舞」「舞働」などを使っている。来の能「紅葉狩り」はどうか知らないが、おそらく能囃子の一部分、ダイジェストで使っているのだろう。 福禄寿

    湯取車山車囃子の独自性 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 天王祭雑記 (お蔵入り予定だった雑記です) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    徳川園の地図&筒井天王祭「出合い」の場所をgoo地図で示しましたが、お役に立てれたでしょうか? 公開するか迷った天王祭雑記つまりこの記事ですね。まあ別に公開しても別に良いかな?と思いましたので、公開。これと言って公に出来ないものではありませんので、気楽にお読みください。 日曜日の日、徳川園で出来町の山車を観た時、温かい歓迎に自然に涙がでました。祭礼で泣いたのは今回が初めてです。出来町の方の熱意が伝わりました。それに答えようと自然に気が高ぶりました。出来町のお祭って当に凄いですね。やっぱりいいなあ。 「心 滾る」のキャッチフレーズに偽り無し。出来町天王祭 灯し上げ(6月15日)行けたら行きたい。心行くまで出来町の囃子を聴いていたい。 祭礼では山車祭の新たな魅力を見つけました。千秋楽の夜、提灯をつけて、出合いのあと、山車蔵へ向かうのですが、帰り囃子(しんぐるま)をはやしての「帰り車」梶棒に片

    天王祭雑記 (お蔵入り予定だった雑記です) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭&東区の天王祭山車揃え 御礼 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    このブログをご覧の皆様、筒井天王祭、出来町天王祭そして徳川園での東区の天王祭山車揃えに多数のお客様を迎える事ができ、感謝に耐えません。まことにありがとうございます。天王祭行ってない人にもお礼を言わせてください。(だって名古屋に住んでいないと観に行けない祭礼だよ、ブログ閲覧者様の時間を拘束するつもりはないし) 苦しいこともあるだろう 云い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえて行くのが、男の修行である。 山五十六氏の言葉 何故かその言葉が浮かんでは消える日々を送っていました。日常生活、働いてその後祭礼の準備をする。体力が祭礼前に尽きる場合もあります。公私共に疲労のピークでした。 苦しい事がありましたが、祭礼が終わり、苦しみのトンネルからはとりあえず抜け出せました。 ですがまた、苦しみのなかでもだえながら、生きて

    筒井天王祭&東区の天王祭山車揃え 御礼 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 筒井天王祭 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    来る6月、2,3,4日(金土日)と名古屋市東区筒井町界隈で「筒井天王祭」が行われます。古くから伝わる「疫病除け」の祭ですが、祭礼の目玉は何と言っても2輌の山車筒井1,2丁目付近の(旧称筒井1,2,3丁目)建中寺前の山車「神皇車」と、筒井三丁目と4丁目付近(旧称 車道4丁目と筒井4)情妙寺前「湯取神子車」金曜の夜から曳かれます。 神皇車の陣(不動会館)建中寺の門横に「天王社」があり、これがまた小さい。同じく、湯取車山車蔵前に鎮座する「天王社」 これもまた小さい。祭礼のお社の小ささと曳かれる山車の大きさのアンバランスさが、筒井天王の魅力かもしれません。 関連記事 東区の屋根神様その参 建中寺山門前の旧屋根神様 曳かれる山車の仔細ですが、かなり今までに比べてテンションが低いです!? 神皇車 江戸時代は廣井村 新屋敷(現在 中村区 柳橋魚市場付近?)で三の丸天王社の車楽へ笹提灯を奉納し、提灯で彩

    筒井天王祭 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 信長が愛した天王祭 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    6月2日は何の日か?ご存知だろうか?天王祭の最終日(5月31日、6月1,2日)と答える人もいるだろう。もう一つの正解は、尾張の英雄「織田信長」が能寺で打たれた日。(旧暦?)この日は「天王祭」真っ只中だったとも云われる。 「NHK大河ドラマ」などでもおなじみ「織田信長」他「利家とまつ」「巧妙ヶ辻」などでは脇役であろうが「能寺の変」は前半クライマックスであろうと思われる。 織田信長、この人も天王祭が好きだった。記録として「津島の天王祭」を観て喜んでいた記述も残る。織田信長の家紋は「五葉木瓜」(織田木瓜)天王祭の神紋と同じである。(もっとも、織田信長の肖像画の紋は「桐」鎧では「あげはちょう」が使われる場合もある) 織田信長もハデ好きで有名、そして世界規模の最先端技術に興味を持った。尾張人の一面、最先端技術を追い駆ける。ゴージャスに弱い?という気質は、すでに室町の頃からあったのだろう。 天正9

    信長が愛した天王祭 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • もう一度僕は晴明(はれあきら)を探しに行く!! - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    筒井町天王祭に出る山車「湯取神子車」大将人形は、大陰陽師阿倍晴明をモデルにしたものといわれています。 2001年にNHKが夢枕獏氏原作「陰陽師」をドラマ化しました。 阿倍晴明にスマップの稲垣吾郎 源 博雅に杉哲太 晴明の式神「光虫」上 まなみ 特に最終回とその前は阿倍晴明が都を襲う疫病と闘う設定。しかも疫病除けの筒井天王祭の頃で、NHKが天王祭の為に造ってくれたかと思っちゃうくらい、不思議な因縁。NHK「陰陽師」をTV録画しなかったのは、唯一悔やまれる。(天王祭の準備で、録画どころではなかったが) その頃、阿倍晴明について書かれた「晴明」を読みまくり、名古屋に残る晴明ゆかりの地についても調べ、ほぼ出尽くした感があったので、晴明に対する調べものはその時点で打ち切り。それでも、夢枕獏原作「陰陽師」を読まなかったのは、気がかりであったが。 それでも、時々、陰陽道などを調べたりする。つい最近

  • 晴明神社 名古屋市千種区清明山 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    名古屋市千種区清明山の一角に「晴明神社」があります。 社務所のない小さな神社ですが、写真を撮ってきました。 交差点「清明山」ヤフーの地図ではこちら を北へすぐに写真のような看板が 道を下っていくと、神社があります。 対岸の公園から撮影 中には由来書きの看板としおりが置いてあります。(阿倍晴明に関する新聞の切り抜きなどが貼られた掲示板もあります) これからは、筒井町天王祭の宣伝に、湯取神子車には阿倍晴明が乗っていると、張って貰わないと。 昨年は1月1日と9月26日に上野天満宮から禰宜さんをお迎えし、卯歩(ヘンバイ)の神事を行ったようです。 由来書きには987年、晴明尾張国狩津荘上野邑に来住、(中略)蝮蛇多きを見て加持して是を封ず。(中略)然るにその後蝮蛇を見る事あり、1778年晴明の神霊を勧進し、再び蝮蛇を見ずという云々。 神社の裏側からは、ナゴヤドームも見えます。 ナゴヤドームは東区、清明

    晴明神社 名古屋市千種区清明山 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 清明節 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    今年の清明節は4月5日、天下の大陰陽師「阿倍晴明」は清明節の日に産まれたといわれています。清明節の日は中国ではお墓参りの日だそうです。 清明節の前日は寒の日、中国ではこの日は1日火を使わないだとか。かまどの火も使わないそうです。 宮城谷 昌光著「介子推」では「この日は雨が多い」という意味の漢詩と共に、寒の日の由来を紹介されています。介子推という人物は伝説上の人物、春秋の五覇 「晋の文公」に仕えた陪臣。史記などでも書かれています。宮城谷 昌光氏の「重耳」(晋の文公の物語)でも介子推は出てきます。 清明節は雨が多い。春祭りが多い4月第一土日にこの日と重なる年も多い。多くの祭礼人を悩ませますが、古くから雨が多い日として有名ですので、漢詩の存在を知ってからですが、私は諦めて、雨の日も楽しむようになりました。雨も自然の恵み、その恩恵を忘れてはならない。 各地に「清明」と書かれた石碑がありますが、

    清明節 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 亀崎 宮本車 上山の人形戯 湯取神子 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    亀崎は上山にもカラクリ人形が乗ります。宮車は湯取神子 (下の部分は三番叟) 「湯取神子」作者は荒川宗太郎六代目玉屋庄兵衛の高弟でもあります。六代目玉屋庄兵衛正芳は、他に明治期に小牧「湯取車」の湯取神子や 名古屋市筒井町「湯取車」鼻こすり人形を製作しています。 人形が動く時、お釜が用意されます。 他町の湯取神事は「神官」は動きませんが、亀崎は動きます。 神子(巫女)が動いた後(四方を払う意味もあるのでしょうか?) 神子が手を上下に動かし(釜の湯を振り掛ける意味)釜から湯の花に見立てた紙吹雪が舞います。

    亀崎 宮本車 上山の人形戯 湯取神子 - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
  • 名古屋まつり(山車揃え) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

    例年10月中旬に名古屋市中心部 市役所から栄にかけてのまつりがあります。 「名古屋まつり」 愛知県が生んだ戦国時代の英雄「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の郷土三英傑の仮装パレードが有名ですが、それ以外でも見所があります。 「名古屋まつり」の先陣を切る名古屋市中心部に近い地区にある「名古屋の山車」を曳く「山車揃え」毎年順番が変わりますが、今年は「湯取車」「神皇車」「河水車」「鹿子神車」「王義之車」「二福神車」「紅葉狩車」「唐子車」そして「福禄寿車」 「名古屋祭り」は戦後、商工会によってつくられたものと思われがちですが、決してそうではなく、戦前にもありました。更に言うと江戸時代からありました。 (現在の名古屋東照宮) 江戸時代、徳川家康がお亡くなりになった後、尾張徳川家も「東照宮」をつくりました。 東照宮がまだ建築中にもかかわらず、家康三周忌の元和三年(1617年)から付近住民による祭礼が

    名古屋まつり(山車揃え) - お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~
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