「父は普通のエンジニアから、工場のコンストラクション部門のチーフになった。機械が大好きだし機械に愛されている。生産過程の自動化を担当していたけど、もし、あの工場がソ連ではなくアメリカにあって父の仕事の売り上げの1%だけでももらえたら、今、私たち家族は海辺の別荘で暮らしていたに違いない。しかし父は後悔していない。小さい町に住んでいた父は誰よりも早くザポロジェツを買って乗っていた。しかも、エンジンの冷却システムを巧みに変えて、オーバーヒートしないようにした。そのあとはモスクヴィチ412を買って、排気ガスがあまり出ないようにした。CO2の量が車検のとき問題になった。チェックする警察の機械だと排気ガスが0と検出されてしまったのだ。あるはずなのに、ない!と証明書がもらえなそうになった。」