歴史とオカルトに関するt-hirosakaのブックマーク (2)

  • あの頃、原爆より原発の方が怖かった(今も) - Living, Loving, Thinking, Again

    現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇 (ちくま新書) 作者: 大田俊寛出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2013/07/10メディア: 新書この商品を含むブログ (14件) を見る 大田俊寛*1『現代オカルトの根源起源』の最初の部分に曰く、 オウムの教義が切迫した終末思想をその基調としていたことは、広く知られている。オウムが社会に現れた一九八〇年代、世界は、アメリカとソ連という二つの超大国が対峙する冷戦構造下にあった。結果として両国が直接的に戦火を交えることはなかったが、その「代理戦争」と呼びうるものが世界各地で勃発していた。また、来るべき格的な戦争に備え、膨大な量の核兵器が両陣営で生産・備蓄されていた。今となっては多分に忘却されているが、世界はいずれ「第三次世界大戦」に突入する可能性が高いのが、当時の人々の共通認識だったのである。(pp.10-11)国際的にも国内的にも、「一九八

    あの頃、原爆より原発の方が怖かった(今も) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 能力 - てぃーえすのメモ帳

    傳書或言、顏淵與孔子倶上魯太山、孔子東南望、呉閶門外有繫白馬。引顏淵指以示之曰「若見呉昌門乎?」顏淵曰「見之」孔子曰「門外何有?」曰「有如繫練之状」孔子撫其目而止之。因與倶下、下而顏淵髮白齒落、遂以病死。蓋以精神不能若孔子、彊力自極、精華竭盡、故早夭死。 (『論衡』書虚第十六) 『論衡』によれば、後漢の頃にこういった話が伝わっていたようだ*1。 かの孔子こと孔丘先生は最愛の弟子顔淵(顔回)と共に泰山に登った。 そこで孔丘先生が呉の方を見ると、その門のところに白馬が繋がれているのが見えたという。 先生は顔淵に「呉の方に何か見えるかね?」と聞いてみた。 すると顔淵は「なんか白い絹のようですね」と答えた。 先生はそこで顔淵がそれ以上見ないようにと目を覆ってやった。 二人が泰山を降りると、顔淵は精根尽き果てて白髪の老人のようになってしまい、そのまま病んで死んでしまったのであった。 つまり、孔丘先生

    能力 - てぃーえすのメモ帳
  • 1