2014年12月24日のブックマーク (1件)

  • 孔丘先生は董仲舒をどう見たのか - てぃーえすのメモ帳

    漢晉春秋曰「鍾離意相魯、見仲尼廟頽毀、會諸生於廟中、慨然歎曰『蔽芾甘棠、勿翦勿伐、況見聖人廟乎!』遂躬留治之。周觀輿服之在焉、自仲尼以來、莫之開也。意發視之、得古文策書、曰『亂吾書、董仲舒。治吾堂、鍾離意。璧有七、張伯盜一。』意尋案未了。而卒張伯者、治中庭、治地得六璧、上之。意曰『此有七、何以不遂?』伯懼、探璧懐中。魯咸以為神。」 (『続漢書』志第二十、郡国志二、予州、魯国注引『漢晋春秋』) 昨日の記事について、筋書はほぼ同一だが別の書中に伝わっていた話もあったようだ。 『漢晋春秋』では、発見された孔子こと孔丘先生の予言において「我が書を乱すのは董仲舒、我が堂を維持するのは鍾離意」と言っていたのだそうだ。 昨日引いた『鍾離意別伝』では「後世修吾書、董仲舒。護吾車、拭吾履、發吾笥、會稽鍾離意」となっており、孔丘先生は董仲舒に対して肯定的であるかのようだが、今見ている『漢晋春秋』では明らかに否

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