ブックマーク / njamota.hatenablog.com (1)

  • haiku(2012-01-26)から転載 - たたるこころ

    t-hirosaka.hatenablog.com もし、西門豹が「河伯娶婦なんて意味ないからやめなされ」と言ったところで、そうはならなかったと思う。それだけ弊害が出ていながらやめられないのは、人々がその儀式になにがしかの意味を見出している(=信仰がある)からだと思う。それは例えば、生け贄を捧げないと川が氾濫するとか、そういうこと。西門豹がしたのは、人々のそういう信仰を不合理として否定しないで、信仰の枠組みの中で、川が氾濫するんじゃないかという不安を人々に引き起こさずに、儀式を継続しないでもよい状況を作り出した、ということなんじゃないか。彼が私腹を肥やす関係者を次々と河に投げ込んだのは、皮肉とかじゃなくて、「生け贄を捧げるからには、当然に河の中に河の神がいて、生け贄はそこに行っているはずだ」という、人々の信仰に調和的な考えにもとづいている(それが同時に関係者の粛正にもなっている)。これ以降

    haiku(2012-01-26)から転載 - たたるこころ
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2023/08/21
    言及されました。
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