ブックマーク / charis.hatenadiary.com (14)

  • 岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(2) - charisの美学日誌

    [読書]  岩波哲学講座・第12巻『性/愛の哲学』(2) 2009年9月刊 (写真は、田村公江氏の別著) 収録論文の田村公江「性の商品化――性の自己決定とは」も力作である。田村論文は、ポルノグラフィーと売買春を扱うもので、「制度としての性の商品化に反対する立場で、・・・制度としての売買春=買春機会を保証する社会のあり方に反対するのが、筆者の立場である。」(p170) ここでは、なぜ売買春は悪いことなのか、その論理を根源的なレベルで構築しようとする田村の議論を見てみたい。田村はまず、現代の日社会が売春に寛容である理由として二つを指摘する(172)。(1)貧困に迫られての悲惨な売春はすでに過去のものとなったという楽観的認識、(2)性は個人的な事柄であり、当事者の自己決定に委ねておけばよいというリベラリズム。この(1)(2)にそれぞれ対応して、売買春を条件付きで肯定する考え方が二つある。 まず

    岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(2) - charisの美学日誌
  • 岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(1) - charisの美学日誌

    [読書]  岩波講座哲学・第12巻『性/愛の哲学』(1) 2009年9月刊 戦前から続く岩波哲学講座だが、今回、『性/愛の哲学』というテーマの巻が登場した。フロイト、ラカン、フーコー、バトラーなど、20世紀には「性」が哲学のテーマとして前景化し、ジェンダー研究も活性化したことが背景にある。全体を通読した印象では、収録論文はやや玉石混交か。その中では、小泉義之「性・生殖・次世代育成力」が鋭く、また田村公江「性の商品化――性の自己決定とは」も力作だ。観点が違うこの二つの論文の考察はともに、期せずして、"正常で健康な"男女の性愛それ自体が内包する非対称性、不平等性、強制性、暴力性、罪責性、原罪性などに行き着いている。 小泉論文は、そのタイトルが示すように、異性愛、生殖、子育てという論理的には独立でありうる三項が、人類の歴史においては三位一体のものとして扱われ、恐るべき強制力を持ってきたことに焦点

    岩波講座哲学12『性/愛の哲学』(1) - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2009/12/06
    面白そうだな。この巻だけでも買ってみるか。
  • 濱口桂一郎氏へのお答え - charisの美学日誌

    [議論] 濱口桂一郎氏へのお答え (写真は、リベラルアーツの源流の一人プラトン(左)。体育、音楽、文芸、算数、幾何、天文を学ぶことの重要性を説いた。) 濱口桂一郎『新しい労働社会』についての私の書評に対して、濱口氏がご自分のブログで丁寧なコメントをくださった。そのことを感謝するとともに、こうして著者と直接意見の交流ができるブログは、つくづく有難いものだと思う。↓ http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/charis-772a.html 書における労働と雇用をめぐる濱口氏の現状分析は見事なものであり、その部分については、コメントで氏が述べられたことも含めて、私には異存はない。私が氏と大きく見解を異にするのは、大学教育が持つべき「職業的レリバンス」についてであり、コメントによって氏の見解がさらに詳しく示されたので、再度私の見解を述べ

    濱口桂一郎氏へのお答え - charisの美学日誌
  • 吉川徹『学歴分断社会』(1) - charisの美学日誌

    [読書] 吉川徹『学歴分断社会』(ちくま新書、09年3月刊) (下図は、大学進学率の変化。1960〜75年に大きく上昇したが、その後はゆるやかな変化であり、50%前半で頭打ちになると予想される。90年頃は18歳人口が多いので進学競争率が高かった(大学に行きたくても行けないという状況)。しかしその後の進学率のゆるやかな上昇は、大幅な人口減によるところが大きく、希望すれば誰でも入れる「大学全入時代」に近づいた。) 「学歴」は多くの人にとって微妙な問題であり、「今は学歴ではなく実力の時代ですよね」といった無難な言説がまかり通っている。だが当にそうだろうか? 計量社会学者である著者は、大規模な社会調査の統計にもとづいて、学歴が日社会の格差問題において果す役割を分析する。「実力の時代」とは言っても、大卒と高卒は当初から賃金水準が異なり、大卒は働く期間が4年短くても生涯賃金は1.2〜1.5倍も多い

    吉川徹『学歴分断社会』(1) - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2009/03/23
    新書が出ちゃったか。吉川先生の東大出版会の本、積ん読なんだよなあ。
  • 映画『靖国』(1) - charisの美学日誌

    [映画] 李纓監督『靖国』 渋谷/シネ・アミューズ (写真右はポスター。下は、現役最後の靖国刀の刀匠、刈谷直治) 李纓(Li Ying)監督の映画『靖国』を見た。警官の警備はあったが、表象芸術としての映画の特性を見事に生かした優れた作品だ。明治2年創立の靖国神社は、高橋哲哉氏の『靖国問題』が明快に解き明かしたように、「神道」という古い形式にも関わらず、その内実は、近代国家が戦争を遂行するためのイデオロギー装置であった。(高橋氏の『靖国問題』とそれへの宮崎哲弥氏の的外れな批判については、私はブログで計4回にわたって解説した。↓) http://d.hatena.ne.jp/charis/20050421 http://d.hatena.ne.jp/charis/20050604 映画『靖国』は、近代国家日のイデオロギー装置としての靖国を、記録映像のみを通して表現している。刀匠へのインタヴュ

    映画『靖国』(1) - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2008/05/07
    「小泉政治がそうであったように、靖国を参拝あるいは抗議のために訪れる人々もまた、あたかも俳優のように劇場空間の人になってしまう。」劇場国家ならぬ劇場神社靖国。
  • 内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(2) - charisの美学日誌

    [読書] 内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』('08年1月、文芸春秋社) (写真は、ニコラ・プッサンの「エコーとナルシス」(17世紀)) 第6章の一節「縮小する自我という病」で内田氏は次のように言う。 >「自我の縮小」あるいは「自我の純化」はわれわれの時代の病である。自己決定、自己責任、自分探し、自分らしさの探究、オレなりのこだわりっつうの? ・・そういった空語に私たちの時代は取り憑かれている。(p246) ある意味ではたしかにそうかもしれない。しかし、それらは果たして「空語」なのだろうか? 「時代の病」と大きく括られているが、その中には、肯定的にも否定的にもなりうる幾つもの諸要素がせめぎ合っているのではないだろうか? 内田氏の議論はいつも、流れるようなスピード感に満ちた快い説得力をもっている。だが私には、(1)強すぎる真理を「決め技」に使うこと、(2)統計的な論拠が定量的ではな

    内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(2) - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2008/02/05
    内田先生の「説得力」の罠
  • 内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(1) - charisの美学日誌

    [読書] 内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』('08年1月、文芸春秋社) (写真は、17世紀フランスの絵「ナルシス」) 書の中心テーマは、若者の考え方の基調にある「自分らしい生き方」「私探し」「自己決定」「自立した人生」などへの根的な批判。「他者に煩わされず自分の好きなように生きる」というのは、一見すると自由でよいように思われるが、実は「生きる」ことの内実を貧しいものにする。著者はそれを、レヴィナスの根テーゼ「pour l’autre 他者のために/他者の代わりに/他者に向けて/他者への返礼として」あるいは、「贈与」(=人は自分の欲するものを人に贈与することによってしか得られない)によって基礎づける(p90,279)。現代では「隣人愛」がすたれたのは、若者が自己愛に夢中になったからではない。「当の自分」という錯覚のせいで(=「当の自分」だけを愛したい)、自分を愛するとは

    内田樹『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(1) - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2008/02/04
    内田先生に対する違和感を中心に。
  • 田島正樹氏の『ヨブ記』論 - charisの美学日誌

    (挿絵はブレイクの『ヨブ』より) 田島正樹氏が、10月6日より、ご自身のブログ「ララビアータ」で、旧約の「ヨブ記」について覚書を連載されている。↓ http://blog.livedoor.jp/easter1916/ 実にスケールの大きな興味深い解釈なので、この問題に関心を持つ者として、氏の「ヨブ記」論を取り上げてみたい。私も8月の日誌で「ヨブ記」に触れたが、今回の田島氏の論稿を拝見して、ようやく「ヨブ記」を理解できそうに思う。 ヨブ記は旧約中でおそらくもっとも問題を孕む書といえる。ヨブが神に力ずくで屈服させられる経緯に、何ともいえない割り切れない思いが残るし、ユングのように、神ヤハウェの未熟さを正面から批判して、「神が人間に追い越された」という解釈をする論者もいる。田島氏は、ラカンのテーゼを根底に置いて「ヨブ記」を読む。すなわち、「主体が象徴界に生まれる時、不可避的に象徴界に対して遅れ

    田島正樹氏の『ヨブ記』論 - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2006/11/24
    あとで読む。『ヨブへの答え』も本棚から出して。
  • 土井隆義『個性を煽られる子どもたち』 - charisの美学日誌

    [読書]土井隆義 『個性を煽られる子どもたち』 (2004年9月刊、岩波ブックレット) (挿絵は、ラ・トゥールの「マグダラのマリア」。じっと自分を見詰めて「私探し」をしているのだろうか?) [8月末に父を亡くし、少し身辺が忙しかったので更新が遅れました。] 新刊ではないが、優れたなのでコメント。著者は、’60年生まれの社会学者で、筑波大学教授。最近の子供から若者にかけての、「自分らしさ」の意識とコミュニケーション問題を分析。70頁のブックレットだが、中身は濃い。ポイントをノートすると、以下のようになる。 「現代の子供たちは、大人も驚くほどの高感度な対人アンテナをつねに張り巡らしており・・・、フィーリングの合う相手とだけ親密な関係を築こうとしている」(p61)。この「親密圏」における人間関係を大切にし、その維持に大きなエネルギーを傾けるので(たとえば、いつもケータイメールで繋がっていないと

    土井隆義『個性を煽られる子どもたち』 - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2006/09/10
    参考に。
  • 「出生率」はむずかしい - charisの美学日誌

    (右挿絵は、フラ・アンジェリコの「受胎告知」、下の図版は2005年度国勢調査にもとづく未婚率。男女とも未婚率が大幅に上昇した。) 最近、日の「出生率1.25」という数値が話題になったが、「出生率」という概念はなかなか奥行きが深い。インターネットで少し勉強してみたので、その「成果」を以下に書いてみる。「出生率」概念そのものが曖昧なのではなく、「出生率」というのは、こちらの関心に応じて客観的数値がポンと得られるようなものではないようだ。それを知ったのは、素人の私には新鮮な驚きであった。たとえば、「働く女性と専業主婦とでは、どちらが子供をたくさん産むか?」という問いを考えてみよう。調べれば簡単に分かりそうに思われるが、しかし、実はそうではない。そして、そのような統計自体が存在しない。 「出生率1.25」というとき、それは正確には「合計特殊出生率」のことである。これは15才から49才までの各年齢

    「出生率」はむずかしい - charisの美学日誌
  • 表象文化論学会 - charisの美学日誌

    [学会] 表象文化論学会第1回大会 7月1、2日 東大教養学部 (初めて見るナマ浅田氏は、まったくこんな感じの若々しい人でした。『ニッポン解散』を出版したダイヤモンド社HPより近影。) 学会員ではないが、「人文知の現在」(浅田彰氏と松浦寿輝氏のトーク)と劇団チェルフィッチュ他のパフォーマンスを見てきた。会場の駒場18号館は高層の新館で、正門から見ると時計台の後方に聳える。新館が増えると、時計台は"埋もれる"わけだ。それはともかく、トークの浅田発言は面白かった。以下にメモ。 人文知が活性化するのは、他国の文化が苦労して移入され翻訳される場合だ。古くは漱石の"苦悩"が有名だが、20世紀には、ナチスに追われた亡命知識人が、アメリカにおいてヨーロッパ文化の新しい変容をもたらした。フランクフルト学派だけでなく、ハリウッドの映画監督にもドイツ人がいた。そして、フランス現代思想はハイデガーというドイツ

    表象文化論学会 - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2006/07/02
    「身体知」の重要性。
  • 上野千鶴子『生き延びるための思想』(1) - charisの美学日誌

    [読書] 上野千鶴子:『生き延びるための思想』 (2006年2月、岩波書店) (写真はアリストファネス像。書は、2500年前の『女の平和』を髣髴とさせる。) 上野千鶴子の最新論集。第3章「対抗暴力とジェンダー」(初出2004)が書の白眉。上野は「これは当に辛い思いで覚悟を決めて書いた論文なのに、はかばかしい反応がいただけなかった。・・受けて立ってくれる人がどうしていないのかと、何となく淋しい・・」(p230)と書いている。上野はこの論文で、「女性兵士」というフェミニズムの究極の問いに立ち向かう。その考察を彼女は、連合赤軍事件の集団リンチ殺人の考察から始める。連合赤軍リンチ殺人事件に「立ちすくみ、長く沈黙するに至った」(82)上野にとって、リンチ殺人を行った永田洋子は、「深いトラウマとなった。私がもしそこにいたら? 殺す側にいたかもしれないし、殺される側にいたかもしれない。」(81f)

    上野千鶴子『生き延びるための思想』(1) - charisの美学日誌
    t-kawase
    t-kawase 2006/03/05
    参考になるなあ。
  • 映画『白バラの祈り』 - charisの美学日誌

    [映画] 『白バラの祈り ― ゾフィー・ショル 最期の日々 』(マルク・ローテムント監督、2005年、ドイツ映画) 有楽町シャンテシネ1 (写真左は、実在のゾフィー・ショル(21才)、身分証明書の写真。写真右は、映画でゾフィー・ショルを演じるドイツの新進女優ユリア・イェンチと、ゲシュタポのロベルト・モーア尋問官を演じるアレクサンダー・ヘルト。二人の演技は圧巻。) 1943年にミュンヘン大学を中心に行われたナチスへの抵抗運動「白バラ」の、三度目の映画化。だが、今回の映画には特別な意義がある。1990年代に、旧東独地区に保管されていたゲシュタポによるゾフィーの尋問調書、関連の捜査・逮捕記録、そしてゾフィーの処刑記録などが公開されたために、ゾフィー・ショルの最期をめぐる真実が明らかになったからだ。その文書にもとづき、ハンス・ショル(ミュンヘン大学医学部学生、25歳)と、その妹ゾフィー・ショル(同

    映画『白バラの祈り』 - charisの美学日誌
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    t-kawase 2006/03/04
    優れた寸評。朝日新聞に載っていた池田理代子先生の寸評とあわせて。見に行きたくなった。
  • 上野千鶴子『脱アイデンティティ』 - charisの美学日誌

    [読書]  上野千鶴子編『脱アイデンティティ』 (勁草書房、05年12月) (挿絵は、アンティゴネ。オイコス[=かまど、家庭]の掟=肉親の愛情と、ポリスの掟との相克は、彼女を「二つの私」に引き裂き、破滅させた。ヘーゲルやラカンのアンティゴネ論を批判して、ジュディス・バトラーは「近親愛の可能性」を指摘したが、死角を突いて鋭い。) 「自我」とは一枚板の「質」や「実体」ではなく、「複数の私」を内部に含む多元的なものであり、「一貫性を欠いたまま[多元的自我を]横断して暮らすことは、もはや病理ではなく、ポストモダン的な個人の通常のありかたである」(p35)というのが、書の根テーゼ。上野論文についてはアマゾンのレヴューに書いたので、ここでは残りの論文の幾つかをノート。 (1) 第3章、三浦展論文。『下流社会』の著者だが、80年代からパルコでマーケティングや広報を担当し、消費者の「欲望」を分析する

    上野千鶴子『脱アイデンティティ』 - charisの美学日誌
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    t-kawase 2006/01/05
    あとで参考にさせてもらおう。
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