2007年2月17日のブックマーク (7件)

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    t_kei
    t_kei 2007/02/17
  • 「エコノミスト」による日本の司法制度 | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ

    図書館で「エコノミスト」をめくっていたら、日の痴漢裁判の(映画の)話が載っていて、驚いてしまった。何しろ、見出しが、「日の正義(司法制度):自白しろ」とでも訳せるような記事だったからだ。 この映画に関してはすでに会見が日で開かれていて、ヤフーで以下を見つけた。 周防監督、海外メディアへ熱弁!「痴漢摘発する前に満員電車なくせ」 最新映画「それでもボクはやってない」がヒット中の周防正行監督(50)と主演の加瀬亮(32)が1日、東京・有楽町の日外国特派員協会で海外メディア向けに会見を行った。同作で日の裁判制度のあり方に深く切り込んだ周防監督は、「日でこのようなことが行われているんだという怒りを伝えたかった」と力説。欧米各国の記者を前に約90分間熱弁を繰り広げた。 「再審の決定を1度は下しておきながら、取り消す。裁判時の証拠・証言にある程度疑いがある場合は再審制度を適用するとした白鳥決

    「エコノミスト」による日本の司法制度 | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ
    t_kei
    t_kei 2007/02/17
    「悪いように書けば書ける」、か。。でも、日本の警察行政や司法が深刻な状況にあるのは事実。
  • 裁判員制度はこれで大丈夫か

    私は16歳の少年にして「内申書裁判」という教育裁判の原告となった。その時、裁判官の着ている黒い法衣を見て、その姿が可笑しくて笑いを押し殺したことを覚えている。このところ書き続けている「裁判員制度」の13億円以上にのぼる最高裁広報費の行方を調べながら、裁判所が広告代理店と契約して億単位の予算執行にあたるというスキーム自体に無理があるのではないかと痛感させられる。法務省や最高裁の作ったビデオを見ていると、突然に裁判所からくじで選ばれた裁判員に指名される「国民の困惑と苦悩」が描かれている。 裁判員に選出された人たちは、困惑しながらも裁判長とふたりの裁判官に手ほどきしてもらながら、自らの「裁判員」としての役割を教えられる。その日のうちに、刑事裁判が始まる。正面に被告人を見て、裁判員になったばかりの人たちが検察官や弁護士とのやりとりを聞いてから、すぐに評議を始める。法廷が開かれるのは、わずか3日間。

    t_kei
    t_kei 2007/02/17
  • 壊れる前に…: 奇跡と蒙昧

    t_kei
    t_kei 2007/02/17
  • 野宿者の公園居住は国際法的に容認されている - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先日TBを送ってきたkeya1984氏が「住居の強制撤去について」というエントリを立てている。 まず、こと今件に関して言えば、国際人権規約および一般的意見7に抵触するものではなく、今件に先立つ政府回答の枠内に収まるものであろう。なぜなら、こと今回は「公園を占有していた居住施設の撤去」だからである。締結国を見てみたが、たとえばニューヨークのセントラルパークでもいいし、ロンドンのハイドパークでもいいが、公園内でホームレスが居住施設を建てることを認めているだろうか? 私は、これら諸外国でも公園内にホームレスはいるだろうと思うけれど、国内法にせよ国際条約にせよ、一般的に公園内に居住権を認めて住居の建設を許可している例はないと思う。当たり前であろう、公園という土地に対してそのようなことを法的に認めれば、誰だって勝手に占有して自分の土地建物にしてしまうのだから。行き場のない人の、仮の居場所としてどこま

    野宿者の公園居住は国際法的に容認されている - モジモジ君のブログ。みたいな。
    t_kei
    t_kei 2007/02/17
  • 研幾堂の日記

    t_kei
    t_kei 2007/02/17
    憲法改正について。特に後半の論旨は、突き詰めて考えるなら確かにその通りなんだろう、と感じる。
  • 記号主義倫理学の可能性 - 現在思想のために

    記号主義は認識論や存在論などの分野に深い関係があるが、じつは倫理学とも関係がないわけではない。それどころか、記号主義的な倫理学へのアプローチを主として認知意味論者(Johnson、Sweetzerら)が試みて興味ある成果をあげている。 筆者の見るところ、この種の試みには豊かな将来性があるとおもえる。<記号主義倫理学>がいまよりさらに確かな基礎に立って応用倫理学へ寄与することができたら――部分的にはすでに実現しているが――20世紀以降の倫理学の歴史に新たなページを書き加えることになるだろう。なぜなら、記号主義倫理学はその自然主義のゆえに、ムーアの<自然主義的誤謬>という強迫観念にさいなまれている現代の倫理思想を超えることが可能だからである。かつて筆者はこうした問題意識をもって、<自慰>に関する倫理学的考察を書いたことがある。このたび機会があって新たな論点を追加したうえで、コンパクトに筆者の考

    t_kei
    t_kei 2007/02/17
    (疑問もないわけじゃないけど)面白いなぁ。。