ブックマーク / lever-building.hatenadiary.org (13)

  • 2009-04-14 - どようびに わらび市に いきました - やねごんの日記

    ひとつ まえの きじの つづきを かきたいのですが、それは こんどに します。 4がつ 11にち(どようび)に、さいたま県の わらび市で 「在日特権を許さない市民の会」なる レイシスト(じんしゅ さべつ しゅぎしゃ)団体の もよおす デモが ありました。わたしは、この レイシストたちの デモに はんたいする 行動に さんかして きました。 ●ムキンポの忍者ブログ 生きることは犯罪じゃない! NO ONE is ILLEGAL ●日刊ベリタ : 記事 : 「在特会」ら、ノリコさんが通う中学前でデモ行進 「カルデロン一家を日から追放しろ!」 すでに 報じられているとおり、ざんねんなことに わたしたちの なかまが ふたり、けーさつによって 不当タイホされております。わたしは、ふたりめの ひとが 「公務執行妨害」で タイホされた ばしょに いて 、その ほぼ いちぶしじゅーを もくげきしておりま

    2009-04-14 - どようびに わらび市に いきました - やねごんの日記
    t_kei
    t_kei 2009/04/14
    今回の件は、この社会が越えてはいけない一線を越えてしまった、その決定的な瞬間なんだ、そんな気がしています。
  • 「燃える!お兄さん」事件のことなど(1) - やねごんの にっき

    こんにちでは 「にんげんを うまれや 出身地、職業などで さべつしては いけない」という かんがえかたは 常識として ひろく 共有されていると おもわれます。 もちろん、わたしじしんを かえりみても、げんじつてきな ひびの ふるまいや 心情において さべつから じゆうであるとは とうてい いえないでしょう。しかし、価値観として 「さべつは よくない」とは かんがえてはいますので、げんじつてきな じぶんの ふるまいが さべつてきであることを たにんから 指摘されたり、じぶんじしんで きづいたときに、「はずかしい」と かんじます。 わたしだけでなく、ほとんどの ひとが たにんから 「さべつ主義者」と みられるのを かなり ふゆかいに かんじると おもわれます。それは 「にんげんを うまれや 出身地、職業などで さべつしては いけない」という かんがえかたが 価値観として いちおうは 共有されて

    「燃える!お兄さん」事件のことなど(1) - やねごんの にっき
    t_kei
    t_kei 2009/04/10
    ↓天皇制が制度として存在し、そして天皇制批判がタブーになっている時点で「持ち上げる」だとか「望ましい皇族」だとか、そういうのは錯覚だと思いませんか/id:sukezaさん、ちなみにどういう理由で思わないんですか?
  • きみたちの 敵を しれ - やねごんの日記

    わたしの ばあさんは 「れーかん」が あるんだそうです。ほんにんが そう いっています。じぶんには ゆーれーが みえるんだ、と。わたしには 「れーかん」が ないので、かのじょに ほんとうに ゆーれーが みえているのかどうか、はんだんは できません。 わたしは けっきょく あうことが なかったのですが、その ばあさんの おねえさんも ゆーれーが みえる ひとだったと いいます。しんせきの ものたちが いうのは、葬式などで この ふたりが そろうと きみがわるくて かなわん、ということで ありました。ばあさんと その あねさんは 火葬場で そろって おなじ ところを みつめてたり するんだそうです。まわりのものには なんにも みえない 空(くう)の 一点を ふたりは じっと みつめている。わたしは そういう ばしょに いあわせることが なかったのですが、想像するに たしかに ちょっと ぶきみな

    きみたちの 敵を しれ - やねごんの日記
    t_kei
    t_kei 2009/03/17
    素晴らしいです。基本的にスターは使っていないんですが、100個ぐらいつけたい気分です。
  • 青い月曜日 - やねごんの日記

    石ノ森章太郎さんの『サイボーグ009』を読んだりしてぐたぐたしてたら、朝になってしまいました。 加速装置、とてもほしい、いいなあと思いました。加速装置というのは、009というサイボーグのからだにうめこまれていて、原理はよくわからんのですが、スイッチいれると、運動能力が加速されますと同時に、認識能力も加速されますです。つまり、じぶんが速く動けるだけでなく、まわりの動きがゆっくりとみえるんです。 でもこれ、事務系の仕事のひとたちには役にたちませんね、たぶん。どうせ時間で拘束されてるんですから、はやく仕事がおわっちゃったら、べつの仕事をおしつけられるだけでしょうし、そうでなくてもまわりの目をきにしてなんかはたらいているフリをしなければならんだろうから。 接客業なんかのひとにも、つかいみちがなさそうです。お客がついてこれないくらい早口になっちゃいますから。 ドライバーの役にもたたない、というか、自

    青い月曜日 - やねごんの日記
    t_kei
    t_kei 2008/05/26
    僕は逆に拘束時間を加速させたくなるなぁ。。「あー、早く休みになんねーかな」みたいな。そして無為に歳を重ねる。
  • 2008-05-23 - ナショナリズムと人種主義——B・アンダーソン『想像の共同体』より - やねごんの日記

    想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険) 作者: ベネディクトアンダーソン,白石隆,白石さや出版社/メーカー: リブロポート発売日: 1987/12メディア: 単行 クリック: 5回この商品を含むブログ (10件) を見る ひさかたぶりに再読。まえに読んだときには、ゴテゴテかざりつけられた文体で読みやすくはないものの、そんなむずかしい内容とは思いませんでした。しかし、こうして読み直してみると、ややこしいわー。読むほどに、ナショナリズムとはなにかが、ますますわからなくなってゆくようにおもいます。 ネーション(国民)とはなにか。たしかに、著書はこれについて簡単にして明快な定義をあたえてはいます。 国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である――そしてそれは、来的に限定され、かつ主権的なもの[最高の意志決定主体]として想像される……*1。 ネーション(国民)の

    2008-05-23 - ナショナリズムと人種主義——B・アンダーソン『想像の共同体』より - やねごんの日記
    t_kei
    t_kei 2008/05/25
    とても興味深い。『想像の共同体』は積ん読してたけど、必ず読まなきゃ。。
  • 2008-05-04 - デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』- やねごんの日記

    あたたかくなって、またビールのおいしい季節がやってきました。ありがたいことです。いつ最初の缶のプルトップを開けたのか記憶がさだかでないのですが、まあとにかくおいしくいただいておりますです。 チャゲ&アスカは「要らないものなど〜ないよね〜」と歌ってましたけど、けっこうあると思うんですよね、要らないもの。 来は不要なのに、「必要だ」と私たちは思いこんでいる、というものは多そうです。プロパガンダの結果として私たちがそう「思いこんでいる」ということも、多くありそうです。 不必要なものをあたかも「必要」であるかのように思いこませるためには、恐怖をあおるのが、たぶんもっとも有効な方法でありましょう。これこれがないと、あぶないよ、ヤバイよ、安全が保たれないよ。あるいは、これこれぐらいしておかないと、持っておかないと、みんなの会話についていけないよ、というのも一見ささやかに見えながら、なかなかの「恐怖」

    2008-05-04 - デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』- やねごんの日記
    t_kei
    t_kei 2008/05/06
    面白そう。余裕がある時に読んでみよう。
  • 自由あるいは主体について - やねごんの にっき

    経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2) 作者: マルクス,城塚登,田中吉六出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1964/03/16メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 15回この商品を含むブログ (49件) を見る カントの批判哲学 (ちくま学芸文庫) 作者: ジルドゥルーズ,Gilles Deleuze,國分功一郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/01/09メディア: 文庫購入: 9人 クリック: 72回この商品を含むブログ (38件) を見る この日記ではあまりやらずにきたのだけど、たまには読書の記録など。 何日かまえに『経済学・哲学草稿』を読了した。これはずいぶん前にすでにいちど読んではいたし、非常に気になる書物ではあって、ときたまぱらぱらめくったりはしてきた。ゲーテとシェークスピアを引用しながら貨幣について論じるくだりなどはなかなかに詩的で気に入っている

    自由あるいは主体について - やねごんの にっき
    t_kei
    t_kei 2008/04/06
  • 代議制民主主義の外にある力を甘く見ないほうがいいよ - やねごんの にっき

    ちょっとわくわくする記事。 ●太田誠一衆院議員:社民・福島党首を「極左」と中傷 - 毎日jp(毎日新聞)(→cache) 自民党の議員が、社民党を「極左」よばわりするのは、まあよくわかる。ヨーロッパから見れば韓国や日が「極東」に見えるように、立ち位置が右に寄った人にとって「ちょっとした左」も「極左」に見えるのだろうから。 不可解なのは、「極左」とよばれた社民党の対応である。 社民党福岡県連の豊島正章幹事長は同日、「(あいさつの中では)名指しを避けたものの、党首に対し、極左、すなわちテロリストのイメージをあおるような発言は断じて許すことができない。社民党もテロ撲滅に向けて、全力を挙げており、国民に著しい誤解を与える」と批判した。 社民党とうとう終わったな、というのが私の感想。後述するように、社民党が滅ぶのは、われわれ極左勢力にとって歓迎すべきことなのだけど。 まず、この「われわれは極左とち

    代議制民主主義の外にある力を甘く見ないほうがいいよ - やねごんの にっき
    t_kei
    t_kei 2008/01/15
    テロリスト上等。
  • ケンリなのかギムなのか - やねごんの にっき

    「権利」と「義務」。対概念とされるこの2つは、なんと相互に入れ替え可能だった! ためしにワープロの置換機能をつかって、日国憲法の「権利」を「義務」に、「義務」を「権利」にすべて置きかえてみても、ちゃあんと意味が通る文章になるではないか。 というような話をどこかで読んだ記憶があるのだが、出典が思い出せない。たぶん小田嶋隆さんの昔のコラムじゃないかと思うんだけど。 実質的な「義務」が「権利」と称され、反対に「権利」が「義務」へとすり替わる国家というのを想像すると、けっこう気味が悪い。 「納税は国民の侵すことのできない権利である」なんて言って、みんながお布施でもするかのように嬉々として税金を納める。義務としての兵役が課されないかわりに、国防軍への志願者があとを絶たない。靖国で戦友と会うのが無上のよろこび。そんな美しい国。 このような実質上の「義務」が「権利」と称される状況は、あながち空想的なデ

    ケンリなのかギムなのか - やねごんの にっき
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    t_kei 2007/07/19
  • やねごんの日記 - フツーに暮らしていれば法にひっかかるのさ

    高校生だったころ、1ヶ月くらいだったか、体育の時間でラグビーをやらされたことがあった。やたらとルールが複雑な競技だなあという印象を受けた。 テレビなどで観戦するぶんには、ルールがよく分からなくても結構おもしろいのだけど、プレイする身になってみると、半端にしか理解していないということもあったにせよ、ただただ不条理の世界であった。なんかやると、すぐに審判役の教師がピッと笛を吹いて、プレイを止めやがる。「え? オレなにかしたかよ」という顔をすると、教師は一応ルールを説明するのだが、これがいっこうに要領をえない。で、プレイ再開直後にまた「ピッ」と鳴らしやがる。こんどはさっきと別の禁止事項に引っかかったらしい。 2回目か3回目の授業でさっそく嫌気がさしてふてくされていたら、教師は「おい、おまえ汗かいてないな」とかぬかす。汗かいたらなんかエライのかよ、この野郎、ラグビーでは汗かかないのも反則なのか、畜

    やねごんの日記 - フツーに暮らしていれば法にひっかかるのさ
    t_kei
    t_kei 2007/07/02
    あぁ、、この視点は面白い。でもたぶん、これだけではないんだよなぁ。。うまく言えないけど。
  • 暴力の禁止を命じる声(1) - やねごんの にっき

    国憲法の第9条を読むたびに、喚び起こされる問いがある。それは「ここで戦争と戦力の放棄を命じているのは誰なのか」という問いである。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」なんて翻訳調の文体で語ってるお前さん、おい、あんた誰なんだよ。 むろん、ひとつの解答として「そりゃアメリカさんだよ」というものがある。自民党をはじめとするいわゆる「改憲」を主張する人は、現行憲法をアメリカ、ないしは連合国による「押しつけ」と位置づけ、「自主憲法」の制定を唱えている。 しかし、疑問に思うのは、アメリカ合州国であれ日国であれ、国家にあのような言葉が可能だろうか、ということである。9条の規定および前文のうたう理念には、国家が主張しえない倫理性が含まれているのではないだろうか。というのは、国家はその存立のあり方からして、究極的には暴力を否定しえないはずだからである。 何年か前に

    暴力の禁止を命じる声(1) - やねごんの にっき
    t_kei
    t_kei 2007/05/04
    あぁ、これは面白い。『「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」なんて翻訳調の文体で語ってるお前さん、おい、あんた誰なんだよ。』
  • Japanese Civil War - やねごんの にっき

    イエーイ、内戦が近いぞ! ニッポンに内乱を。吉里吉里国よふたたび! 前々から、なにかと「民主主義国家である日において」うんぬんとブログなどに書くやからが気にくわなかったのだが、そんなことにいらだつ日々よ、おさらばだ。 国民投票法案が、与党の賛成多数で衆議院を通過したのだという。これが「全会一致」ではなく「賛成多数」で可決されたことの意味は大きいと思う。なぜなら、かりに近い将来、国民投票を経てめでたく廃憲*1とあいなったとしても、彼らはもはやそこに一片の正当性を主張することもできなくなったからだ。「全会一致」でなかったことによって、彼らはこんご達成すべき目標の正当性をみずから否定したことになる。 この法案は、たんなる法ではなく、法の変更手続きを定めた「法の上の法」と言ってよい。こうした手続き法とは、言うなれば意思決定のルールそのものを規定するものなのだから、それが全会一致で定められたのでな

    Japanese Civil War - やねごんの にっき
    t_kei
    t_kei 2007/05/04
    これに近いこと、僕も妄想したことあるなぁ。。
  • やねごんの日記 大阪市が出ていけ

    いまだ実社会で直接に対面したことはないのだけど、ネット上には「そんなにイヤなら日から出ていけばいいジャン」という言辞を吐く人をけっこう見かける。かれらはどういう顔をしてキーボードをたたいているのだろうか、ということがちょっと気になる。こういうことを言う人の感覚というのが、よく解らないからだ。 私にとっての「自明」な感覚からすれば、そりゃ話が逆だろ、と感じる。出ていくのは、私のような「反日的」な思想を抱く者や在日朝鮮人ではなく、日(という国家)だろうよ、というのが、私にとっての「あたりまえ」な認識だ。国家のぶんざいで人間に出ていけなどとは生意気である。 こうやって私が「日が出ていけ」と言うのは、たんに奇をてらっているだけではなく、率直な感覚としてそう思ってもいる。けれど、それは「日から出ていけ」というようなことを言う人にとってはきっと「あたりまえ」ではないんだろうな、ということは理解

    やねごんの日記 大阪市が出ていけ
    t_kei
    t_kei 2007/02/12
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