ブックマーク / zarudora.hatenablog.com (11)

  • 魔法使いの肖像──サルトル『ユダヤ人問題についての考察』についての考察── - 猿゛虎゛日記

    一年前ほど前に某紀要に書いた「魔法使いの肖像──サルトル『ユダヤ人問題についての考察』についての考察──」という論文をアップロードしました。 http://www.geocities.jp/sartla/ronbun/mahotsukai.html *1 これは、タイトルにもあるようにサルトルの『ユダヤ人問題についての考察』(邦訳は岩波新書の『ユダヤ人』)を論じたものです。こので、サルトルは反ユダヤ主義者、「差別主義者」を批判しているのですが、同時にサルトルは、返す刀でというか、リベラリズム、民主主義者の「平等主義」をも辛らつに批判しています。そのことは、こちらhttp://watashinim.exblog.jp/8879908でも紹介されています。 サルトルは、民主主義者の「分析的精神」を批判します。 拙論から引用します。 分析的精神の考えるような社会では、個人は分解できない固い粒子

    魔法使いの肖像──サルトル『ユダヤ人問題についての考察』についての考察── - 猿゛虎゛日記
    t_kei
    t_kei 2009/04/03
    勉強になりました。
  • 野生の言語 - 猿゛虎゛日記

    1976年に公開*1(撮影は1972年)のサルトルのドキュメンタリー映画『sartre par lui-meme』は、youtubeで英語字幕版が一部見られます。 で、↓こちらが、字幕inで日語字幕がつけられたバージョンです。 http://jimaku.in/w/85vEXo7Wntk/YTLWbjxC_be この日語字幕は、1977年に人文書院から発行された、シナリオの翻訳『サルトル──自身を語る』(海老坂武訳)を参照してるみたいですよ。 サルトル―自身を語る (1977年) 作者: 海老坂武出版社/メーカー: 人文書院発売日: 1977/09メディア: ?購入: 1人 クリック: 1回この商品を含むブログ (3件) を見る冒頭部分に出てくる講演は、「合法性が正当性を虐殺するとき」という拙論でも取り上げた、1972年にベルギーのブリュッセルで行われた講演の一部です。この全体は、「司

    野生の言語 - 猿゛虎゛日記
    t_kei
    t_kei 2008/05/06
    興味深い。
  • 「時代/遅れ」について - 猿゛虎゛日記

    id:t_keiさんの、コヤニスカッティ――平衡を失った世界を、まったくそうだな、と思いながら読んだ。 僕は冒頭の応答を読んでいる間、「まるで僕たちはマリー・アントワネットみたいじゃないか」という思いを抑えることができなかった。自分たちの狭い世界の中で、自分たちの振る舞いがどのような結果を招いているのかを見ることもなく、現実を置き去りにして、「"やられても仕方がない"という発想は不謹慎だ」だとか、「誤謬や偏狭や怨嗟を認識し、感情の"自然状態"を克服すべき」だとかおしゃべりをしている。まるでマリー・アントワネットが、無邪気に「パンがなければお菓子をべればいいじゃない」、と言い放ったかのように。 http://d.hatena.ne.jp/t_kei/20080123/1201095856 世界がむちゃくちゃになっている。そのむちゃくちゃな世界を目の前にしての(「自然に」発せられた)「叫び」

    「時代/遅れ」について - 猿゛虎゛日記
    t_kei
    t_kei 2008/01/26
    ありがとうございます。裏表の関係だとは思うけど「乱暴な世界に反応して発せられた言葉」が忌避される一方で、どうでもいいことにはバッシングの声があがったりするわけで、この「歪さ」はどう捉えればいいんだろう
  • ジョルジュ・ソレル『暴力論』第5章 政治的ゼネスト 第4節 - 猿゛虎゛日記

    強力と暴力 政治的ストライキの研究によって、我々は、現代の社会問題について考察するときにつねに心に浮かぶ一つの区別について、よく理解できるようになった。人々は、強力forceと暴力violenceという語を用いるとき、あるときは権威autoriteの諸行為について語り、またあるときは反抗revolteの諸行為について語る。この二つが、まったく異なった結果を生じるのはあきらかである。いかなるあいまいさも生じさせない用語法を採用することは大きな利点をもつが、私は、暴力という語は二つ目の語義のために取っておくべきであると思う。したがって我々は、強力が、少数者が支配するなんらかの社会秩序の組織を強制することを目的としており、一方暴力は、この秩序を破壊しようとする傾向を持っている、と言うだろう。ブルジョアジーは近代のはじめから強力を用いてきたのであり、一方プロレタリアートは、現在、強力と国家に対して

    ジョルジュ・ソレル『暴力論』第5章 政治的ゼネスト 第4節 - 猿゛虎゛日記
    t_kei
    t_kei 2007/08/12
  • ジョルジュ・ソレル『暴力論』第5章 政治的ゼネスト 第3節(抄訳) - 猿゛虎゛日記

    A. 政治屋に抱かれた妬み*1 いまや我々は、政治的ゼネストと結びついた諸観念の分析においてもっと先に進み、まずはじめに、階級の概念がどうなったかを調べてみることにしよう。 1 階級は、その成員が資主義的生産において占めている位置によっては、もはや定義されない。人々は、富者の集団と貧者の集団、という古い区別に立ち戻っている。階級は、古い社会主義者たちの目にはそのように映っている。彼らは、現在の富の分配の不公正を改良する手段を探している。社会的カトリック信者たちは、同じ立場にたって、慈善によってだけでなく、資主義経済によって生じた痛みを軽減するためのたくさんの仕組みによって、貧しいものたちの境遇を改善しようとしている。今日、ジョレスを預言者として賞賛しているような人々は、いまだにこのような観点から考察しているように見える。ジョレスは、ビュイッソン〔フェルディナン・ビュイッソン>WikiP

    ジョルジュ・ソレル『暴力論』第5章 政治的ゼネスト 第3節(抄訳) - 猿゛虎゛日記
    t_kei
    t_kei 2007/08/06
  • ジョルジュ・ソレル『暴力論』第4章 プロレタリア・ストライキ 第2節(抄訳) - 猿゛虎゛日記

    マルクス主義を完成するためになされた諸研究 いまや我々はさらに先に進み、ゼネストによって示される絵〔タブロー〕が当に完全なものなのか、すなわち、現代の社会主義によって認められた闘争のすべての要素を含んでいるかということを問う必要がある。しかし、まずはじめに、問題を明確化しておく必要がある。この絵の構成の質について以前行った説明から出発すれば、それは容易なことだろう。我々は、ゼネストが不可分の総体として考えられるべきであることを見た。したがって、ゼネスト実行のいかなる細部も、社会主義の理解のためになんら利益をもたらさないのである。さらに、この総体を諸部分に分解しようとすることで、この理解から何ものかが失われてしまう危険が常にある、ということを付け加えなければならない。我々は、マルクス主義の主要なテーゼと、ゼネストの絵が提供する全体的様相との間に、根的な同一性が存在することを示すことにし

    ジョルジュ・ソレル『暴力論』第4章 プロレタリア・ストライキ 第2節(抄訳) - 猿゛虎゛日記
    t_kei
    t_kei 2007/08/06
  • ジョルジュ・ソレル『暴力論』第4章 プロレタリア・ストライキ 第1節 - 猿゛虎゛日記

    第4章 第1節 プロレタリア暴力に関わる思想を正確に説明しようとするたびに、われわれはゼネストという概念に連れ戻される。 しかし、この概念は、他の多くのことにも役立つし、社会主義のあいまいな部分について思わぬ光を与えてくれる。第一章の終わりで、私はゼネストを、敵を決定的に叩きのめすナポレオン戦争に比較した。この比較は、ゼネストのイデオロギー的役割を理解するために役立つだろう。 現代の軍事専門家たちは、ナポレオンのころと桁違いに多数の兵士を擁し、当時に比べてきわめて完成された兵器を備えた軍隊の操縦に適した、新しい戦争の方法について論じる。それでも彼らは、やはり、戦争がナポレオンの時代と同じ様に決定されるはずだと想定している。提案された戦術は、ナポレオンが想定していたドラマ〔筋書き〕に適応しうるものでなければならない。たしかに、戦局の推移は当時とはまったく違った仕方で展開するだろう。しかし、終

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    t_kei
    t_kei 2007/07/20
  • ホームレスと彼/女 - 猿゛虎゛日記

    野宿者強制排除に関わるエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070205/1170693834で、私は、ワイドショーでの福澤朗と山田花子の次のようなやりとりを紹介した。 (福澤朗)これはただならぬ状況……。花子ちゃんは知ってた?こういう状況。大阪では。 (山田花子)はい知ってました。もう街みたいに、なってるんです…あの一帯が(眉をひそめながら) (福澤朗)あーそうなんだ、そうなの。ちょっと怖い?やっぱり、はたから見ると。 (山田花子)怖いです!近づけないですね…。 (福澤朗)そうかあ。ま女性はそうかもしれないねえ。えー。 ここで、福澤はしきりと「女性としては」ということを強調している。もちろん、福澤のこの誘導的な質問は、大阪市による排除という、「野宿者への暴力」の問題を、「野宿者による」「女性への暴力」の問題にずらそうとする狡猾なものであると言える。

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    t_kei
    t_kei 2007/05/03
  • 1985年のガチなチュウ - 猿゛虎゛日記

    http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070313/1173810219で紹介した過去恥部なのだが、やっぱりもうちょっと他の部分ものせることにする。ところで、左翼と右翼には、サヨ、ウヨという蔑称(愛称?)があるが、中道(のつもりの人)に、それに対応する呼称がないのは不公平ではないか(と中道的立場から提案)。というわけで、私の周りにいっぱいいたような気がするガチなチュウの一人であった友人Nとの20年前(1985年)の会話である*1。 「おれはね、アパルトヘイトというのも、一面ではしかたないと思うよ。まそりゃ人種差別はいけないとは思うよ。でも、実際現地で暴動とかおこるとさ、何の関係もない人に迷惑がかかるわけだろ。そりゃまずいと思うな。どうしてもっと冷静にできないの?」 こんな話がはじまったのは、夜中の3時ごろだったかね。場所は西武新宿線沿線の○○にあるやつの下宿。

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    t_kei
    t_kei 2007/03/14
    実際、確信犯的なガチウヨなんかより、ガチチュウ的な人たちの方が多いだろうなぁ。。
  • ソ連のこと - 猿゛虎゛日記

    黒川紀章氏[都知事選について―15の公約―] http://www.kisho.co.jp/page.php/342 この中に 14) 中米露との関係重視 というのがありましょう?それがどうした、と思われる方も多いだろうが、マイミクの人に教えてもらったのだが、これは最初 14) 中米ソとの関係重視 になっていたのである(私もこの目で見た)。ちなみに2月21日夜23時ごろにはすでに訂正されていた。 ただそれだけなのだが。ところで、こちら http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~tadasu/essay_70126.html で、今の20代後半から30代すぎ(ガチウヨ世代)のソ連のイメージについての話がある。 彼らが「ソ連」というときにイメージするのは、ゴルバチョフのソ連である。 悪くて恐いソ連のイメージは全然ないのだ。店の棚に物がなくて、みんな政府に文句ばっかり

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    t_kei
    t_kei 2007/03/14
  • ホームレスは怖いですねえ - 猿゛虎゛日記

    ある人の家にいきなり893がやってきて、「こんど世界賭博ゆう大会をやることになった。お前のうちが会場になる。(おまえらがいるとジャマで目障りだから)○×日までに出て行ってくれ」という通告がある。拒否すると、真冬のある朝どやどやと893が乗り込んできて、暴力的に住人を外に追い出し、家を破壊した。 こんな事件があったなら、どう考えても(あえてこの表現を使うが)「自然な」反応は「それはひどい」になるはずだと思うのである。ところが、893が警察と市の職員、「世界賭博」が「世界陸上」に、そして、追い出される人が「ホームレス」である、ということになると「しょうがない」が「自然」な反応である……? 当にそうだろうか? もちろん、これは、今朝あった大阪長居公園での野宿者強制排除のことである。 実際、あるテレビ局(ちなみに、世界賭博、じゃねえ世界陸上を中継する局)の今日昼のニュースではこのように伝えられて

    ホームレスは怖いですねえ - 猿゛虎゛日記
    t_kei
    t_kei 2007/02/06
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