能登半島地震の震源地近くに建設が計画されていた「珠洲(すず)原発」。建設予定地だった石川県珠洲市高屋町は、今回の地震で住宅の大半が壊れ、陸路も海路も閉ざされて孤立状態に陥った。もし原発が実現していたら、重大事故が起きて住民の避難がより困難になった可能性もあった。建設を阻止したのは、住民らの長年にわたる根強い反対運動だった。どのような思いで止めたのか。(岸本拓也)
ことし1月、福井県にある関西電力の高浜原子力発電所4号機で、原子炉が自動停止したトラブルで、関西電力は7日、原子力規制庁に対し、核分裂を抑える制御棒1本が電気的な故障により原子炉内に落下したことが原因とみられると報告しました。 福井県高浜町にある高浜原発4号機では、運転中だったことし1月30日、原子炉内の核分裂の状態を示す中性子の量が急激に減少したという異常を知らせる警報が出て自動停止しました。 このトラブルについて、関西電力は7日、報告書をまとめ、原子力規制庁に説明しました。 それによりますと、48本ある制御棒のうち1本が原子炉内に落下したことで、部分的に核分裂反応が抑えられ、中性子の量が減って警報が出たと推定したということです。 制御棒は、運転時には原子炉の上に引き上げられ、電磁石の力で保持されていますが、今回落下した1本を含む3本の制御棒を保持する電磁石で、電流の値が低下する現象が確
史上最悪レベルの原子力災害となった東京電力福島第1原発事故から10年の3月、原子力規制委員会は事故原因に関する報告書を取りまとめた。炉心溶融が起きた1~3号機の原子炉格納容器の上ぶたに、溶融核燃料(デブリ)に匹敵する高濃度の放射性物質が付着していると指摘し、今後の廃炉作業に警鐘を鳴らす。廃炉の計画は大幅に見直しを迫られる可能性が高く、政府と東電が「2041~51年」としている廃炉の完了は極めて困難な情勢だ。(共同通信=広江滋規) ▽上ぶたがセシウムを「捕獲」 格納容器の上ぶたは鉄筋コンクリート製の3層構造。現場でロボットを用いて測定した放射線量などから、いずれも上から1枚目と2枚目の間に、1号機で100兆~200兆ベクレル、2号機は2桁違う2京~4京ベクレル、3号機は3京ベクレルの放射性セシウムが存在する可能性が高いと結論付けた。それより下層の詳細や付着したメカニズムは分かっていない。 事
極秘裏に行われた「シミュレーション」 福島第一原発事故が発生した2011年3月11日から10年が経とうとしている。3つの原子炉が相次いでメルトダウン、原子炉や格納容器が納める原子炉建屋が次々に爆発するという未曾有の原発事故は、福島の地に大きな爪痕を残した。 事故によって放出された大量の放射性物質は福島の地を汚染し、原発周辺に住む住民は避難を余儀なくされた。いまなお双葉町、大熊町、浪江町の多くが、放射線量がきわめて高い帰宅困難区域に指定され、立ち入りが厳しく制限されている。長期にわたる避難で、故郷の地に戻ることを断念した住民も少なくない。 実は、事故発生直後に極秘裏に行われた「シミュレーション」によると、こうした帰宅困難区域は東日本全体に及ぶ可能性があった。当時の原子力委員会委員長の近藤駿介氏が行ったシミュレーションでは、最悪の場合、東日本全体がチェルノブイリ原発事故に匹敵するような大量な放
関電の件が同和案件ということを未だにデマと行っている人のために。1982年8月の共産党機関紙『前衛』の記事です。当時の森山栄治助役が地元で解放同盟を組織して、そのことをバックに関電と癒着し町政をほしいままにしていたことが書かれてい… https://t.co/wVJ6gj2E34
戦没者の遺骨を取り違えていた疑いが明らかになりました。終戦直後にシベリアに抑留されて亡くなった日本人のものとして厚生労働省の派遣団が5年前に収集し日本に帰還させた遺骨について、DNA鑑定をした専門家が「判別できた遺骨はすべて日本人ではない」とする鑑定結果を示していたことがNHKの取材で分かりました。 旧ソビエトのシベリアなどに抑留された日本人のうちおよそ5万5000人が厳しい寒さの中で過酷な労働を強いられて亡くなったとされ、厚生労働省は平成3年度からロシア側から提供された埋葬者の記録などをもとにこれまでにおよそ2万2000人の遺骨を現地で収集し日本に帰還させています。 しかし5年前の平成26年8月、厚生労働省の派遣団が東シベリアのザバイカル地方で日本人のものとして収集し、すでに帰還させている16の遺骨について、厚生労働省からDNA鑑定を委託された専門家が「16の遺骨のうち判別できた14の遺
写真はイメージです。 photo by Nuclear Regulatory Commission via flickr (CC BY 2.0) 本連載原子力PA編では、前回一度だけNUMOの高レベル放射性廃棄物最終処分場選定に関する説明会への参加レポートを挟みましたが、基本的には愛媛県八幡浜市で行われた「使用済燃料乾式貯蔵施設に関わる講演会」で目にした長沢博士、奈良林博士の講演についてその概要をお伝えしてきました。(参照:本連載原子力PAシリーズ1、2、3) この核燃料乾式貯蔵(乾式貯蔵)は、合衆国の商用原子力発電所としては1986年にサリー原子力発電所(Surry N.P.P. Virginia, USA)で初運用されており、十分に成熟した技術といえます。 乾式貯蔵は、ドライキャスクと管理施設への投資が大きく、一方で維持・運用費は小さいという費用構造上の特徴があります。初期投資が大きく
東海村の日本原子力発電(原電)東海第二原発が抱える立地上の問題を考える学習会が三十日、水戸市内で開かれた。都市計画の観点から原発立地を研究している茨城大教育学部の乾康代教授(住環境計画)が講師を務め「規制が骨抜きになり、おかしな都市開発が進められた」と、立地の不当性を指摘した。 国は一九六四年、原発立地の基準として「人口密集地帯からある距離だけ離れていること」などと定めた原子炉立地審査指針を策定。しかし、東海第二の先行機に当たる東海原発は指針の五年前に設置許可が下り、周辺にも原子力関連施設や従業員用の団地が続々と造られてしまった。 乾教授は、指針をかいくぐるような開発が当初から進められ、その後も緩衝地帯が設けられないなど規制が骨抜きにされたと批判。結果として、海沿いと常磐道沿いに原発や関連施設が立ち並び、そのはざまに住宅地が広がるというゆがんだ都市ができあがったと示した。
リュサン原子力発電所は発電のほか「メイド・イン・スイス」の原子炉開発、また原子力を利用した実験施設を作る目的で作られ、1968年に稼働した。 しかし1969年1月21日、燃料の移送経路で水を張ったプール状の空間、原子炉キャビティで起きた事故により、それらの計画はすべて水の泡となった。圧力配管が破裂して瞬間的に電流が急増し、原子炉の誤作動と爆発を引き起こした。爆発当時の作業員が安全な場所にいたことは不幸中の幸いだった。また、地下原子炉だったことから環境や周辺の住民への被害も避けられた。 原子力事故の重大さを7段階で示す国際原子力事故評価尺度(INES)では当時「レベル5=広範囲な影響を伴う事故」と評価された。漏れ出して原子炉キャビティ内に溜まった冷却ガスの濃度は致命的だった。放射線量は測定器の目盛りを振り切り測定不可能になっていた。 問題は、地下原子炉が完全に密閉されていなかったことだ。放射
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く